【シリーズ・この人に聞く!第52回】原作・脚本も手がける奇才の映画監督 小林 政広さん

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(C)FOTOFESTIVAL / MARCO ABRAM
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70年代フォークシンガー「林ヒロシ」としてデビュー後、42歳で映画監督として手がけた作品がカンヌ国際映画祭へ出品。その後も3年連続で作品が国際的な賞を獲得し「小林政広」は世界が注目する監督の一人。新作の5月22日封切「春との旅」では、誰の心にも届く、家族ドラマを描いています。この作品に込めた想い、映画監督として大切にしている考え方をお聞きしてみました。

小林 政広(こばやし まさひろ)

1954年、東京本郷生まれ。
フォーク歌手、シナリオライターとして活動後、1996年に初監督作『CLOSING TIME』を製作。1997年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で日本人監督初のグランプリを受賞。映画製作会社モンキータウンプロダクション設立。1999年『海賊版=BOOTLEG FILM』、2000年『殺し』、2001年『歩く、人』と、3年連続カンヌ国際映画祭出品の快挙を果たす。2003年『女理髪師の恋』ではロカルノ国際映画祭で特別大賞受賞。監督第7作『バッシング』は2005年カンヌ映画祭コンペティション部門において日本人監督として唯一出品を果たし、東京フィルメックスでは最優秀作品賞(グランプリ)、テヘランファジル映画祭では審査員特別賞(準グランプリ)を獲得。主演も勤めた最新作『愛の予感』は2007年の第60回ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)を受賞し、ほか3賞も同時受賞。現在も世界各国の映画祭で作品が上映されつづけているほか、今、世界で注目されている監督のひとりである。原作:小林政広『春との旅』毎日新聞社刊

家族のドラマを書きたくて

――『春との旅』の試写を拝見して、とても心に沁みました。家族とか人とのつながりって何だろうと思うと同時に、生きている限り、人と関係しながら喜びも悲しみも抱えていかないとならない。でもどんな立場であっても希望はもっていたい。勝手にそんな風に受けとめてしまいましたが、涙が止まりませんでした。作品に流れている温かさ、美しさ、正直さは監督自身の魂かもしれません。まず最初にお尋ねしますが、この作品をつくるきっかけになったこととは?

『「人間とは、生きるとは」という永遠不滅のテーマを追求』 (C)2010『春との旅』フィルムパートナーズ/ラテルナ/モンキータウンプロダクション/・活動インフォメーションなし

『「人間とは、生きるとは」という永遠不滅のテーマを追求』 (C)2010『春との旅』フィルムパートナーズ/ラテルナ/モンキータウンプロダクション/・活動インフォメーションなし

『歩く、人』という映画を9年前に作りまして、もう一度家族のドラマを作ろう、と思ったのが最初のきっかけです。それでシナリオを書き出して。ちょうど2001年9月11日の同時多発テロから3ヵ月後の年末で、時代的に世の中が騒がしくなってきた頃に1週間で一気に書き上げました。
私生活でも2001年9月に子どもが誕生し、ちょっと環境を変えようと妻の実家がある大阪へ引越しました。『春との旅』は、その当時借りた家で書いたシナリオ。書きながら、実現はしないだろうなと思っていました。自費制作でできる規模の話ではなかったからです。その年『歩く、人』がカンヌ映画祭に出品されましたが、ついにその年は一本も作品を撮ることができませんでした。

――足の悪い老漁師の忠男、小学校が廃校になってしまい給食調理の仕事を失職した孫娘の春との二人旅。この登場人物の設定は最初からあったもので?

そうです。あれは北海道増毛町が舞台で、そこでこれまで『海賊版=BOOTLEG FILM』『殺し』『歩く、人』という3本映画を撮ってきました。そうするとその土地を取材をするように町のことが段々わかってきた。『歩く、人』は造り酒屋の親父という設定でしたが、もう一つそこに住んでいる人の心情に踏み込めていないような気がしていて。もう一歩踏み込めないかと思って、『春との旅』を書き出しました。

