【シリーズ・この人に聞く!第158回】コピーライター キリーロバ・ナージャさん

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世界5カ国の小学校を転校した体験をもつキリーロバ・ナージャさん。ユニークな教育の違いを絵本「ナージャの5つのがっこう」で紹介し『日本のふつうは、世界のふつうではない!』ことを愉快に伝えています。ワクワクしながら通いたくなる学校とは?これからの教育についてお聞きしてみました。

キリーロバ・ナージャ

コピーライター/クリエイティブディレクター。ソ連(当時)レニングラード生まれ。数学者の父と物理学者の母の転勤とともに、6カ国(ロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ)の各国の地元校で教育を受けた。電通に入社後、様々な広告を企画、世界の広告賞を総ナメにし、2015年の世界コピーライターランキング1位に。その背景にあった世界の様々でアクティブな教育のことを、コラムとして連載し、キッズデザイン賞を受賞。「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」設立。好きなものはゾウと冒険。

世界にはいろんな選択肢がある。

――「ナージャの5つのがっこう」で描かれている世界5か国の小学校の違いは、大人が読んでもそうだったのか!という気づきが得られます。どんなきっかけで絵本にされたのですか?

ロシアでは1年生は給食を食べた後お昼寝タイムがあった。(8歳の頃)

ロシアでは1年生は給食を食べた後お昼寝タイムがあった。(8歳の頃)

小学校1年生以降、半年から1年ごとに転校していたので、私にとって「転校」は特殊というよりむしろ普通のことでした。ある日、偶然自分の体験を話す機会があって、みなさんとても興味津々に聞いてくださって、初めて「これって面白いことなのか!」と気づきました。考えてみると、最先端で教育比較を研究している先生はいらっしゃいますが、実際に毎年違う国の学校を体験した方ってあまりいないんじゃないかなって。それと、ひとつの学校にしか通ったことがないと、まさか全然違う学校があるとは気づきづらいし、もし、今の学び方が合っていないなら、他の選択肢があることもわからない。自分の体験を伝えることで誰かの刺激やキッカケになるんじゃないかと思ったんです。

――今、教育界ではアクティブラーニングという言葉をよく聞きます。ナージャさんの体験がまさにそれかな?と思いますがいかがですか。

一般的にアクティブラーニングは、「主体的な学び」、「対話的な学び」、「深い学び」のことですね。私はさらに、多様な人と答えがない問題に取り組むのも大事なポイントだと思っています。それってまさに私が各国で体験していたことかも!とちょうどタイミングもつながって、数年前、社のwebメディアで連載コラムを執筆し始めました。いろんな切り口で、例えば「筆記用具がペンの国と鉛筆の国があるのはなんで?」など小学生時代を思い出しながら15回の連載を書きました。それをみた出版社の編集の方から子ども向けにもこの話を伝えてほしいと絵本の依頼がありました。いろんな学び方や学校があることを知れば子どもたちの今後の学びが変わるかもしれないと思い、「喜んで!」と即答しました。

――絵本の前にコラムがあったわけですね!それもぜひ読んでみたい。国の教育の違いでわかりやすい例はありますか?

私が体験したことだと例えば、水泳教室です。旧ソ連の時に水泳を習い始めましたが、学校にはもちろん街にも数か所しかプールはなくて。プールの底が暗めな色で5歳の私にとっては水深もわからず最初少し怖かったです。ロシアは主にスピードを競います。先生が「サメがいるぞー!」というと皆信じてしまうので死に物狂いで泳ぐ(笑)。1年くらい習って、まあまあクロールで速く泳げるようになりました。それで日本へ転校してスイミングクラブへ自信満々で行ったら、形が全然ダメと指摘を受けまして。形、水しぶきの量、息継ぎはこっちからする…など泳ぐのに細かいルールがあることを初めて知りました。速く泳げても日本では基礎や形が大事なのだと気づいたんです。

――すっごくわかる。おもしろいですね!日本は皆が同じスタイルになれるように形を重視するのかも。他の国はいかがでした?

