【シリーズ・この人に聞く!第22回】日本バレエ界の草分け的存在 牧阿佐美さん

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バレエに関心がある方は「橘バレヱ学校」という看板を何度も目にされていることでしょう。たくさんの生徒さん、プリマバレリーナを輩出してきた最古参のバレヱ教室。今日まで日本のバレエ界を牽引されてきた方が、牧阿佐美先生です。プリマバレリーナとして活躍されていた時代、そして振付家として指導にあたられる今、道を究める厳しさと素養について語っていただきました。

牧 阿佐美(まき あさみ)

日本バレエ界の草分けの一人、橘秋子の長女として生まれる。
4歳で初舞台を踏み、1954年、20歳の時に米国に留学し、アレクサンドラ・ダニロワ、イゴール・シュヴェッツォフに師事する。1956年、橘バレヱ団を改名し、牧阿佐美バレヱ団が発足。クラシック作品から、創作作品まで多くの作品に主演する。
1962年および翌63年、第16回および第17回芸術祭・文部大臣奨励賞を連続受賞。
1968年には振付家としてデビューを果たし、「ブガク」(作曲:黛敏郎)「トゥリプティーク」(作曲:芥川也寸志)、「シルクロード」(作曲:團伊玖磨)を発表し、大きな注目を集める。その後も、アザーリ ・プリセツキー氏と1995年に「ロメオとジュリエット」、1998年に「椿姫」を共同振付し、高い評価を得る。
1971年に舞台を退き、橘秋子の遺志を継いで牧阿佐美バレヱ団主宰者、橘バレヱ学校校長に就任。以来、卓越した指導力で公演を実施するかたわら、精力的に後進の指導に携わり、日本を代表する舞踊家を数多く世に送り出す。振付家としても目覚ましい活動を続ける一方、海外から著名な指導者、振付家を招聘し、公演で大きな成果をあげるなど、わが国のバレエ界の発展に大きく寄与する。
1999年7月より新国立劇場運営財団にて舞踊芸術監督を務める。2003年に「ラ・マヤデール」、2004年に「ライモンダ」、2006年に「白鳥の湖」を新国立劇場バレエ団のために改訂振付・演出をする。
2007年には世界初演となる「椿姫」の振付・演出にあたる。
1996年紫綬褒章受賞、2004年フランスの芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

 牧阿佐美バレヱ団
www.ambt.jp  

続けられることも才能のひとつ

――プリマとして踊られていた頃から現在の指導されるお立場として、先生はもう何十年もバレエ界でご活躍されていらっしゃいますが、4歳で初舞台を踏まれたとか?

母の橘秋子が現役でバレエを踊っていた時に私が生まれました。母は踊りたかったものですから離れて暮らしておりまして、私は育ての親のもとに預けられて育ちました。週1回迎えにきて実家に連れて行かれましてね。母がバレエ教室をしていたので私は自然にバレエに慣れ親しんできました。疎開後は母と一緒に暮らしていました。小さな頃から自分はバレエがうまいと思い込んでいました。周りのお姉さんたちは、どうしてできなくて怒られているんだろう、なんて思っていました。もちろん子どもで、何もわかっていませんでしたから、母からしてみれば何の価値もない踊りだったでしょう。「どきなさい!」といわれても、「私はこんなにうまいのに、どうしてかしら」と思っていましたね。

――小さな頃から自信がおありだったのはすごいですね。やはり天性の才能をお持ちだったのでしょうか。

いいえ、そうではなく大人と子どもの次元ですから、実際は歴然と実力に差があるのです。何の世界でもそうですが、上手い人から下手な人を見ると、どこがダメかわかりますよね。ところが下から上をみても、どこがダメなのかわからないものなんです。それを自覚して、気づくのが大事なことなのです。

