【シリーズ・この人に聞く!第131回】バレエダンサー 福岡雄大さん

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小顔で手足が長くしなやかな動作。福岡雄大さんは新国立劇場バレエ団のプリンシパルとして舞台に華を添えるイケメンのバレエダンサー。12月恒例のクリスマス公演「シンデレラ」で王子様役として登場されます。19歳で文化庁在外研修員としてチューリッヒバレエ団に入団し、ソリストとして活躍。その後数々の華麗なる経歴は日本の男性バレエダンサーを牽引する役目を果たしています。幼少期からこれまでのバレエ人生で何を礎にされてきたのか?じっくりお聞きしました。

福岡 雄大(ふくおか ゆうだい)

大阪府出身。7歳からケイ・バレエスタジオにてバレエを始める。同スタジオで矢上香織、久留美、恵子に師事。2003年文化庁在外研修員としてチューリッヒジュニアバレエ団に入団、ソリストとして活躍。05年チューリッヒバレエ団にデミソリストとして入団し、07年まで所属。2000年NBA全国バレエコンクール・コンテンポラリー部門第1位、03年神戸全国洋舞コンクール・バレエ男性シニア部門グランプリ、08年ヴァルナ国際バレエコンクール・シニア男性部門第3位、09年ソウル国際舞踊コンクール・クラシック部門シニア男性の部優勝などがある。09年新国立劇場バレエ団にソリストとして入団。『眠れる森の美女』『ドン・キホーテ』『白鳥の湖』、バランシン『アポロ』、ビントレー『パゴダの王子』ほか数々の作品で主役を踊っている。11年中川鋭之助賞受賞。12年プリンシパルに昇格。第44回舞踊批評家協会新人賞受賞。

 新国立劇場バレエ団公式ページ|福岡雄大
www.nntt.jac.go.jp  

バレエが身近にある環境で育つ。

――福岡さんの場合は7歳からバレエ教室へ通われたとか?小学校上がってからですね。何がきっかけで始められましたか?

新国立劇場バレエ団のソリストとして入団した2009年の舞台「ドン・キホーテ」。(撮影:瀬戸秀美)

新国立劇場バレエ団のソリストとして入団した2009年の舞台「ドン・キホーテ」。(撮影:瀬戸秀美)

5歳上の姉がバレエを習っていたので、母が僕の幼稚園のお遊戯の様子を見てバレエが向いているのでは?と思ったようです。スタジオに連れて行かれて「やってみる?」と聞かれて「うん」と言ったのは記憶にありませんが、気づいたら踊っていました。音楽に合わせて体を動かすことが好きで、家のすぐ近くにスタジオがありましたし、バレエは特別な習い事ではなく僕にとっては楽しい遊びの一つでした。

――その頃は少年がバレエを習うことは珍しくなかったのですね?

僕の同期が2人、2つ下、4つ下にも男子の仲間がいて、芸歴は年下の彼らのほうがありますが、みんなでワイワイ楽しくやっていました。昔は高校や大学からバレエを始める男性もチラホラいたそうですが、僕がバレエを始める頃からは、男子も3歳とか5歳とか女性のように割と早くからバレエを習うようになったようです。地元のバレエ教室に、地元の子どもが集まっていた感じです。

――馴染んでいらしたのですね。他にも何か習っていらしたのですか?

音楽はピアノを。でもこれは三日坊主でした(笑)。他に水泳、そろばんは小学校卒業するまで通いました。子どもの頃は特にバレエを特別視せず、タイツを履くのが嫌というのもなかった。ピンクのシューズを履いていても恥ずかしくなかったですし、友達に指摘されて初めて気づくくらいで、何も考えずに好きで踊っていました。熊川哲也さんがCMに出て男性バレエダンサーがメジャーな存在に。今も昔も熊川さんの影響力がすごくありました。「バレエをしていると」と言うと、「熊川さん?」って聞かれていました。

――小学生の頃はスポーツもお得意でいらした?

得意というわけではなかったですが、サッカーもバスケも好きでボールを持つと、仲間と空が真っ暗になるまで遊んでいました。リミットがない位すごく食べる子でしたから太っていましたし。健康的になり過ぎて大阪のバレエスタジオの先生方には「やせなさい」と言われるほどで。7歳で入って数年後のことですから、中学生になるかどうかの成長期です。バレエをやっているから友達と一緒に遊びに行けないこともありましたが、バレエ仲間も多かったので気になりませんでした。

甘えてしまう自分を指導してくれた厳しい先生。

――ご両親や先生は、雄大さんをどんな言葉で励ましてくださっていましたか?

運命を翻弄するものと運命に翻弄されるもの英国ドラマティックバレエの大傑作。2015年「ホフマン物語」(撮影:鹿摩隆司)

運命を翻弄するものと運命に翻弄されるもの英国ドラマティックバレエの大傑作。2015年「ホフマン物語」(撮影:鹿摩隆司)

父は「好きなことをやりたいだけやりなさい」という人。母は留学生や仕事をしている外国人に日本語を教える仕事を今でもしていますが、僕が小学生時代に海外赴任を3年間位していた時は寂しかったですね。父と姉が頑張ってくれていたのでバレエも続けられました。バレエスタジオの先生は厳しいけれど愛がある三姉妹。先生には練習に関することで「できません」とは言うことは許されず、とことん厳しかった。バレエではない時間は、母のようにいつも見守ってくれる存在でしたから母も安心して預けられたのだと思います。通っていたバレエスタジオは、大阪ではかなり有名ではるばる通っている方もおられたと思いますが、僕にとっては地元にこういう環境があったからこそ今の僕がある。家族には本当に感謝しています。

――環境って大切ですね。中学、高校と大人の階段を少しずつ登り始める時にバレエの道へ進むと決められたのは、迷わずでしたか?