日本の次にアメリカに行って、またスイミングスクールに通いました。もうスピードも形もマスターしているから大丈夫!と自信満々で行ったら…。アメリカではまずプールで浮いてみて、と言われて。浮いてみたら、「まぁできたけれど、何かあったらあなたたぶん助からないよね…」と。そこではスピードや形よりも、いかに水の中でサバイブするかが大事で、横泳ぎをマスターしてからふつうの泳ぎを練習。その後、カナダでも水泳を習いましたが、これまでよく辞めなかったね!とまわりから言われるほど、各国の私が通った水泳教室はやり方が異なっていて面白かったです。

言葉の勉強より、自分の立ち位置を学ぶこと。

――ナージャさんはロシア生まれで、その後、時系列でどこの国へ転校を?語学を修得するだけでも大変な経験だったと思いますけれど。

イギリスのクラスは「8・9歳クラス」と年齢でクラスを呼んだ。(8歳の頃)

イギリスのクラスは「8・9歳クラス」と年齢でクラスを呼んだ。(8歳の頃)

旧ソ連で生まれ小学1年生の7歳までロシアで育ちました。その後、日本の京都で1年、イギリスで半年ちょっと、フランスで1年、日本の東京で1年、アメリカで1年、また日本で1年、カナダで2年ちょっと、そしてまた日本へ。日本だけでも京都、東京、名古屋、札幌…と転々と。実は私、めちゃくちゃ人見知りなので、学校では全然しゃべる子どもではありませんでした。言葉がわからないから、先生が日本でいうところの「今日からお友達の・・・」と紹介しているらしい感じはわかっても、一言もしゃべれないので黙ってニコニコして終わり。しゃべれないから観察していると段々状況がわかってきます。皆、転校生に興味があるし、3か月くらい経つと自然となんとなく少し会話もわかるようになって、この言葉とこの言葉はこういうことかも!と気づくんです。語学は、花粉症と一緒だと思っています。自分の中に溜まってくるとある日しゃべるようになるので(笑)。

――語学は花粉症!耳から修得する良い事例ですね。学校嫌だな~行きたくないなぁ!と思ったことはありませんか?

体育の時間がないフランスでは、体育の時間は公園でフリスビーをした。(9歳の頃)

体育の時間がないフランスでは、体育の時間は公園でフリスビーをした。(9歳の頃)

どの国でも最初は多くても会話の2割くらいしかわからなくて、小学校時代は先生が言っていることがほとんどわからない時間が長かったです。やっと慣れた頃にまた次の学校へ転校…の繰り返しで、それが普通だったし、短い間だと知っていたから特に嫌だと思いませんでした。家ではロシア語で国語と算数の勉強を母が教えてくれていたこともあり何とか2科目はできたので、両親は学校では楽しんでくれればそれでいい、という考えでした。今から思うとそれがよかったのかもしれませんね。

――世界各国の学校を体験されて、この国は印象深い!というところはございますか?

イギリスは5,6人でひとつの机を囲んでグループワークをするチーム制で、得意科目の違う子が集まって、生徒同士教え合いながら勉強していました。そうするとわからないことがあっても悪目立ちしない雰囲気だから、わからないコンプレックスがあまり生まれない。でも難しい算数の問題が解けたからといって自分の手柄になるのではなく、わからない子に教えてあげることは、最初カルチャーショックでした。もっと速く!もっとうまく!という競争の国からやって来て、人に教える楽しさや、自分の知っていることをシェアする喜びを体験して衝撃だったのと、どういうふうに伝えるとわかってもらえるのかを知ることができました。同じ「学ぶ」なのに思想がこんなに違うんだなあって。

――文化が違う国でそういう体験ができたのは素晴らしいですね。他にもありましたか?

フランスの学校も良い意味で刺激的な発見がありました。フランスでは外国人クラスというのがあり、小2から小5くらいまでが同じクラスで1年くらいフランス語をメインに習うシステムでした。10か国くらいから集まっているそのクラスに私もいました。フランスはよく議論をするので、言いたいことがあるからしゃべるようになる学習スタイル。ある時、何かについて話す時に「特に主張したいことがないのは、もしかしたら言葉の問題ではなく、自分の立ち位置がわかっていないから主張できない」ということに気づいたんです。例えば宗教の話をする際も、自分の家の宗教はなんだっけ?なんでなんだっけ?と改めて振り返って家族に聞いてみたりする。そうすると「自分はこういう人である」と少しずつわかります。その観点から自分の意見を主張し、他の意見が聞きたくなるからしゃべるようになります。いろんな人がいる中で、自分は何を大事にしているのかが、わかるようになりました。コミュニケーションの醍醐味をしった瞬間でした。

答えのない問題に取り組んでみる。

――日本の小学校も2校通われましたが、ナージャさんが日本っておもしろいと思われたのはどんなことでした?