――バラバラの才能たちを指導されるのはとても大変だと思いますが、どんなことで一番苦労されますか。

スタジオで指導する牧先生。生徒一人ひとり指導法は異なる。

スタジオで指導する牧先生。生徒一人ひとり指導法は異なる。

バレエを踊るためにはまず、一人ひとりが自分の眼で自分のことが見えるようになることが大事です。己を知って、そこから頑張れる人はその先も伸びます。そこであきらめる人は、バレエには縁がなかった人なのでしょう。子どもの頃は別ですが、少し大きくなると「あの人は細くてきれいだけど私は太くてだめだ」「私は今はこんなだけど、もうちょっと頑張ってきれいになろう」と、個人個人でモチベーションが違ってきます。容姿も大きな要素のひとつなのです。それに気が付く時が、時期もさまざまなのです。稽古場で見るのと、舞台の上で見るのでは、見え方も違います。趣味としてバレエをするのなら教養の一つとして身につけるのもいいと思います。でも専門家になるには続けられるかどうか、それだけです。才能があっても辞めてしまえば、そこで終わります。子どもたちを指導していくなかで、才能があったほうがもちろんいいのですが、続けられることも才能のひとつなのです。

――なるほど、どんな職業でも通じていえることかもしれませんね。なかでもバレエは基礎が大切と思いますが。

日々のレッスンは、舞台に上がる限り、どんな大プリマもやり続けなくてはいけないことです。肉体が狂ってしまいますから。発声しないと歌が歌えないように、基礎レッスンをしていない体では作品を踊ってもきれいな線がでないのです。本当のプロは、すべての動きがクリーンなのです。そういう点を見る力があるかどうかですね。自分を見る力、人のいいところを盗む力。どちらも大切です。

まねでもいい、その人のいいところを盗むこと

――うまい人の真似をするってなかなか難しいかもしれませんね。

「ジゼル」出演: 牧阿佐美、遠藤展弘 プリマバレリーナとして舞台に立つ1960年代

「ジゼル」出演: 牧阿佐美、遠藤展弘 プリマバレリーナとして舞台に立つ1960年代

人のまねでいいから、いいものを盗みなさいというと、必ずといっていいほど悪いマネをするものなのです。いいものはなかなか盗めないのです。「うまれつきあの人は綺麗なのよ」と思ってしまう。生まれつきではなく、訓練をして綺麗な体になるのです。

――先生は子どもの頃、練習時間はどのくらいされていたのでしょうか。

実は私は、練習が嫌いで本番が好きでした。母に「ここはもっとこうしなさい」と指導されても、「いやだ!やりたくない」と部屋を出てしまう子でした(笑)。生徒さんは母が怖いからきちんと言いつけを守って、世の中で羽ばたかれていきましたね。(森下洋子さんも門下生でいらっしゃいました)私は自分のセンスと感覚で踊りたいほうでしたから。でもアメリカで勉強した後、20歳を過ぎてから、基礎がないといいものは踊れないと気が付いたのです。私はアメリカで自分ができていると思っていたテクニックができていないと指導者にいわれたのです。そこで徹底的にしごかれ、ひとつのテクニックを身につけるのに3ヵ月くらい掛かりました。

――アメリカでの体験が大きかったのですね。どのくらいの期間、滞在されていらしたのですか。

1年です。まだ1ドル360円の時代。日本からお金をもって渡航してはいけなかったから、いつもお金が無くて「お金がない!早く送ってくれないと死んでしまう!」なんて大きな字で手紙を書いたりしていました。当時のレッスンはクラシックはこの先生、キャラクテルクラスはこの先生、パントマイムはこの先生と、1日3レッスン強制的にやっていました。渡米した当初は語学なんてできませんでしたが、一人で暮らして、一人で勉強していて、それで日本へ戻ってきました。でも、ホームシックにもなれませんでした。毎日やるべきこと、覚えることがたくさんありすぎて、日本を思い出す時は、お金が無いときだけでしたから。

――すごい青春を送ってこられたのですね。先生のお考えになる、プリマに必要なこととはどんなスキルでしょうか?

