【シリーズ・この人に聞く!第114回】バレエダンサー 新国立劇場バレエ団プリンシパル 小野絢子さん

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新国立劇場バレエ団のプリンシパルとして活躍する小野絢子さん。2007年に入団し主演デビュー作『アラジン』で一躍注目を集めました。今夏は子ども向けバレエ公演『シンデレラ』を演じます。プレッシャーよりも常に何かにチャレンジし、追い詰められているより、次はこうしようと切り替える姿勢をもつバレエダンサーの幼少期をお聞きしました。

小野 絢子(おの あやこ)

東京都出身。小林紀子、パトリック・アルモン、牧阿佐美に師事。小林紀子バレエアカデミー、新国立劇場バレエ研修所(第3期修了生)を経て、2007年新 国立劇場バレエ団にソリストとして入団。主な受賞歴に、アデリン・ジェニー国際バレエコンクール金賞などがある。入団直後にビントレー『アラジン』の主役に抜擢される。その後、『くるみ割り人形』、『白鳥の湖』、ビントレー『カルミナ・ブラーナ』、プティ『コッペリア』、フォーキン『火の鳥』で主役を務めている。2010年スワン新人賞を受賞。2011年プリンシパルに昇格。平成22年度(第61回)芸術選奨文部科学大臣新人賞。第 42回舞踊批評家協会新人賞。第30回服部智恵子賞。

 小野絢子|シーズン契約ダンサー一覧|ダンサー|新国立劇場バレエ団公式ページ
www.nntt.jac.go.jp  

家から至近距離のバレエ教室。

――第一印象はお顔が小さくて妖精みたい!という小野さんがバレエを始めたきっかけは?

新国立劇場プリンシパルとして常に注目される。「くるみ割り人形」金平糖(撮影:瀬戸秀美)

新国立劇場プリンシパルとして常に注目される。「くるみ割り人形」金平糖(撮影:瀬戸秀美)

4歳上の姉がバレエを好きになって習い始めたのを見て、私も真似て通い始めました。とはいえ幼稚園生は幼児科といってバーレッスンなどは無くて、音楽にあわせて楽しく踊ることから入りました。音楽に合わせて踊ることが楽しくて。お遊戯会も好きでしたし、小学校にあがってから日本舞踊も始めました。バレエも日舞もどちらのお教室も家からとても近い好環境でした。

――バレエと日舞どちらもされていたのは熱心でしたね。

私にとっては踊りというカテゴリーでどちらも同じくらい好きでした。姉も習っていて、お友達もたくさん一緒にやっていて、しかも近所にお教室があった。姉が始めなければ私も、何も始めてなかったかもしれません(笑)。日舞は子どものために基礎教室をやっていたのでお友達とグループで習っていました。バレエと日舞は着るものが違う…という位の認識でした。日舞はとても厳しいお稽古でした。おかげで礼儀作法や集中力が身につきました。

――バレエダンサーになるには英才教育が必要なのでしょうか?小野さんの場合はいかがでしたか?

いいえ。バレエの先生はのびのびとレッスンをさせてくれました。小学校に上がってからは週1~2回のレッスンでしたので、放課後はお友達と遊ぶことも多かったです。高学年になったら週3回。年齢と共にお稽古のレベルアップと通う回数も変わりました。劇的に増えたのは高校生になってからで週4~5回は通っていました。

――中学、高校と進むにつれて勉強も学校のクラブ活動もあるし、バレエと両立させるのは大変でしたか?

中学では何かしら部に所属しないとならなかったので、自主的に活動すればいい美術部に入部しました。バレエを続けたかったので部活動は帰宅部に等しかったのですが(笑)。もともと私はスポーツが苦手。体育会系の部活には入る気はなくインドア系でした。高校は無理なく通える、家から30分圏内の学校にしました。父の仕事の都合でアメリカの赴任先で生まれたもので、私は国籍が2つあるので何となく英語はできたほうがいいかなと思って、英語科のある高校へ進学し、在学中に留学も経験しました。2ヵ月バレエ学校を休み、進路について考えました。そして大学には行かずに、卒業後はプロを目指すことを決めました。

魅力がわからないから続けている。

――高校時代にプロのバレエダンサーになる!と決断された『バレエの魅力』ってどれだけすごいものでしょう?プロを目指してからは周囲のサポートも必要でしたよね?