――場面の細部に見られるリアリティー、主役の仲代達矢さんをはじめ脇を固める俳優の演技力も素晴らしいけれど、扱っているテーマと脚本の力はすごいものだと感じました。

この脚本は役者さんが気に入ってくださったり、いろいろな方に評価をいただきました。でも、僕の中ではシナリオでドラマが完結していた。これを映画にしても新たに何かを加えることはできないんじゃないかと思っていました。つまり、ホン(※)のイメージが出来上がりすぎていて、それをもっと超えるような画が撮れなかったら監督をする意味がない。自分が書いた脚本ですから映像イメージは鮮明にある。でも、それを超えようとすることで、自分のもっているイメージが壊されるような気がしていた。ですから、あまり映画化することについて積極的に動かなかったんです。いつか作れればいいと、そう思っていました。その頃はイラク戦争が始まったり、世界中で映画のテーマがガラリと変わった頃でした。これまではカンヌ映画祭に出品される映画はホームドラマが多かったのに、そんなテーマは見当たらなくなって社会的なものが多くなってきた。
僕が映画化に動き出したのは3年前でした。世の中の状況が、少し変わってきたように感じたからです。ホンも100回近く改訂して、これ以上は直せないというところまで来ました。それで、書いたホンを思い切って役者さんに読んでもらおうと。まず手紙を添えて、仲代達矢さんへホンを送った。何の面識もないのにです!
忠男役は仲代さんをおいて他にはいないと思ったんです。そうしたら、仲代さんの事務所の社長さんが初めに読んでくれて、おもしろいからとご本人に渡してくださった。仲代さんも読んでくれて「これはぜひやりたい」と返事をくださった。でも主役が決まっても資金面では苦労しました。映画化は奇跡のようなものでした。※ 脚本のこと

何度も考え、手直しをして作り上げる作品

――1999年から3年連続カンヌ国際映画祭出品の快挙を成し遂げられたり、監督の作品は世界から注目されています。作品をつくるにあたって、大事にされていることは何ですか?

『生きる道を探し求める老人と孫娘の姿は、愛おしく美しい』 (C)2010『春との旅』フィルムパートナーズ/ラテルナ/モンキータウンプロダクション/

『生きる道を探し求める老人と孫娘の姿は、愛おしく美しい』 (C)2010『春との旅』フィルムパートナーズ/ラテルナ/モンキータウンプロダクション/

一つひとつが全部大切ですね。強いて言えば映画の中のリアリティーかな。大きなウソはいいけれど、小さなウソはつくべきではない。舞台になるその土地の人が見て、ウソだと思うようなものを撮ってはいけない。
映画って最初の5分が勝負かも知れないです。強いインパクトで主人公が登場して来ると、それだけで映画の中に引き込まれてゆきますからね。それと、お客さんは一箇所でも作品に雑なところが見えるとその映画自体もう見る気がしなくなってしまう。物語に入っていけないからです。だから、細部に渡ってどれだけ徹底してできるか、なんですね。観ているお客さんに一つでも多く思い当たる節があること。思わず膝を打つようなことを映画にどれだけ散りばめられるか。役者の演技に共感してもらえないと。アイデアは思いつきだけではダメなんです。

――仲代さんの演技はもちろんですが、設定の中で美保純さんが登場したシーンでものすごく泣きました。登場人物にどうリアリティーを持たせるか。観客を泣かせるかというねらいはあるんですか?

ホンを書いているときにゾクッとする感じはあります。あとは撮影している時。撮りながらホンを読んで、どうしても次のシーンとつながらない時は、何か問題がある。
何度も何度も作り直して・・・の繰り返しです。撮ったら終わりだし、撮らなかったらそれまで。撮っておくべきことを探す、見つけるってことですね。
わかりにくい映画と、わかりやすい映画は、昔からどちらもあった。一回見ればわかる映画、子どもの頃に見ているものは大体そういうものです。でも、大人になってひとりで映画を見て、わかりにくいことを楽しむことがあっていいんじゃないかと。
いずれにしても、自分が納得できるものを作りたいんですね。

――人から依頼されてこなす仕事ではなくて、自分の中から湧き出てくる創作欲が原動力ですね。では映画監督になる夢が実現するまで続けてこられたことは?

文章を書くのが好きで、小学生時代からずっと物語を作るのが好きでした。
中学になる頃から父や叔父と一緒に映画館へよく行ったものです。その頃はシナリオというものがあるのを知らなかったので、短い小説のようなものをいつも書いていました。ある時、映画館で人気のシリーズ作を観て、「よし。次のシリーズは俺が書く!」と思いましてね。ある会社にシノプシスらしきものを送ったことがありました。映画のクレジットで社長の名前を覚えていたものですから、社長宛に。その後、音沙汰はありませんでしたが、次のシリーズを観にいったら、僕が考えていたストーリーそのものでした。

――盗まれましたね(笑)。やはりその頃から監督は大物だった。でもそれはクレジットに名前こそ入りませんけれど、かなりの自信につながりますよね。自分の作品が評価されたという。

やった!と思いましたね。観ながら先のあらすじが読めるわけですから、作者なので(笑)。その頃は推理小説が好きでしたから、本を読んではノートに小説のようなものを書いていた。ある時、叔父さんにそのノートを読まれてしまったんです。「おまえの書く話はおもしろい」と言われて、有頂天になりました。
褒めてくれる人がいなかったら、続けられなかったかもしれません。

映画は時間の芸術、そろばんが役に立つ

――監督は小学3年生の息子さんがいらっしゃいますが、ご自身はその頃、将来どんな仕事に就きたいと思われていました?

