【シリーズ・この人に聞く!第27回】ホラー漫画の第一人者 漫画家 楳図かずおさん

kodonara

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今、親となった私たちが子ども時代に恐々とページをめくりながら読み、そしてお腹を抱えて笑った漫画。小説のように心を揺さぶる作品の数々をうみだしてきた漫画家・楳図かずおさん。荒廃した未来の世界で生き抜く子どもたちの姿をリアルに描いた連載「漂流教室」や「ホラー漫画の神様」と呼ばれる一方、「まことちゃん」ではシュールなギャグが大ブレークし、グワシは、社会現象となりました。71歳を迎えた楳図さんに、仕事についてお聞きしてみました。

楳図 かずお(うめず かずお)

1936年和歌山県高野山生まれ、奈良県育ち。
幼児期から絵を描くことに非凡な才能を示し、小学4年のとき漫画を描き始め高校2年のとき描いた『別世界』が1955年に出版されプロデビュー。
『口が耳までさける時』『へび少女』『人こぶ少女』などのホラー作品で日本中の少年少女たちにトラウマを刻みつけ、後に“ホラー漫画の神様”と呼ばれる。
1967年『猫目小僧』を発表し、1976年『妖怪伝・猫目小僧』としてテレビアニメ化。
また、1972年からは『漂流教室』を連載。荒廃した未来の世界で生き抜く子供たちの姿をリアルに描き、1975年小学館漫画賞受賞。
一方、1976年からは『まことちゃん』を発表。シュールなギャグが大ブレイクし、“グワシ”は、社会現象に。楳図のトレードマークは、赤白ボーダーのシャツと、この“グワシ”である。
また、自らバンドを組み、作詞・作曲・ボーカル・振り付けを手がけ、1975年にLP『闇のアルバム』をリリース。他にも『おろち』『洗礼』『わたしは真悟』『神の左手悪魔の右手』『14歳』など多数の漫画作品があるが、驚くほど時代を先取りした内容であるため、楳図を“預言者”と呼ぶ人も。
また、1994年には後楽園ゆうえんちで「楳図かずおのおばけ屋敷 安土家の祟り」をプロデュース。2005年にデビュー50周年を迎え、作品の映像化が相次いだ。
腱鞘炎悪化のため漫画の執筆を休んでいるが、5ヶ国語学習や音楽活動、TV・映画・雑誌の出演などで多忙な毎日を送る。漫画の枠を超え芸術・エンターテインメント全般に渡り稀有な独創性を発揮し続ける、宇宙一ロックンロールな天才芸術家!

「恐怖」がない生物は進化しない

――私は小学生時代、先生の漫画が大好きでした。町の子どもたちが集まる公民館にも先生の漫画がたくさんありましたが、いつも争奪戦で。あの棺おけの中に入れられてしまった女の子が、自ら脱出して老婆になって仕返しをするお話なんて身震いしながら何度も……(笑)。

それは「紅蜘蛛(べにぐも)」ですね。1月に復刻版が出ましたのでぜひ買ってください。

――先生の作品はイマドキのアニメにはない人間の心理というか、派手なアクションとかないのにヒタヒタと怖さがしみてくるような凄さがあります。テーマはどのようにお考えでいらしたのでしょう?

僕の漫画はバーチャルではなくアナログ。生っぽい怖さが僕の持ち味だと思います。人間の心理を描きたいと。「怖い」というこだわり。怖いことは嫌だけれど人間の基本なんです。恐怖がない生物はいないんですね。恐れがあって、それを避けたいと思うから生き物は進化する。人間はいくらでも恐怖のもとがあるわけです。

――先生の作品「漂流教室」は、その「恐怖」を描ききった最たるものではありませんか。

環境自体がどちらを向いても怖いところに放り込まれた子ども。そこからどうにかして生きていこうとすれば、頑張るしかないわけです。「漂流教室」という作品では環境問題を描いていますが、そうした言葉では表現していないのです。テーマそのものを言葉として出す場合もありますが、まずお話として受けとめてもらえるようにしました。当時、車の排気ガスによる光化学スモッグが問題視されており、ストーリーの中にもそれは織り交ぜました。そこから広がっていったお話です。

――書き進めているうちにストーリーが変わっていったのでしょうか?

