【シリーズ・この人に聞く!第15回】ファンタジーを表現し続ける 明川哲也さん

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作家、詩人、ミュージシャンと多彩な才能を発揮する哲也さん。朝日新聞の相談コーナーでは、クスッと笑えるのに深いメッセージをこめた回答をされています。少年時代に遡り、ドリアン助川→’TETSUYA→’明川哲也と名前の変遷をお聞きしながら、近著のテーマやこれからの抱負を語っていただきました。

明川 哲也(あきかわ てつや)

1962年生まれ。放送作家などを経てドリアン助川の名で「叫ぶ詩人の会」を結成(1999年に解散)。
明川哲也の名で小説を中心とした創作活動を行う。主著に「ブーの国」「ぼく、会いにきたよ」(共に文藝春秋)「がぶ呑み相談室」(情報センター出版局)等。2007年度は続けて書籍を上梓。2月に「カラスのジョンソン」(講談社)、3月に「オーロラマシーンに乗って」(河出書房新社)、7月には角川書店より恋愛小説が出る予定。特技は、アメリカンフットボール解説、生物学、英語翻訳、東ヨーロッパ事情、ニューヨーク情報、海釣り。

 ドリアン助川(作家:明川哲也)の朗読・小説・詩・エッセイ等 全てが詰まったオフィシャルサイト
durian.ocnk.net  

森の中で虫や動物たちと話をした少年時代

――「カラスのジョンソン」読ませていただいて、最後までいっきに読みました。涙がとまらなかった。哲也さんの小説には描写のおもしろさだけでなく、人が抱えている問題を揺さぶる力があります。小さな頃から、書くことはお好きでしたか?

ぼんやりとした子で、今もそれを引きずっていますね。空っぽのランドセルを背負って学校へ行ったり、学校の先生が話す内容や、野球の話題で巨人と阪神のことで盛り上がっている意味もわからなかった。とにかく皆ができることをできずにいました。小中学生時代は六甲山の近くで育ったので、山や川で虫や生き物と戯れて、雑木林でぼぅっとしているのが好きでした。人間と同じくらい、それ以上に野山の生き物の存在が大切でした。

――何が得意なことでしたか?相談コーナーに寄せられる悩みには、キレのいいコメントで常に回答されていますが。

人と足並みを揃えられないので、世間一般の理にかなうような得意なことは何もなかった。習字や塾は当時通いましたが、何もならなかったですね(笑)。険しい山道を見つけて友達を誘って登ったり、空き地に捨ててあるエロ本を探してみたり……妄想するのは、得意でした。野山の生き物が好きでしたから、理科や生物は好きで。親に「勉強しろ」とギュウギュウ言われましたが、じっと努力することが苦手な性質の僕は、それができませんでした。皆がベルトコンベアーにうまく乗って次々に変化しているのに、自分だけ乗れないという感じで。

――小学校時代の忘れられないエピソードってどんなことですか?

5歳頃、ぼんやりと森の中で遊ぶのが好きだった。

5歳頃、ぼんやりと森の中で遊ぶのが好きだった。

僕ね、車に轢かれる交通事故に3度も遭ってしまった。3回目は治療中で病院に行く途中に遭ってしまったので、10メートルくらい飛ばされて痛かったけれど、その場から逃げようと必死で(笑)。運転していた人は追いかけてくるし、捕まえられたら大変なことになってしまうと思ってとにかく走った。それくらいボケボケ。そういう時でさえ、「巨大なカニとの闘い」で頭がいっぱいで。

――頭の中で現実とは剥離してイメージが動き出しちゃうんでしょうね。お話つくるのは当時から得意でした?

学校の先生には「お前の作文読むのを楽しみだ」と言われてましたね。

ポエトリー&ファンタジーをテーマに仕事を

――哲也さんは大学卒業後、どんな仕事を?

