【シリーズ・この人に聞く!第155回】小説家 平野啓一郎さん

kodonara

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“愛したはずの夫はまったくの別人だった。”という衝撃的な紹介文の新刊「ある男」。小説家デビュー20年の平野啓一郎さんに、本作のテーマ、物語に織り込んだ思い、そして幼少期のお話しまでじっくりお聞きしました。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)

小説家。1975年、愛知県生まれ。北九州市出身。1999年京都大学法学部在学中に投稿した『日蝕』により芥川賞受賞。数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2008年からは、三島由紀夫賞選考委員を務める。主な著書は、小説では『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』、エッセイ対談集に『考える葦』『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義」などがある。
2016年刊行の長編小説『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)は20万部を超えるロングセラーとなった。最新作は長編小説『ある男』。

 平野啓一郎公式サイト
k-hirano.com  

「自分とは何か?」をテーマに。

――「ある男」、とても読み応えがありました。物語の展開が美しい編み物の模様のようで。複数の社会テーマも織り込まれていて、読み進めながら感情が揺さぶられました。平野さんは本作どんなふうにテーマを決められたのですか?

「日蝕」(新潮文庫) 京大法学部在学中に執筆したデビュー作。

「日蝕」(新潮文庫) 京大法学部在学中に執筆したデビュー作。

前作「マチネの終わりに」の延長として、前作とは違う作品という意識もあり、ひとつはアイデンティティーの問題です。「自分とは何か?」というのは、ここ何年も僕が主題にしてきたテーマです。過去の積み重ねが僕という人間を創り上げている。その過去は換えられるものなのか?ということを全編通したテーマにしています。生まれ育ちによって不幸な人生を背負ってしまう人がいる。それを克服できる人もいれば、人生の足かせとなってしまう時に「もし違う人生だったら」と考えるのではないか、と想像したのです。そこから他人の過去を生きるという着想が生まれて、身近な人間が抱えていそうな問題に焦点をあてて「人間的なやさしさ」をテーマにしようというのがありました。読者が現実に疲れている気がして、そういう中でどういう本を読みたいか。その辺りから着想しました。

――死刑制度、在日韓国人、病気の子どもを亡くした母親…など、一つひとつが深くて考えさせられます。ライトにさらっと読める小説はいくらでもありますが、きちんと小説と対峙しないとストーリーに置いて行かれてしまう。物語は書き進めるうちに登場人物が自然と動くものでしょうか?

順序だててうまく説明できませんが、社会自体が複雑になっている。社会的な問題が絡まって、ひとりの人の行動や境遇に至っているはずなのに、それを全部取り払ってしまうことによって本人の問題という自己責任論になってしまう。それに対して僕は反対です。そうするとやはり構造的な問題を描いてゆかないとならず、どうしても社会的背景や今の風潮を丁寧に描きこまないといけない。ただ情報量も増えて話が複雑になりがちなので、メインのプロットはきれいな線を描いて、流れるように仕上げながら、深く読み進めるうちにそれぞれの層に読み解くべきテーマがあって、最終的には言葉にできない主題にまで読者がたどり着く。そういうデザインのようなことは意識しますし、どちらかといえば技術的なことです。

――まさにデザインですね。それは最初の小説から意識されていたことですか?平野さんにとっての小説とは?

デザインという言葉を使って意識し始めたのは「かたちだけの愛」からです。プロダクトデザイナーを主人公にした話です。その前後からデザインに関心がありましたが、改めてデザイナーの仕事に注目して取材をしました。その発想は文学にも必要だと思うようになって、それまで自分なりに考えていたことがよりクリアに把握できるようになりました。でも、「ある男」はかなり苦労して書きました。小説を書くことは好きでやっているのが半分。もう一方では読者がいて、人は小説に何を求めているのかを考えています。僕自身、小説を読むことで人生救われたという意識が強いので、自分が書くものも現実世界で生きていくことが満たされない人のささやかな喜びになるといいなと思っています。

――平野さん小説家デビューのきっかけは、京都大学法学部在学中に執筆した作品が芥川賞受賞でした。在学中に賞を取るという目標があったのですか?

そんなことは全然考えていなくて。大学に入ったくらいから、小説家になりたいと思っていました。初めて小説を書いたのは高校生の頃でしたが、その時はただ書きたくて書いたので、作家になりたいなどと思わなかったですし、なれるとも思っていませんでした。大学生になってまた小説を書き始めて、学年が上がっていくにつれ何の仕事に就くか?深刻に考えるようになりましたし、小説家になれたらいいと思っていましたが、賞を取ろうとは思ってなかったので受賞にはビックリしました。
京大法学部は入学時点で半分くらいは弁護士、官僚になりたい人。あと半分は文系にありがちな何になったらいいかわからない人で法学部ならつぶしが利くと思っている。僕もどちらかといえば後者のタイプでした。今回本を書くにあたって5,6人の弁護士に取材をしましたが法学部出身なのに知らないことが多すぎました(笑)。

受験を経て私立中学から公立高校へ。

――高校時代に初めて小説を書いた…という平野さんは、小学生の頃はどんな本を読んでいましたか?

「ドーン」(講談社文庫)人類の未来に希望はあるか?Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞作品。

「ドーン」(講談社文庫)人類の未来に希望はあるか?Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞作品。

僕は本を読むのが好きでなかったんです。ほとんど読まなかったのですが、学校では読むように推奨されていましたから、図鑑や江戸川乱歩の少年探偵シリーズが学校の図書館にあったので、そういうのは読みました。高学年になると学級文庫で日本の名作があったので、「坊ちゃん」とか読み始めました。その頃はあまり本に関心がなかった。

――本以外に関心があったという小学校時代は、どんなふうに過ごされていましたか?