バレエダンサー 小野絢子さん

バレエダンサー 小野絢子さん

バレエの魅力を見つけたくて……今も追求を続けているのかもしれませんね。当時は、将来バレエをやっている以外の自分が思い描けませんでした。留学から帰国してバレエの先生に「私はプロになりたい」と相談したら、そのためにはどうすればいいか、いろいろなプランを組んでくださりました。

――家から至近距離のバレエ教室にどのくらい通われましたか?他にも習い事をされていた?

小学5年生の頃はポッチャリ体型。

小学5年生の頃はポッチャリ体型。

4歳から新国立劇場バレエ団に入る21歳まで通っていました。バレエの他には、小学1年生から中学1年生まで日本舞踊、プール、自分が弾くよりも先生の演奏を聴くのが好きなピアノも習っていました。ピアノの練習はあまりしなくて、いい生徒ではなかったので(笑)月2回位しかレッスンに行きませんでした。

――小野さんはお顔も小さくて手足もほっそりで、バレエダンサーのために生まれてきた印象すらありますが、小学生の頃はどんなお子さんでした?

実は軽度の肥満児でした。一番肥っていたのが小学5,6年生でポッチャポチャ。そこまで太ってしまうと運動するのも辛い。走るのもクラスで一番か二番遅くて(笑)。でも、当時は人に観られる…よりも、自分が楽しんで踊りたかったので、太ってるからなんだ?という気持ちでいたんですね。その後、身長も伸び、運動量も増え、知らぬ間に体重は減っていました。

――え?今のスレンダーな小野さんからはまったくイメージできませんけれど。バレエダンサーとして、毎日の生活で気を付けていらっしゃることはありますか?

運動量がすごいので食事の制限はしていません。しっかり食べて、しっかり休むことを基本にしています。バレエダンサーは体が強くないと続けられませんので、健康管理は欠かせません。

地道にやっていることで奇跡が起こる。

――7月の「シンデレラ」は夏休みが始まったばかりの子どもたちへ向けた公演ですね。見どころと意気込みをお聞かせください。

劇場デビューする子どもたちが楽しめるよう演じる。こどもバレエ「シンデレラ」(撮影:瀬戸秀美)

劇場デビューする子どもたちが楽しめるよう演じる。こどもバレエ「シンデレラ」(撮影:瀬戸秀美)

これはお子様向けに通常より上演時間を短く内容をギュッと詰めた公演です。もしかしたら劇場デビューかもしれないお子さん達が、登場人物になりきってお話を楽しんだり、何よりも劇場という空間を好きになってくれたらと思います。

――ひとつの作品を作り上げるまで、どのくらいの期間、どんな練習が必要なのでしょう?

例えば『シンデレラ』の場合は以前に創られた作品の再演ですので1ヵ月前後のリハーサル期間で本番に臨みます。まったく1から作り上げる作品ですと1年以上かけるものもあります。毎日積み重ねて練習しないと奇跡は起こらない。1回の本番のために毎日頑張ります。

――バレエダンサーとして必要なスキルとは何ですか?これからご自身の活動はどんな展望をお持ちですか?

自分に向きあえるか、でしょうか。思っているほど自分は上手ではない。できないことも認めないと次に進めませんし、上達しない。そして奢らない。プロと決めるまでは怒られないように、褒められたくてやっていました。満足したらそこまで。これができたら次はこれ、というふうに小さな目標をちょっとずつ掲げて、地道なことに耐えられる人でありたい。

――それでは最後に読者の皆さんへメッセージをお願いします。

私は自分自身がバレエが好きで、続けてきました。「いつ辞めてもいい。でも、やるからには懸命にやりなさい」と母は言っていました。その子が輝ける、いきいきできるものが見つかればいいですね。指導者との出会いは、たまたまでしたがそれが本当に幸運でした。舞台に上がるダンサーすべて、そして見えないところで支えてくれているスタッフみんなが同じ思いでステージを創りあげる。もっともっと多くの方々に劇場に来て楽しんでもらえるようにと思います。劇場は、いいところ…という感覚が浸透するといいなと願っています。

編集後記

――ありがとうございました!お話のされかたも熟考され、ゆっくりと言葉を紡いで伝えてくださる柔らかさ。透明感のある声の響きも美しく、身体能力の高さは所作すべてに影響しているように思いました。4歳違いのお姉さまも舞踊の世界で活躍されているとか。そんな素敵なご姉妹をお育てになられたお母様にも会いたくなりました。小野絢子さん、これからも益々のご活躍を!

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

 『シンデレラ』
www.nntt.jac.go.jp  

きっと夢はかなう、あなたも今日からシンデレラ。

 新制作『ホフマン物語』
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運命を翻弄するものと運命に翻弄されるもの英国ドラマティックバレエの大傑作

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