【シリーズ・この人に聞く!第95回】新国立劇場バレエ団の新プリンシパル 米沢唯さん

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舞台では別人のように見えますが、素顔は湯上りのようにほんわか暖かみのある米沢唯さん。数々の賞を獲得した実績を評価され、米サンノゼバレエ団の顔となりました。「火の鳥」や「くるみ割り人形」など看板公演の主役として舞台で踊っています。夢を掴むために幼少期からどんな努力をしてこられたか?注目のバレリーナへお聞きしてみました。

米沢 唯(よねざわ ゆい)

愛知県出身。塚本洋子バレエスタジオで学ぶ。国内国外の数多くのコンクールに入賞し、2006年に渡米、サンノゼバレエ団に入団した。主な受賞歴は、2004年こうべ全国洋舞コンクールクラシックバレエ部門ジュニアの部第1位、全国舞踊コンクールジュニアの部第1位、ヴァルナ国際バレエコンクールジュニアの部第1位、05年世界バレエ&モダンダンスコンクール第3位、06年USAジャクソン国際バレエコンクールシニアの部第3位など。2010年に契約ソリストとして新国立劇場バレエ団に入団した。2013年よりプリンシパルに昇格。

音楽好きで踊りだす女の子が3歳から始めたバレエ。

――米沢さんがバレエを習うことになったきっかけとは何でしたか?

「くるみ割り人形」クリスマスムードたっぷりの公演では、18,22日に金平糖の精を踊る。 撮影: 瀬戸秀美

「くるみ割り人形」クリスマスムードたっぷりの公演では、18,22日に金平糖の精を踊る。 撮影: 瀬戸秀美

音楽が好きで、それに合わせて踊りだすのを母がみて「この子は踊りが向いているかもしれない」と。日本舞踊でもダンスでもなんでもよかったと思いますが、たまたま母がバレエ団の新聞記事を見たのがきっかけで、3歳から塚本洋子バレエスタジオへ通うように。入団するにあたって両親が先生に会いに行きました。小さかったので先生との相性を見たかったのでしょう。クラスにぽんと入れられて、わけもわからず。1階がスタジオで2階から母がいつも見学していて、「やっぱりこの子は向いてないかも。でも楽しそうだからやるだけやらせてみよう」と思ったそうです。

――3歳でどうやってレッスンをしたのですか?送迎も親御さんがされていたのですよね?

母がメインでしたが父もたまに。バスに乗って通っていました。小さな頃は母が怖い存在(笑)。2階から1階のスタジオを観て、小さな私がバーにつかまってブランブラン遊んでいたり、先生のお話しをアクビして聞いてない様子だったりするのが、もどかしかったようで「ちゃんとしなさい!」とよく叱られました。でもスキップとか、音楽に合わせて体を動かすのが楽しくてイキイキしていたんですね。それが今なおずっと続いているような(笑)。

――好きを大事にした土台があるのですね。指導者の先生はどんなレッスンを?

3歳で教室に入って、半年後には最年少で専科クラスも受講するようになりました。それは私をずっと可愛がってくださっている塚本先生が「あの子、楽しそうに踊っているからやらせてみよう」と言ってくださったんですね。4歳前後でプレッシャーなどあるわけもなく、何が何だかよくわからないまま、お姉さんたちのクラスで一緒にレッスンをしていました。先生はとてもユニークなレッスンをされる方で、テクニックよりも感性を磨くレッスンでした。例えば、体の中心をわからせるためにおへそにバッテンマークをつけさせたり、ジャンプの練習をするためにゴム飛びをとりいれたり、大切なものを手渡すために折り紙を折ってそれを人に渡す練習とか……。

――演劇と共通していますね。バレエは「アン・ドウ・トロワ!」の練習だけでないのですね!