いや、すごく迷いました。中学校ではバスケ部入りたかったのですが「筋肉のつき方が変わる」と母に止められ断念。それまで僕にとっては楽しいだけのバレエでしたが、コンクールに出場する目的でレッスンするようになるとこれまで会えなかったような人に会えたり、すごい体験ができたりで、バレエの別の側面や方向性が見えてきた。中学生の頃に僕って小さいなぁ…と思って、だんだん意識が変わりました。

――中学生でそう感じたのは大人でしたね!高校受験とかも経てバレエ続けるのは大変だったのでは?

近所の公立高校へ通うつもりが思いのほか不合格となってしまって…電車で一時間くらい掛けて私立の男子校へ。しかも特進コースで授業も毎日7限目まで。夏休みは10日しかなかった。かなり頑張らないとならない環境で週4回のレッスンの上、毎日の授業。「あああ…逃げ出したい」という気持ちになりました(笑)。ですが、学校の先生もめちゃくちゃ厳しくて、怖かった。学校生活に危機感を覚えましたが僕は性格上、厳しくないと甘えてしまう。大学進学はせずにバレエの道へ進むと決めましたが、赤点も取らないように勉強はしっかりがんばれたのは、厳しい先生方のおかげです。

――学校ではバレエをやっていることは周知の事実で、応援してくれていたのでは?

いえ、あんまり知っている人はいなくて、コンクールで賞を頂くようになって少しずつ知られてきました。19歳でチューリッヒにバレエ留学する際も高校時代がベースにあったので心も体も厳しさに耐えられました。スポーツの名門校でもある男子校で集団行動の大切さも叩きこまれました。とはいえ特進コースだとバレエができなくなるので、高校2年生からは普通コースにクラス変更させてもらいました。

優しく見守ること、ときに離れてみること。

――普通の高校生よりもずっとハードな毎日だったと思いますが、バレエの道を究めるきっかけになったのはどんなことで?

英国バーミンガムロイヤルバレエでも客演した作品。2016年「アラジン」(撮影:鹿摩隆司)

英国バーミンガムロイヤルバレエでも客演した作品。2016年「アラジン」(撮影:鹿摩隆司)

練習を重ねて本番の形を作るコンクールに出場させてもらう中で気持ちが固まった。高2の時、バレエで食べていけたら幸せだなと思うようになって不安はありましたが両親にそれを話したら「どうぞ」と言われて(笑)。僕は調子に乗ってしまうタイプなので、バレエの先生から褒められたことなんて数少ないです。僕の様子が少しでも違うとすぐ気づいて指摘されました。「天狗になったらダンサーは終わり」という信条の指導でした。

――褒めて育てなくてもこんな風に伸びるわけですね。輝かしい経歴は誰もが達成できることではありません。

決して順風満帆ではありませんでした。コンクールで賞を獲って自信もついて海外留学したものの、ジュニアバレエ団というのは若手育成の組織で12名位しかいません。その中で一年目は何も役がつかず、日本で培ってきたはずの自信がゼロになった。ストレスで食べ続け太ったりして。ところがバレエ団の出演メンバーが怪我をしてしまい、急きょ代役が必要になったので踊ることになりました。それを見た芸術監督が「よかった」と褒めてくださって監督の態度が少しずつ変化して……たぶん、それまでは僕がいることすら気づいていなかった。会社組織でも同じかもしれませんが、そこに居ると存在感を示さない限り使ってもらえないのだと思います。踊る量が増えていって、そこからやっとチューリッヒでの生活が始まった気がします。

――バレエダンサーの卵を育てている親に何かメッセージをお願いします。

僕の子どもの頃、親がバレエスタジオに見学とかこなかったです。僕だけでなく他の友達の家もなかったです。レッスンそのものだけでなく、教室の行き帰りの道を独りで通い、友達と一緒の時もあったけれど、そういう過程って心を育てる気がします。今も子ども時代に一緒に通った仲間とは仲が良いです。親はやさしく見守ることも必要だと思いますが、時には離れてみるのも大切なのではないかと思います。僕は将来自分の子にバレエをやらせたいとは思っていませんが、バレエをやりたいと希望するなら、全力で応援します。親として、その子がやりたいことを見つけるまでの導きはしたいですね。

――12月公演の「シンデレラ」では王子様を演じられます。見どころを教えてください。

クリスマスは心温まりワクワクするもの。舞台で夢を見せるのがダンサーの仕事です。役になりきるには、所作をはじめ気持ち、心が大切。王子ひとりではステージは成り立ちません。シンデレラ、王子をはじめ、色々な役柄のダンサー達が「シンデレラ」をいう物語の中に誘ってくれると思います。ぜひ、新国立劇場に足を運んでいただき、心温まるバレエをお楽しみください!

編集後記

――ありがとうございました!大阪ご出身の雄大さんですが、ゆっくり言葉を選びながら柔らかくお話ししてくださいました。ダンサーとしても物腰柔らかで舞台をふんわり包むように踊られるのだろうな~というイメージを持てました。育った街にバレエスタジオがあった…という偶然の出会いから、踊るのが「好き」という気持ちを大切にされ独自の道を歩まれてきた骨太なイケメン王子。こんなに素敵だと恋焦がれる女性は多いことと思います。束の間の夢を見せてくれる素晴らしい舞台をこれからも楽しみにしています。12月はぜひご家族、大切な方と一緒に「シンデレラ」をご覧ください。

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

 新国立劇場バレエ団 『シンデレラ』
www.nntt.jac.go.jp  

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