【シリーズ・この人に聞く!第49回】パラリンピック競泳金メダリスト 成田 真由美さん

kodonara

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アトランタ、シドニー、アテネ、北京と4大会連続してパラリンピックに出場し、合計15個の金メダルを獲得。そのうち13個は世界新記録。その圧倒的な強さから「水の女王」と呼ばれる成田真由美さん。中学生の頃、横断性脊髄炎のため下半身が麻痺したものの、泳ぐこととの出会いで人生を切り拓くことに。現在は車椅子で毎日アクティブに生活されています。どんな困難も乗り越えてこられた成田さんに、「克服するちから」についてお聞きしました。

成田 真由美(なりた まゆみ)

1970年、神奈川県川崎市出身のパラリンピック水泳選手。
13歳で「脊髄炎」を発病、両下肢麻痺となる。
1993年身障者国体に出場(陸上)、1994年東北身体障害者水泳大会に出場。2種目で大会新記録を出し優勝。
1995年プレパラリンピックアトランタ大会出場。1996年アトランタパラリンピック大会出場。6種目に出場し、金メダル2個・銀メダル2個・銅メダル1個獲得。2000年シドニーパラリンピック大会出場。7種目に出場し、金メダル6個(世界新5)・銀メダル1個獲得。2004年アテネパラリンピック大会出場。
8種目に出場し、金メダル7個(世界新6)・銅メダル1個獲得。2008年北京パラリンピック大会出場したもののクラス分けの変更があり、それまでより障害が軽いクラスに入れられたために苦戦しメダル獲得はならなかった。

勝つために泳ぐ。そのための日常

――成田さんは4度もパラリンピックに出場されて、その合間に手術や入院を何度も経験されながら泳ぎ続けています。先日も大きな手術をされました。勝つためには体調が肝心ですが何度もの手術、不安ではありませんでしたか?

パラリンピック前は練習もきつくなるため、必ず定期的に体のケアを行う。

パラリンピック前は練習もきつくなるため、必ず定期的に体のケアを行う。

股関節の手術だけでも、この3年間で4回も受けています。手術をしても薬を飲んでも治らない病気もあるのに、手術をすれば治るなら恵まれています。
手術をすればまた泳げるようになる。手術への不安より早く泳ぎたいという思いのほうが強いんです。入院するたびにお友達をいっぱいつくるのが楽しみ(笑)。周りの人たちは大丈夫?と気遣ってくれますが、何ごとも考え方だと思います。
確かに落ち込んでしまう材料はたくさんありますが、病院のスタッフはどんな人たちだろう?病院食にその土地のおいしい名物は出るのかな?など、そんなふうに入院中の楽しみを考えれば楽になります。
また、そういう気持ちのほうが絶対病気も治るはずですから。

――持って生まれた強さはあるかもしれませんが、スイミングで鍛えることで精神的にもっと強くなったというのは?

水泳を始めてから、タイムを伸ばす楽しさを知りました。タイムを縮めるために練習を重ねますが、楽な練習をしてもタイムは伸びません。限られた時間の中で中身の濃い練習をすると決めて、自分自身が鍛えられました。私には、「パラリンピックでメダルを取る」という明確な目標があったので、そのために何をしなければならないのか?ということは身にしみるほどわかっています。ですから、子どもたちが習い事をする場合でも同じように、「どうして泳ぐのか?」を考えてほしいんです。何ごとも好きという気持ちが基本にないと長くは続けられません。
目標があると日々の生活も頑張れる。私なんて水泳のために日中は動いているようなものです(笑)。今回の手術も「泳ぐため」の手術、ご飯を食べるのもインフルエンザにかかって泳げなくなったら大変だから。私にとって食べることも、眠ることも、日常の全てが今は水泳のためと言っても言い過ぎではありません。

――目標は次のロンドン・パラリンピックでメダルを取ることですよね。練習は毎日ですか?1日にどのくらい。

1日1時間半くらい、集中して泳ぎます。大会前の練習はとても激しいです。私は交通事故の影響で体温調節ができないので汗がうまくかけません。そのためコーチが泳いでいる私にホースで水をかけて私の体を冷やしてくれます。背泳ぎの時は特に顔にかかりますので息ができない。だから余計にちょっとしたいじめに見えるみたいですよ(笑)。練習終了後のコーチは爽やかな笑顔なので、きっと私の練習でストレス発散していますね!