外で遊ぶのが好きな普通の小学生でした。小学3年生頃から「キャプテン翼」という漫画が流行りだして、それまで野球をやっていた友達が皆サッカーを始めたので僕もそうした。小学生の頃、勉強はできましたね。中学受験をして私立に進学したので、公立に行った友達よりも少し勉強はしていました。僕の行った私立は元々女子校で、当時女子は小中高とあったのですが、男子は小中のみで。高校になると他に行かないとならなかった。それで地元の公立高校へ進みました。

――おもしろい経歴ですね。お勉強ができたでしょうから、何処に行っても一目置かれた存在だったのでは。

受験して入った私立中学は、ラ・サールなどの進学校へ行くために入学してくる男子が多かったのですが、僕は全然そんなつもりはなくて。8歳上の姉がその学校出身で、母も私立中を勧めていたので。勉強は、好きではなかったですが小学6年生の終わり頃に、エレキギターを買ったので弾けるように練習するのは好きでしたね。中学では何かしら部活動に所属しないとならず、文化部は地味で不気味でしたし、体育系だと卓球かテニスが楽だと聞いて。卓球は室内で暗くてユニフォームもダサかったのでテニスに…幽霊部員でしたけれど。

――小6でエレキって早いですね!では中学では放課後さっさと帰宅してエレキの演奏を?反抗期とかありました?

姉が当時「ベスト・ヒット・USA」とか観ていたので音楽は影響をうけました。医者になった姉は理系の人で小説とかあまり読まないし、小説を読んでものすごく感動したとかいう話を聞いた記憶がないです(笑)。仲はいいですが、僕とは全然違います。反抗期、僕はなかったと思いますが、母親に言わせるとあったそうです。進学した私立中学がカソリック系の学校でしたから宗教の授業にはすごく反発していて、中学時代はちょっと困った生徒…ということになっていたと思います。キリスト教について、シスターの校長先生と面談で議論をしたり。中学生の頃は道徳の授業で、聖書を使っていましたから。福音書に書かれていることがおかしいんじゃないか?と納得できなくて。

AI時代にクリエイティブな力を。

――物事を自分の視点で捉えて、迎合しない姿勢は当時からでしたか!平野さんは中学生の頃、何か書いたりされていましたか?

「かたちだけの愛」(中央公論新社)それぞれに見失っていた「愛」を取り戻そうとする著者初の恋愛小説。

「かたちだけの愛」(中央公論新社)それぞれに見失っていた「愛」を取り戻そうとする著者初の恋愛小説。

当時は、自分の考えていることを書き留めておきたいと思ってノートに書いたり、日記みたいなものをつけたり…これは続きませんでしたが、ちょこちょこ書き始めていました。小説ではなくて、思ったことの断片を。学校での作文は得意で、大体何か賞をもらっていました。それも振り返ってみれば…で、意識していたことではなくて。ただ、その頃はまだ小説を書きたいとかではなく、ぼんやり文系だと思っていましたが、何になりたいか?したいことがなかった。母方の家系は皆医者や歯医者なので、理系に進んだらどうか?と勧められましたが、僕はどうしてもその仕事に関心がもてなかった。ただ具体的に何になりたいかわからなかった。小説家になってからも何度かそうした主題で書きましたが、当時は悩みの種でした。

――幼少期の習い事は、何をされていらっしゃいましたか?

僕は自分からしたいことはなかったのですが、母がいろいろ習わせるのが好きでしたのでピアノ、スイミング、書道、剣道…など。通っていた保育園と同じ建物にピアノ教室があって、そこに小学校の途中まで通っていました。あまりうまくなりませんでしたが、楽譜は読めるようになって中学生になって自分でもう一度練習。やっていた時はあまり好きじゃなくて「男の子がピアノ習っている!」と言われるような田舎でしたから、スイミングスクールのバッグに楽譜を忍ばせてこっそり通っていました。姉は熱心に練習してベートーベンやショパンを弾いていました。僕が中学1年の時、姉は大学2年。喧嘩にもならなかったし、姉の友人にも可愛がってもらえて、文学ではなく音楽については影響が大きかったですね。音楽はアイデンティーに関わっています。登場人物を考える上でも、音楽を聴く人間かどうか?聴くならばどんな音楽か?など考えます。

――今、平野さんが注目していること。これから小説のテーマにもなりそうなことは何でしょう?

テクノロジーの進歩は、すごく関心があります。この10年位で社会をものすごく変えると思う。このあたり都内でも、昼ご飯の注文はタブレットに替わり、コンビニも無人レジの導入やタクシーやバスの自動運転も実証実験が少しずつ始まっている。そうした単純労働だけでなく、アメリカでは医学の分野でレントゲンから診断するのはAIのほうが人間よりも成績が上になった、という話がニュースになってました。画像診断はパターン解析だからAIが得意なんでしょう。そういう世の中で、自分もそうですが、子どもたちがどんな仕事をしていったらいいか、というのはかなり気になります。弁護士の相談や、医者の問診も、AIに仕事が部分的に代替される時代が来ると言われています。将来を担う子どもにどんな力をつけさせたらいいか、実質的に考えないとなりません。

――お父さんの立場として、子どもを育てるうえで大切にしていることを教えてください。

あまり小さい時に詰め込んでも意味がないと思っています。僕は田舎で育って、放課後はランドセル玄関に放り出して外でずっとザリガニ捕ったりして遊んでいたので、ほったらかしておかれたことがすごくよかった。東京の都心で暮らしていると、初等教育にクレイジーになってしまいがちなので、なるべくそこに巻き込まれないように伸び伸びさせたいと思っています。お膳立てして準備し過ぎると創造性が育たない気がします。

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