ロシアでの習い事は本気モードで取り組んだ。(6歳の頃)

ロシアでの習い事は本気モードで取り組んだ。(6歳の頃)

みんなが出場する運動会です。ロシアはうまい人しか出られませんでした。スポーツも劇も合唱も一握りのうまい人が出て、他の人は観る側。日本は誰でも出られるし、チームワークもあるのでクオリティーが高いですね。体育でも鉄棒、球技、ダンスといろんなことを授業で学べるし、音楽も笛やピアニカなどいろんな楽器ができる。家庭科では裁縫からお料理まで。他の国なら多くの場合、個人で習い事に通わないと学べないようなことを日本は学校でできるのがすごいと思いました。

――そうなんですね!ナージャさんはクリエイティブの仕事をされていますが、この職業を選択されたのはどうして?

でも一番は、企画をするのがとても好きだったからです。これはカナダで中学時代を送ったことがベースにあります。カナダの私の学校では発表する、何かを創る、文章で表現する…といったアクティブラーニングな授業が多かったんです。例えば、自分が好きな生き物について発表する時、みんなにも好きになってほしいから伝え方を工夫するようになって。それって新しい勉強法だと思いました。私はどうしても語学に不利があったので学校のいわゆる勉強はあまり自信がなかったのですが、ここで与えられた課題をどう自分なりに解決するのか、どう弱点を強みにどう工夫して活かせるかの訓練ができました。今の仕事は、そこからの延長です。世の中の課題を解決するために言葉をつくったり、企画を考えたり。そういうことがとても好きなのです。

――ナージャさんが取り組まれている「こんなのどうだろう研究所」について教えてください。

アクティブラーニングには正解がないし、いろんなやり方があると思っています。私は転校体験に基づいて 、他のメンバーはそれぞれのやり方で「こんなのどうだろう?」と世の中になげかけています。私は教育専門家ではないけれど、研究所での活動を通じて視点を変えられたり、子どもたちの発想などが少し解放されるきっかけになるといいなと。他の国の良い点を持ってくるのももちろんいいですが、日本の教育の良さを再発見して、そこからオリジナルの進化を生み出せたらと思っています。例えば、教室で言えば、日本の教室の座席は、他国に比べて自由にレイアウトしやすい。いろんな学び方のカタチを子どもたちと試しながら反応をみて、彼らがワクワクしながら学べるヒントが見つかったらと思っています。

――自分の捉え方を伝えられるようにするって大事ですよね。では最後に、習い事を考える親世代へ何かメッセージをお願いします。

私がロシアにいた頃は、たくさん習い事をしていて、バレエ、バイオリン、水泳、英会話に通っていました。英会話は歌やゼスチャーで表現する小さな子が楽しめる内容でしたが、バレエとバイオリン、水泳はなかなか本気モードでした(笑)。怒られて号泣しながら踊る日もあったバレリーナの入門編のようなバレエレッスン。分数やイタリア語も習って先生とマンツーマンでバイオリニストを目指すレッスン。でも、どれも熱意のある先生から教えてもらえるのが何よりも楽しかったです。大人というのは情熱をもって好きなことをやっている人のことだ、と思いました。海外に行ってからは語学が不要なスポーツを中心に空手、テニス、バスケットボールなども通いました。習い事の先生に恵まれていたからかもしれませんが、教え手がもつ「想い」を知るのが楽しい。熱意に触れるところから違う視点で興味も湧きます。ある意味ちょっとした疑似転校気分かもしれませんね(笑)。 いろんなことができるチャンスが日本の学校にはあって、可能性を拡げるためには良い環境だと思います。転校してリセットしながら過ごしてきた私にとって、一か所で過ごしたらどうなるか?というのが逆に気になりますね(笑)。

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