――メダルを獲得するにはコーチとのコンビネーションも大切と思いますが、何か思い出深いエピソードはありますか?

そうですね。コーチには95年から指導を受けているので、かれこれ15年の付き合い
になります。思い出と言えば、はじめてのパラリンピック、アトランタの時ですね。
パラリンピックには、自分のコーチを連れては行けないのです。その心細さもあって、コーチに思わず「勝てるかな?」って聞いてしまった。そうしたら「おまえさ、勝つんだ!って気持ちで行けよ。勝てるかな?じゃあ負けるよ、その試合」と言われました。
気持ちの持ち方は勝敗につながる。アトランタ前にコーチにそう言われて以来、どんな試合に行っても、私は勝つためにここにいると思って泳いでいます。
パラリンピックでは、皆緊張しています。『私は勝つためにここにいる。あんたになんか負けないわよ、ふん』くらいの気持ちでいないと(笑)。

ちょっとした一言で、力が発揮できる

――ひのき舞台に出る選手は皆すごい精神力なのでしょうね。緊張する、しないはタイムに影響がありますか?

公演中に取得した金メダルは、観賞用として手を触れる体験も。そのずっしりとしたメダルの重みに誰もが魅了される。

公演中に取得した金メダルは、観賞用として手を触れる体験も。そのずっしりとしたメダルの重みに誰もが魅了される。

パラリンピックのような大きな大会では、緊張するあまり泣いてしまったり、腕が回らなくなった選手もいます。でも緊張しないからいいタイムが出るとも限らない。心地いい緊張は味わったほうがいい。腕が生まれつきないトモタロウという選手が出場する時に「予選で見たけれど、トモタロウの泳ぎが一番いい。絶対メダル取れるから自信もって泳いでおいで」と、お尻をパンと叩いて送り出しました。実は私、トモタロウの予選での泳ぎを見ていなかったんですけれどね(笑)。
結局、彼はメダル取りましたよ。そういう時の言葉って大事なんです。
また北京パラリンピックの時、私は女子キャプテンでしたので、選手を送り出す時は一人ひとりに一言メッセージを書いて渡していました。でも、そういうのも嫌々やっているわけではなくて、好きでやっているんですね。ちょっとした言葉で緊張が解けたりしますから。

――言葉の魔法ですよね。やっぱりほめる言葉って、持っている力を後押しするんですね。成田さんはいろんな学校で講演をされていますが、子どもたちから感じることは何かありますか?

小学校で講演風景

小学校で講演風景

最近、目標のない子が多いように思いますね。
今が楽しければそれでいいみたいな……。また地方の学校の子どもたちには、いたわりの心が自然に身についているような印象を受けます。私の車椅子を頼まなくても押してくれたりしますから。やはりそれは、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んでいる子どもたちが、都会に比べて多いということに関係があるのかもしれません。家の中に車椅子で生活している人がいると、何をすればいいか自然とわかりますから。
あとね、校長先生の元気がいいと、その学校の子どもたちも元気がいい。しっかり目を見て挨拶をしてくれるし、質問も活発にしてくれる。笑顔もたくさんある。今は挨拶さえできない子も増えていますからね。子どもの気持ちに寄り添ってあげることが大事なことだと思います。

――心に寄り添うことは一番大事なことですが、家庭でも学校現場でも大人が心の余裕がなかったり、失敗体験や感動体験とか少ないと心から伝えるような言葉がけができない。本来の学校って、毎日が驚きでいっぱいなはずなんですけれどね。

講演に行くと、先生が「うちの学校には素行の悪い生徒がいるから、御迷惑お掛けするかも」と事前に言われたりします。私の車椅子の前輪はライトがチカチカ点滅するのですが、特攻服を着たツッパリくんがそれを見て「成田さんの車椅子、かっこいいっすね」って。「あんたたちの制服もかっこいいよ」と返すとちょっとうれしそうにしたりするんです。本当は皆、一人ひとりはまだ幼いしかわいい。集団になると悪さしちゃうみたいですけれど。