小学3年生のころ、柔道を習わされた

小学3年生のころ、柔道を習わされた

その頃はパイロットかな。宇宙飛行士にも憧れたことがありました。僕は小学校時代から目が悪かったので、いろいろ調べてみるとそれだけでダメ。なれない職業があるということを初めて思い知った。パイロットの次が映画監督でした。

――小さな頃から映画監督になりたいと。紆余曲折あって、郵便局の配達員とかいろいろな仕事を経てこられたんですよね。あきらめないで42歳で初めて映画を作られて。本当にあきらめないってすごいことです。

いや、毎回あきらめているんです。ずっとあきらめきれなかったというのではなくて。
ある程度の年齢になって、二十歳過ぎてからはヘンな自信があった。何の根拠もないんですが、映画をいつか作るんだと。

――その根拠のない自信が大事な力になっているのかも。習い事は小3時代に柔道をされた以外には何か?

うちはね実家が文京区・本郷のそろばん塾でした。小学校よりも生徒数が多かった。
でも、僕は嫌で泣きながらそろばんはじいてました。20年以上前に家も手放して、今は親父も他界しました。それと僕は書道もやっていました。先生に家まで来ていただいて教えてもらっていました。書道は割と好きでした。絵を描くのが苦手、今も映画を作る時に絵コンテは描きません。

――そろばんの世界と、創作の世界は、またちょっと違う気がしますが親御さんは自由に好きな道を進みなさいと?今、父親の立場となられて、お子さんには習い事をさせていらっしゃるんですか?

いえ全然、その逆ですね。映画連れていってくれたのは父なんですけれど。小説なんて道楽だという考えでしたから。僕が本を読んでいると「本なんか読んでいないで勉強しろ」と言われました。創作のほうに心が行ってましたから、勉強なんていっても手に付かないわけです。息子の習い事は、今KUMONくらいです。習い事は僕が嫌々やらされていたのがほとんどでしたから、子どもがやりたいというのを待っています。おもしろがってやらないとダメです。やりたいという気持ちは、いつかもてるんじゃないかと。

――42歳で映画監督としてデビューされるまで、いろいろな経験を積んでこられて、じっくりとゆっくりと歩まれてこられた監督から、最後に親世代へのメッセージを何かいただけますか。

習字も、そろばんも、やっているその時は辛かったりしますが、やってよかったなと思います。習字は人に伝える字を書くという心が基本。どんなに崩した行書で書いても伝わらないと意味が無い。モノづくりは細い線を辿っていくような作業です。文学的な視点でいうと、習字も絵も皆同じ。作品を見る人と、どの辺で共有できるかなんです。映画の質も、そこで変わってくるのだと思います。誰もがわかるように書くことは、そう
いう訓練をしている人にとって、そう難しいことではない。それを自分のオリジナリティを含めて、どのくらい崩していけるかなんでしょう。
あとは数学の力が問われるんじゃないかな。脚本家のジェームズ三木さんが言ってましたが「シナリオは対立と葛藤だ。プラス因数分解だ」と。結末までのもっていきかたはバランス感覚が問われます。いわゆる小遣い帳みたいなもの。マイナスになってもいけないし、プラスになっても意味が無い。物語は始まりがあって起承転結がある。それは数学と同じで、マイナスもあればプラスもある。飛躍があれば掛け算、割り算。計算ができないとバランスが悪いものになってしまう。そろばんが、こんなところで生きている(笑)。映画って「時間の芸術」です。それは詰まるところ計算すること。
映画は、そうやって構築していくものです。

編集後記

――ありがとうございました!静かに、ゆっくりと言葉を探しながら噛みしめるようにお話ししてくださった小林監督。映画を愛してやまないハートの熱さがフツフツと伝わってまいりました。私が拝見した「春との旅」の試写会は超満員で熱気ムンムン。映画が始まるや否や監督が紡ぎだしたお話の世界にスルスルと惹きこまれ、観終わってから本当に温かな気持ちになりました。世の中が元気でないこんな時代だからこそ、自分自身が投影できるリアリティたっぷりな映画が支持されるのではないでしょうか。監督のこれまでの作品も全部チェックしたくなりますよ!

取材・文/マザール あべみちこ

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第1章で、著者の旧作を簡単に振り返り、第2章以降では、日々の日記を公表する。 

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