ひとつの唄をずっと歌う練習ではなく、イキイキと歌うためにどうすればいいか?ということを先生からは教わりました。私は塚本先生から叱られた記憶が無いんです。生徒の気持ちをのせるのがとても上手で、何かできない時は「あなた一緒にやってみて」と生徒同士競争をさせました。そうすると自ずと、できなかったことができるようになる。二回転しかまわらなかったのが三回転できるようになったり。バレエが大好きで、辞めたいと思ったのは大人になって挫折した時だけ。幼少期は楽しかったので全然ありませんでした。

渡米後の挫折と葛藤、そして父の死。

――小学校に上がってからは放課後ほとんどバレエのレッスンでしたか?

バレエは3歳から始め、楽しくて仕方なかった。

バレエは3歳から始め、楽しくて仕方なかった。

習い事をたくさんしていました。バレエはもちろんですが、長唄や三味線は中学生まで、ピアノは高校生まで続けていました。家に帰ると疲れて眠ってしまうので、学校の勉強は休み時間に集中してやっていたので学校のお友達が少なくて(笑)。バレエのお友達が一番多かったです。家にいないため反抗している時間もなくて、反抗期はありませんでした。

――たくさんの習い事から素直にいいものを吸収されたのですね。中でもバレエが一番好きでした?

高校生くらいになって、私が私自身として生きられる場は、やはりバレエだと気づきました。父も母も私のことをとても大切に育ててくれて、私中心に生活が回っている…という感じでしたが、子どもにとってそれはどこか重荷で。そこから唯一解放される場がバレエでした。自分の頭で考えて、両親の助けは得られない。舞台に立てば自分で踊るしかなかった。父も母もまっすぐな人でしたから、両親とは本音で話せる関係でした。
高校を卒業して大学へ進みましたが2年生の時、アメリカのバレエ団へ入団することになりました。私はずっと海外で踊りたい思いはありましたが、どうやったら海外のバレエ団へ行けるか何のマニュアルもコネクションもなくて。ひたすら国際コンクールに出続けていれば、どこかで誰かが見つけてくれる!と信じていたんですね。そうしたら「きみのことが気にいったからアメリカに来ないか」とあるディレクターの方にスカウトされ、その夢が実現したのです。

――素晴らしい!それは運が良いだけではなく、明確な夢を描き続けてきたからこそ叶えられたのですね。

今振り返ってみると身ひとつでアメリカへ旅立って、思いがけないことばかり。両親が付きっきりで面倒を見てくれていたことが海外に渡ってみてよくわかりました。バレエしかやってきてないから何もできなくて。お金の計算もしたことがなく、ご飯ですら自分の食べる量がどれだけかわからないから作るのも一苦労。言葉の壁は踊っていれば何とかなりましたが、日常生活を営むのが大変な状態で4年間のアメリカ生活は苦しい毎日でした。バレエ半分、日常生活半分の暮らしは人生初でしたからアンバランスになりました。

――100%バレエ生活のために海外留学しているにも関わらず、現実的にはそうではなくて。それはいつ頃解消できたのですか?

結局アメリカの4年間ずっと解消できませんでした。日本へ帰国して新国立劇場バレエ団のオーディションを受けて、合格してから自分を取り戻しました。環境を変えていいこともあります。そのきっかけになったのは4年前の父の死。自分が何者にもなっていないのに父が死ぬはずはないと思っていたら逝ってしまいました。幼い頃から父はとても私をかわいがってくれて、イクメンの走りだったと思います。もらえるものは全部もらい、話さなければならないことは全部話したので、ああすればよかった…という後悔の念がなくてむしろ満足感すらあります。悲しかったけれど泣きませんでした。

賞獲得より、全身全霊を賭けた踊りがすべて。

――お母様が厳しかったと先程おっしゃいましたが、こんなふうに今ご活躍されているのを一番喜んでくださっているのではないですか?

