【シリーズ・この人に聞く!第128回】耳の聞こえない映画監督 今村彩子さん

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生まれつき耳が聞こえない映画監督 今村彩子が、2015年夏、自転車で日本縦断の旅へ。9月3日から上映される「Start Line」は、コミュニケーションをテーマにしたロードムービー。聞こえる、聞こえないに関わらずニッポン中のためらう人に観てほしい、勇気のおすそわけをもらえる一篇だ。どんな幼少期を過ごし、なぜ映画監督になったか?そして今作品に込めた想いをじっくりお聞きしました。

今村 彩子(いまむら あやこ)

Studio AYA代表/名古屋市出身
愛知教育大学卒業/大学在籍中にカリフォルニア州立大学ノースリッジ校に留学し、映画制作・アメリカ手話を学ぶ。現在、名古屋学院大学・愛知学院大学で講師をする一方、ドキュメンタリー映画制作で国内だけにとどまらず、アメリカやカナダ、韓国、ミャンマーなど海外にも取材に行く。主な作品である「珈琲とエンピツ」(2011)は全国の劇場で公開された。作品CMは第48回ギャラクシー賞CM部門に入賞する。東日本大震災の被災した聞こえない人を2年4ヵ月間取材し、「架け橋 きこえなかった3.11」(2013)を制作。ドイツの日本映画専門映画祭でニッポンビジョン部門 観客賞を受賞。全国各地で上映・講演活動をしている。

家族の死がきっかけとなり自転車で日本縦断の旅へ。

――新作「Start Line」マスコミ試写会で観覧して、これは多くの同世代、特にお母さんに観てほしいと感じました。本作は何がきっかけとなって撮影することになったのですか?

9月3日新宿Ks cinemaより全国各地で順次公開。

9月3日新宿Ks cinemaより全国各地で順次公開。

この作品は、個人的に自転車にハマっていたこと。私の母と祖父を続けて二人亡くしたことがきっかけとなりました。自転車で沖縄から北海道まで57日間、日本縦断の旅をします。映画館で上映された作品は3作目となりますが、撮影してきた作品としては27作目です。大学生時代から撮り続けて17年になります。

――台湾にも似ている作品があると知人から聞きましたが、伴走者テツさんや、奇跡的に出会う聴覚障がいのオーストラリア人ウィルのような登場人物は真似できないのでは?

その台湾の作品は、私も知っています。同じ自転車のロードムービーでも中身は全然違います。伴走して撮影してくれたのがテツさんだからこそ、この作品はできました。プロのカメラマンに撮影してもらうことも考えましたが、撮影は素人であっても自転車屋のテツさんは、私のダメなところも全部指摘しながら臨んでくれました。撮影をお願いしたのは、いい選択だったと思います。

――テツさんとの本気のぶつかり合いは何度も胸が熱くなりました。この作品のテーマはコミュニケーションですが、一番伝えたいことはどんなことでしたか?

コミュニケーションは言葉だけでなく、相手の表情や雰囲気もあります。聞こえないから情報を知ることができないと、ある時まで私は思っていました。でもオーストラリア人の聴覚障がい者 ウィルに出会ってから、彼の方が異国でコミュニケーションを取るのはもっと大変のはずなのに、うまく皆の輪の中に入っていけて楽しそうにコミュニケーションできていることに衝撃を覚えました。旅の最後3日間は私にとってはツライものでした。自分はなんてダメなんだろう……と落ち込みました。

――そこから這い上がって気づきがたくさんありましたよね。自分でカメラも回して編集も手がけられ、この作品テーマは最初から明確にあったものですか?

カメラを回した時間は349時間31分。この編集は膨大にあって大変でした。旅を振り返りながらの作業は、自分のカラダを自分で手術するような痛みを伴うもの。辛いことですが膿を出していると感じました。本人は冷静に見られないこともあったので、フリーのディレクターにも加わってもらって本格的に編集に臨みました。
20歳の頃からずっと作品を撮り続けていますが、コミュニケーションがうまい人がいると自分と何が違うんだろう?といろいろ観察する癖があり、そこに一番興味を持っていたのです。「珈琲とエンピツ」(2011)は、自分で壁を作らない人を描いています。その魅力をもっと知りたい…というのが撮るきっかけでした。そういうことが毎回作品テーマの根底にあります。そして、これからもドキュメンタリー映画にこだわり続けます。

小学校の優等生時代から、いじめと悶絶の中高生活を経て。

――小さな頃はどんなお子さんでした?

小学校低学年当時、お父さんと1歳下の弟と一緒に。

小学校低学年当時、お父さんと1歳下の弟と一緒に。

1歳違いで弟がいますけれど、ひとりで何かをするのが好きな子でした。本をたくさん読んで、物語を創ったり絵を描いたりするのが好きで、将来は童話作家になりたいと思っていました。言葉を覚えるため、3歳頃から絵日記をつける習慣がありました。最初は絵だけ描いて、文章は母が書いていましたが、そのうち文章を書くようになった私の言葉を母が添削してくれるようになりました。その繰り返しで文章を書くのが好きになったし、4コマ漫画を描くのも好きでしたね。

――うまれつき耳が聞こえない状態で、学校生活はどのように過ごされましたか?