「叫ぶ詩人の会」で活躍中、97年頃

「叫ぶ詩人の会」で活躍中、97年頃

就職活動の前に卒業したので、まぁ言ってみればニートの走りみたいな。
友達が学習塾の講師のバイトを受けにいくので一緒に付いていったら、僕のほうが
採用になってまずは講師バイトを。
でも、酒で体が痛んでいて途中で入院したので、結局長くは続きませんでした。

――バンド「叫ぶ詩人の会」を経てNYへ渡米され、その間色々心境も変化されたとか?

当時4人でバンドを組んでいて、そのうちの一人が97年に事件を起こしまして。全国ツアーやCMや色々決まっていたことが事件ですべてパーになり、一年間休業せざるを得なくなった。気づくと潮をひくように、ファンが離れていって復活は難しかった。99年に最終コンサートを終えて、それからニューヨークへ行きました。その頃も、なぜか人生相談だけは受けていたのですが、これは思ってもみない方向性で。僕の創作テーマは「ポエトリー&ファンタジー」。依頼される仕事は受けますが、相談事はその一つでしかない。にもかかわらず、気づくとそこばかりがPRされてしまっている。魚屋をやりたい店主がワカメも置いてみたら、ワカメの人気が出て魚が侵食されて、気づくと海草屋になっていた……といったような(笑)。で、少し離れてみようと思い、NYへ渡った次第です。

――NYではどんな生活を?

負債を抱えていたからコツコツ働いて返しながら暮らして、NYでもバンドを組みました。芸名のドリアン助川を捨てていたので、TETSUYAと英字の名前で。そうしたら今度は朝日新聞社から相談コーナーの回答をしてくれないかとオファーがきた。それがしたくなくてNYに逃げてきたのに(笑)。でもよく考えたら、NYまで追いかけてきてくれるのって、ありがたいことだなと思い直して受けた。2000年から始めて、今も続いていますからかれこれ8年になります。

――2001年の9.11テロの時は、どうされていたんですか?

5歳の頃、幼稚園時代。よそのお家の前でわざわざ記念撮影。

5歳の頃、幼稚園時代。よそのお家の前でわざわざ記念撮影。

マンハッタンからブルックリンへ引越しする予定の日でした。本当は前日する予定が、大嵐のため交通がマヒして引越しセンターの車が来なかった。テレビや電話回線も切ってダンボールで一日横になっていましたから、どこにも連絡もつけようがなかった。テロだというのはわかりましたが、どこの誰が何でこうなっているのかわからなかった。情報も交錯していました。もしかして引越し先の部屋の電話回線がつながっているかもしれない、とパソコン持って引っ越し先のブルックリンへ走りました。ブルックリンはツインタワービルの下のほうなので、たくさんの人が橋を渡って逃げてくる流れに逆走する形になった。泣き叫ぶ人、怒る人、戦争を確信している人、いろんなものを見ました。中でもびっくりしたのは、大量に使い捨てカメラが売られていたこと。こういう光景もすべてがNYだなと。人間のすべてが剥き出しになっている。テロ直後は誰も家に帰りたくなかったから、それから2週間くらい夜の街が大繁盛していました。

小説の奥底に込めたメッセージ

――2月に刊行された「カラスのジョンソン」は、今回どうしてカラスをテーマにされたんですか?

ニューヨークで結成したバンドAND SUN SUI CHIE 2005年3月にて活動終了。僕もバンドから引退しました。

ニューヨークで結成したバンドAND SUN SUI CHIE 2005年3月にて活動終了。僕もバンドから引退しました。

僕は、文学を追求したいと思ったことはないんです。書きたいのは「フランダースの犬」「ごんぎつね」「オズの魔法使い」とか。人が死ぬより、話すことのできない犬が死ぬほうが悲しい。小さな頃から犬、ネコ、亀、鳥、魚、おたまじゃくし、いもり、やもりまであらゆる生き物を飼ってきました。人間以外に対して情が深い。ある時、カラスを駆除する場面に出遭って、ここまでしなくちゃならないものなかな、とふと思った。これが都市なのかと。こういうことが当たり前になってしまうと、その空気の中で育った子どもたちは、平気で命をあやめるようなことをするようになるのでは……タチの悪いことになりはしないかと。僕は、カラスを殺すなと言っているわけじゃなくて、「悲しみを感じなくなった街」について書きたかったと同時に、「悲しみを感じる人間」について書きたかった。「悲しみを感じなくなった国」に、「美しい国」なんて言ってほしくないですから。