96年英国ロイヤル・バレエ学校で卒業クラスにて。どの国でも英語で指導する。

96年英国ロイヤル・バレエ学校で卒業クラスにて。どの国でも英語で指導する。

自分自身を見ることができる力でしょう。軽業師になるわけではありませんから、身体能力はダントツに優れていなくても、普通もしくは普通より少し優れていればいい。音楽性、芸術性といった感性が必要となってくるのです。私は15,6才の頃、プリマとして真ん中で踊っていました。その頃は一番上手いつもりでいましたからね。ところが24,5才になると同じプリマで舞台にたっても周りがどう自分を見ているかわかるようになります。自分の踊り方で、周りの人が合わせられるのか。トップをやることによって人の気持ちや全体をまとめることも考えるようになります。踊りながら、冷たい空気、暖かい空気。誰が不満をもっている、客席さえも見えてわかってきます。私は、自分の人間性は、知らぬ間にバレエで創られたと思っています。バレエに育てられてきたといっていいと思います。

キャリアは多くの人に関わってこそ身に付く

――厳しい練習や素晴らしい舞台を経て、自分を見る力は少しずつ身に付くものなのでしょうか。

「トゥリプティーク」(音楽:芥川也寸志、振付:牧阿佐美、出演:牧阿佐美、畑佐俊明)20代のプリマバレリーナ時代

「トゥリプティーク」(音楽:芥川也寸志、振付:牧阿佐美、出演:牧阿佐美、畑佐俊明)20代のプリマバレリーナ時代

身につくものですね。環境の中で動物も性格がつくられてくると思います。いじめられている動物は縮こまってしまうし、噛み付くようになる。私にとっては、環境の中で自分が気づいて色々吸収できたのはラッキーなことでした。

――ずっとプリマでいらして、先生を妬む方もいたのではないかと思いますが、そういう中でどのような対応を?

相手が妬んでいると思うと伝わってしまうので、ポーカーフェイスです。しぜんに対応していると相手もそれに馴染んできます。目が見え始めると、妬まなくなります。実力は相手のほうが上なのだということがわかれば妬みません。競馬馬のように視野が狭いと周囲が見えなくなってしまって客観性を失います。指導者になると、自分が踊っていた時より、もっと妬みが見えます。人間ですから、妬みも僻みもあるのは仕方ないことです。でも、そういう気持ちになるのは自分が見えないから。同じレベルではなくて、自分の実力はまだまだなんだと受けとめられれば、ひがんでいる暇はありません。

――指導者としては、どんなことが大切でしょうか。

生徒さんへの接し方はそれぞれ別です。キャリアやレベル、性格によって言葉のかけかた一つにしても変わってきます。ダメなものはダメなのですが、「あなたダメでしょ!」という言い方ひとつで傷ついてしまう子もいますから。先生が上からものを言っても伝わりませんよね。相手からの思いやりを感じられれば大丈夫。コミュニケーションを取らないと、先生と生徒の間でも上手くいきません。

――先生は、キャリアやレベルは、どのように育てていくものとお考えですか。

キャリアは自分ひとりで培えるものではなくて、たくさんの人と関わって注意されて、訓練されて身に付くものです。要求されたことに応えるために、自分を育てないといけません。例えば、私が今回の作品「椿姫」で要求することと、外国からきた指導者が要求することは違います。踊りができないと見なされれば、外国からの指導者であれば帰ってしまうこともあるでしょうから、「とにかく踊れるように、真似をして盗みなさい」と生徒たちに言っています。バレリーナは数多くの一流の振付家にめぐり会って、非常に成長します。

――なるほど。こうしてお話しをされている今も先生は姿勢がとてもお美しいですが、小さな頃に身に付いたものなのですね。では、最後にバレエを習わせたい親御さんへのメッセージをお願いします。

子どもの頃に、体で覚えたことはずっと忘れません。私は今、レッスンこそ致しませんが、舞台の振付指導をしていても、言葉で伝えるよりも、思わず体を反って表現したり…ということもあります。周りの人が驚きますけれど(笑)。バレエは一人で舞台に立って踊れるものではなく、たくさんの人が関わるもの。お教室に通っていらしても、一人では何もできないんだということが肌でわかるようになると思います。そういう中で心も育ってくると思います。とにかく続けること。たとえバレエが合わないとしても、演劇や音楽など違う才能に目覚めることもありますから。続けることで気づくことがあります。

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