小学校は親の意向で公立小学校の普通学級で過ごしました。聞こえる人の中で過ごしたほうが将来的に役に立つだろうという考えからでした。小学校入学時、私は4月生まれで体も割と大きくて足も速かったし勉強もできました。でも高学年になると男子は外遊び、女子は教室でテレビの話で、だんだん輪の中に入っていけず一人で本を読むことが多くなりました。

――授業だけでなく友達関係も大変なことが多かったのに頑張りましたね!中学校も普通学級に通われたのですか?

中学にあがるといじめがひどくなりました。小学校の頃は一人の先生が全教科教えてくれたので『口を読む』ことに慣れれば何とか勉強はできましたが、中学では各教科先生が違いますし、口を読み取りにくい先生の授業はわからないから勉強についていくことが難しくなりました。部活も厳しい上下関係があって……一日休んだら翌日登校ができなくなってしまった。でも母は無理やり車で送り、学校の前でおろされて…母も心痛めていたと思いますが、私も泣きながら登校。中学2年の頃が一番苦しかった。その後、聾学校に転校。初めは手話でコミュニケーションできなかったのですが、好きな先輩ができてから話したくて猛烈に手話を勉強しました(笑)。聞こえないおかげで、先輩と出会えてよかったと…聞こえない自分を肯定できた初めての出来事でした。

――人に恵まれる運命ですね。高校ではどんな学校生活を送られました?

高校を卒業したらアメリカの大学へ行きたい気持ちがあったので、聾学校の中でもレベルの高い千葉県にある筑波大学付属聾学校へ進学しました。そのために寮生活をして通いました。でも、そこでまた壁にぶつかり…バレー部に所属した私は、行動が生意気!と恨みを買われて孤立し…結局、エリート校から田舎にある聾学校へ転校しました。しかし、またそこでもうまくやっていくことができませんでした。「私はあなたたちと違う」という私の意識がどこかで出ていたのでしょうね。楽しい学校生活を送りたいけれど、もう傷つきたくない。そんな時担任の先生から「生徒会長やってみないか?」と声を掛けてもらった。立候補して生徒会長に就任してから、やっと道が拓けてきました。

6年間ピアノを習い、音楽大好きに。

――映画が好きになるきっかけは何でしたか?

今は亡きお母様と、幼稚園時代。

今は亡きお母様と、幼稚園時代。

テレビには字幕が無いので観ても楽しめなかった。家族は皆聞こえるので楽しんでいましたが。そんな時、父が字幕付きの洋画なら楽しめるのではとレンタルビデオ屋さんで借りてきてくれた最初の作品が「E.T」でした。そのおかげで家族と一緒に楽しめるようになって、父は毎週欠かさず洋画を借りてくるようになりました。好みが偏っていて「ダイハード」「ロッキー」などアクションものばかりでしたが(笑)。でもアクション映画はストーリーが単純明快で最後は正義が勝つものばかりで観ると元気になって、明日からもがんばって学校へ行こうと思えました。私も自分の撮る作品で、人の心を元気にしたいと思うようになりました。

――子どもの頃に何か習い事をされていましたか?

絵とピアノと習字を習っていました。ピアノは母の教育方針で小学校6年間通いました。音階もリズムもわかります。いろんな音があることを知らせてくれました。聞こえないからこそ多くの機会を与えてくれる母でしたので感謝しています。おかげで今も音楽は大好きです。

――亡くなったお母様は聞こえないからこそ彩さんをすごく大切に育ててくれたと思います。将来、自分の子がうまれたらどんなふうに育てたいですか?

母は絵の教室へ通わせてくれただけでなく、小学4年生の時に自費出版という形で創作絵本も作らせてくれました。新聞にも「彩子の童話」と載ったりして。好きな絵とお話づくりを自由に伸び伸びとさせてくれました。だから、自分の子にも同じように好きなことをさせてあげたいです。

――少し前に神奈川県内の障がい者施設で殺傷事件がありました。障がい者を誤解している人へ一言お願いします。

亡くなった方の名前が新聞に載っていなかったことに、まず違和感を抱きました。親が掲載拒否をするのかもしれませんが、名前は生きてきた証になります。例えば目の見えない障がいをお持ちの方に「見えなくて大変だ」と私は一方的に思っていましたが、その方はおしゃれに気を遣う人で「見える人への配慮」を欠かさない人でした。自分と違う立場を思いやる意識は、生きる意欲そのもの。私たちは障がい者についてまだまだ知らないことがたくさんあります。そして私にとっては、子育ては未知の世界。聞こえないで子どもを育てることってどうすればいいのかを知りたいし、教えてほしいですね。

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

自転車日本縦断ロードムービー「Start Line」
 自転車日本縦断ロードムービー「Start Line」
studioaya.com  

『耳、聞こえません。コミュニケーション、苦手です。そんな私の沖縄→北海道57日間自転車旅。』

生まれつき耳が聞こえない映画監督、今村彩子が自転車で沖縄から北海道まで走り抜けるドキュメンタリー映画。

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