――本当にそうですね。この小説では、屈折した人間のはかなさとか、カラスが感じているであろう悲哀がすごくリアルに交錯して、読み進まずにはいられない感じでした。

貧者を救うのは貧者。悲しみを救えるのは、悲しみを知っている人。悲しみの経験が少ない人は、悲しみが感じられない。小説の中では、色々メッセージを込めている。イスラムとアメリカの関係とかね。僕が描くのは、いつも社会の底辺で生きる人間とか、弱い者の立場。強いもの、支配する側のことは、体験がないので書けません。でも、ファンタジーが人生テーマなので、そういう作品に昇華していきたい。3月に出た「オーロラマシーンに乗って」を読んでみてください。

「オーロラマシーンに乗って」(河出書房新社)
「オーロラマシーンに乗って」(河出書房新社)
「カラスのジョンソン」(講談社)
「カラスのジョンソン」(講談社)

――小さな頃はどんな本を読んでいましたか?

う~ん、本はあまり読まなかった。「シートン動物記」とか好きでしたけれど、文学作品は全然。高校から大学時代にかけては、ガンジーに傾倒していました。「なんとなくクリスタル」の田中康夫が流行っていた頃で、全然時代と合っていませんでした(笑)。

――田中康夫に対してガンジーですか!う~ん、おもしろい。今年はたくさん書籍も出されるようなので楽しみですが、今後の活動を教えてください。

ちょっと人前に出ることを自粛していたのですが、今年は動きます。7月には角川書店から恋愛小説が出ます。4月から始まるNHKの日曜深夜番組でコメンテーターみたいなのにも出演します。もう一度、ライブもやってみようかと。あと、「星の王子様」みたいな絵本をずっと書きたいと思っていたので、今年やってみるつもりです。

――では、最後に習い事をする親子へ何かメッセージを。

資格を得る、いい学校へ入る、とか目的があるのでしょうが、そうしたことと違う次元で、自分の好きなことや興味のあることで、言葉の数を増やしていくだけで、人生を後押ししてくれる風が吹き出す。例えば、並木が好きだとしますね。東京では、どんな並木があって、世界にはどんな並木があるかを知りたいと思うでしょう。これって不思議な力。何の取り得もない子でも、きっと変わってくるはず。言葉は葉っぱのようなもので、それが増えていくと森になる。森ができると、いろいろな命が宿る。僕は子どもの頃よりも、大人になった今のほうが楽しむために勉強しています。あらゆることは、人生を楽しむためにやるものですから。

編集後記

――ありがとうございました。哲也さんのユニークさはご存知の方も多いと思いますが、素の哲也さんの発する言葉は、文字で読む以上に心に響くフレーズがたくさんあって、まるで朗読を聞いているような心地よさでした。いつまでも大きな少年のような哲也さん。これからの活動、とっても楽しみにしています。

取材・文/マザール あべみちこ

活動インフォメーション

●4月12日(木)池袋ジュンク堂でイベント
「カラスのジョンソン発売記念 明川哲也 朗読&サイン会 翼でキミを包む夜」
詳細は、池袋ジュンク堂へお問い合わせを!
TEL 03 (5956)6111
営業案内:午前10時~午後10時

●4月15日(日)午後11時から
レギュラーコメンテーターとして登場!
NHK総合 「つながるテレビ@ヒューマン」

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