――成田さんの講演を聞いて、皆がどんなふうに感じたか聞いてみたいです。成田さんの生き方を知って、人生変わる子もいるんでしょうね。

ある病院にリハビリへ行った時に、そこの理学療法士さんが「成田さんの講演を聞いて、この仕事に就いたんです」と言った人がいました。そうか、一生を変えるきっかけになったんだなぁって思いました。本当にいろんな出会いがあります。
ある時、横浜市内の小学校6年生のクラスに呼ばれたことがあって、講演後しばらくしてからクラスのある女の子が骨肉腫になってしまった、と先生から電話をいただきました。卒業式の3日後に手術で片足を切断したそうです。「片方の足を失くしても、もう片方がある。もし、もう片方を失くしても車椅子がある。失くしたものを嘆くより、残された可能性でも生きられる。骨肉腫を克服して活躍している選手も大勢います、だから親御さんにも気落ちしないようにお伝えください」と、お話ししました。その後、彼女はすごく勉強を頑張って、市内でも有数の進学校へ合格し、さらに都内有名私立大学へ進み、一般企業へ勤めて、今は実家のある地方へ戻って病院事務の仕事をしています。今はもうガンも完治しているはずです。講演後のエピソードには、そういう話がたくさんあるんですよ。

失敗も糧になる。無駄なことは一つもない

――小さい頃はどんなお子さんでした?

姪っ子さんと神戸旅行でのツーショット。

姪っ子さんと神戸旅行でのツーショット。

学級委員をやったり、ガールスカウトでいろんな活動して老人ホームを慰安したり。
なぜかクラスで「ナイチンゲール」と言われていました。そのくせ小学校時代はプールが大嫌いで、わざと見学したりしていました(笑)。
4つ上の姉がいます。私の体が大きいせいか、なぜかいつも私が姉に見られるんですけれど。

――まだ幼い頃に入院をされて、学校の勉強も大変だったことでしょう。

ご近所の皆さんと一緒に。右後方のメガネをされているのがお母様

ご近所の皆さんと一緒に。右後方のメガネをされているのがお母様

中学、高校、大学時代も入院していたので、私にとって家族の存在は大きいものです。今、姉の子が3人いて、上から長男(高3)、長女(中3)、次男(中1)です。
皆、私を慕ってくれるので、私も彼らの面倒をよくみます。次男は小6になってから急に受験を決意し、準備期間も短かったので結果は残念でしたが、一年間頑張ったのは全然無駄ではなかったです。
現に今、公立校へ通って成績はトップクラスみたいです。一所懸命に経験したことは必ず自信になりますし、高校受験でまたチャレンジすればいい。とにかく、子どもはまず元気でいてくれればそれでいいんです。病気しちゃった私は、親不孝でしたけれどね。その分を取り戻すということでもないのですが、今は月1回旅行に連れて行ったり、外食をしに行ったりしています。

――成田さんは病気になってもパラリンピックで金メダルを何個も獲得されて、世界新記録もいくつも出して。それだけでもたくさんの人に夢を与えていますし、十分親孝行をされていると思います。ところで※北京オリンピックは悔しかったですね。ロンドンへ向けて成田さんの想いは?

※クラス分けの変更。それまでより障害が軽い(より体の自由がきく選手が多い)クラスに入れられたために苦戦し、北京ではメダル獲得にならなかった。

北京大会では、現地に入ってからのクラス分けテストで、一つ障害の軽いクラスに変更になりました。日本を発つ時に出場すると思っていたのとは違うクラスで、本番で戦うことになったんですね。クラスを変更された時はもちろんショックでしたし、戸惑いました。でも、私には棄権をするという選択肢はありませんでした。パラリンピックで泳ぐために北京に来た。そして北京で泳ぐために股関節の手術をしたのですから。泳ぐことが私の生きがいなのです。ですから、気持ちを切り替えることだけに気持ちを集中させました。
結果はすべて5位でしたが、あの時に自分にできた精一杯の結果だと思っています。
ただ、ロンドンではクラス変更を受け止めた上で、しっかりと練習を積んで挑戦をしてみたい。世界のレベルは年々上がっているので、メダルには届かないかもしれませんが、1ランク上のクラスでも覚悟を決めて練習をしたらどういう結果になるのか、自分自身が知りたいのです。
私の可能性を私が試してみたい。今から楽しみです。

編集後記

――ありがとうございました!以前ある講演でお話をお聞きしてから、ずっと成田さんのことが忘れられずにおりました。念願かなって今回取材を名目にお目にかかれ本当にうれしかったです。HPもBlogもされていない成田さんですが、その魅力的なお人柄は講演などで、たくさんの方に聞いていただきたいと思います。パラリンピックでメダルを獲得するには、ものすごく厳しい練習と強い精神力を要求されることでしょう。どうかお体に気をつけてロンドンパラリンピックで華を飾ってください。応援しています!

取材・文/マザール あべみちこ

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