厳しい練習を超えて眠りにつかないと充実したと言えない。撮影:岡村昌夫(テス大阪)

厳しい練習を超えて眠りにつかないと充実したと言えない。撮影:岡村昌夫(テス大阪)

そうですね。でも母は昔から踊りそのものがいいかどうかをすごく重視していて、コンクールで入賞して表彰状やトロフィーをもらっても褒めてくれない人でした。家に帰ってしばらくして、もらったはずの賞状やトロフィーがどこにもないから聞くと「ああ、あれね。棄てておいたわ」と。「家にあるとかさばるだけだし、あんなの持っていてもしょうがないでしょう?」というのが母の理屈。今思えば、コンクールの実績はバレエ人生においては取るに足らないものだとわかるので、あの時の母は正しかったなぁと思いますね。

――コンクールにいくら入賞しても全員がバレリーナになれるわけではありませんよね?バレリーナに必要な素養は何でしょうか?

バレエが好きなこと。そして健康で心身共強く努力家であること。バランスが取れているのが一番いいのでしょうけれど、私はどこか自分がアンバランスなんです。自分が強いと思ったことは一度もありません。だからいつもバランスを取ろうと意識しています。アメリカに行った時はバランスを崩したのですね。日常生活も自分の健康もバレエに集中できるようにバランスを取れば、自分が頑張れるというのがわかったので今は快適です。私は暇さえあれば舞台や映画を観に行きます。観ている間は日常生活から切り離されるので。日常生活が苦手なのです(笑)。父の仕事の影響もあって演劇が大好き。もしミュージカルをするとなったら、セリフの言い回しも徹底的に練習して磨かなくてはなりません。バレエ同様にそれは積み重ねが必要です。

――12月は「くるみ割り人形」に金平糖の精の役で出演されます。公演の見どころを教えてください。

The Christmasというストーリーです。幸せいっぱいでキラキラした世界。幸せな気分でご覧になれる作品です。今回、演出は牧阿佐美先生によるもので、新宿駅周辺の雑踏からお話しは始まります。女の子がワープして別世界へ飛ぶファンタジー。古典を現代風にアレンジしています。くるみ割り人形はクラシックの王道。踊りが激しいパ・ド・ドゥ(男女2人の踊り)で…楽し気でにこやかに踊っていますが、技術的にも体力的にも実は大変です(笑)。

――では最後に、特にこれからバレエを習わせたいと思っている親御さんへメッセージを頂けますか?

私は大好きなバレエを職業にできて、こんなに幸せなことはないと思っています。それで報酬も拍手も頂けるという仕事は奇跡です。そういう意味でとてもやりがいのある仕事。バレリーナを目指してどうか頑張ってほしいです。バレリーナに必要なスキルは表現力だけでなく、体の型…体の使い方です。自分が好きなように踊るのではなく、立体的に踊る。造形を創っていくような踊り方です。それを常に自分で考えながら踊るのです。もし私が将来子どもを授かったとしたら、それが男の子でも女の子でも、きっとバレエをさせると思います。踊ることは幸せです。でも自分がすごいステージママになりそうでちょっぴり怖い気もします(笑)。私は良い指導者に恵まれましたが、ひとの子に教えるのと、自分の子に教えるのでは、全然違うのでしょうね。

編集後記

――ありがとうございました!取材の日は朝10時から夕方5時半まで練習で踊り詰め…だったそう。でも一日を終えて眠る時に「今日すっごく練習した!」と思えないと充実したとはいえないそうで…やっぱりプリンシパルになるのは、苦しいことを厭わない方でないと(笑)。4年前に天に召されたお父上は、演出家の竹内敏晴氏と伺いました。演劇界では大変有名な方です。幼少期、お父上は毎晩朗読をしてくださって物語の世界へ誘ってくれたそうです。人生を豊かにする最初の種まき期から、ご両親の愛情豊かに充実の時間を過ごされた米沢唯さん。まずは12月の公演で観客を魅了してくださいね。これからも益々のご活躍を楽しみにしております!

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

 『くるみ割り人形』
www.nntt.jac.go.jp  

クリスマスの決定版!夢のような美しいひと時をぜひ新国立劇場で!

 『白鳥の湖』
www.nntt.jac.go.jp  

世界で最も愛されているバレエ『白鳥の湖』を余すことなくご堪能いただけます。

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