いえ、大筋のストーリーは最初から立ててありましたので。細部についてはその場その場で多少はアレンジしていましたが。

小4から漫画を描き始め、中2で漫画家になると決意

――先生は昔からあまり外見もお変わりなくお若いですが、実年齢は71歳!戦争も体験されていらっしゃるのですね。

小学3年生の夏に終戦を迎えました。戦争中は、ぼくがいたのは奈良県の奥のほうでしたが、山の中すぎて影響はあまりなかったんです。五條市(元は五條町)は疎開するにも山の中すぎて、誰も疎開していなかったんじゃないかなぁ(笑)。物心ついた時、絵を描いていました。母によれば生後7ヵ月頃、まだ歩行器の中にいる頃で。「こんな子は、何を描くのかしら?」とちょっとした母親の好奇心から始まったことなのです。

――絵を描いたり、ものを作ったりするご両親でいらしたのですか?

いえ。父の家系は全員教師でしたので、美術の先生はいましたけれど。母はまるっきり絵は描けない人でした。何かこの子は絵を描くかもしれない、と見越していたのかもしれません。そういう感覚って大事なことですね。人間は賢くなっていけばいくほど理性が勝って、本能や感性を消して否定してしまいますが。母は感性豊かな人だったのでしょう。

――小学4年生から漫画を描き始めたというので、びっくりしました。うちの息子もちょうど4年生で、漫画大好きで自分でも創作していますが、何が何やら?といった具合のお話で。

ぼくの場合は、だしぬけに書いていました。わら半紙を綴じて本のようにして書いた。4年生になってから、漫画や本を読み始めてたちまちお話の世界が開花した。友達に借りた漫画を見て、「ああ、これならぼくにも書けるな」と思って描き始めた。ペーターという男の子が出てくる外国のお話だったような……。

――それで描ける!と思ってからずっと描き続けていらした?

子どもって単純なもので、これまでできなかったことができるようになったというだけで興奮気味で。それほど漫画家になろうと思っていなかったのですが、5年生になって手塚治虫の「新宝島」という漫画を読んで、その作品に深く感銘を受けて僕も漫画家になろう!と思った。もう、ありとあらゆる雑誌や新聞のコンテストに出しまくっていました。すごいエネルギーでした。「中学生になったらデビューしよう」と小学生の頃から思っていましたから。それで、入賞していろいろ取り上げてもらって住所なども記載されたので、遠くに住んでいる漫画好きな友達からたくさん手紙がくるようになりました。毎日手紙をやり取りしていました。

――ペンフレンドですね!確固たる将来のイメージができあがっていたのがスゴイですね。今、何になりたいかわからない子も多いのですが。

ぼくたちにとって漫画というのは、その時代新しい世界への入口だったわけです。出会いにインパクトがあってそれに興味があれば、そちらの方向へ引っ張られていくものだと思いますよ。インパクトの持ちようかな。ぼくは「これからは漫画だ!漫画の時代なんだ」と思いこんでいましたから。

トレードマークの赤白ボーダーの意味

――漫画家として何年目におなりでしょうか?

高校卒業してからの勘定ですと、2005年に50周年となりました。あんまり長いという気はしませんね。アシスタントもたくさんいたけれど、全部お任せするようなことはなくて。東京オリンピックの時は忙しくてオリンピックどころではなく、自分自身が毎日オリンピックなような感じで(笑)。連載も何本も抱えていて、その頃ですね「紅蜘蛛」を描いたりしていたのは。雑誌の読者層の違いによって、輪郭やタッチも色々描きわけていました。女の子の洋服も、ファッション誌を見て研究して流行を取り入れたりね。

――漫画家になりたい子に、メッセージをいただけますか。

漫画といっても分野は色々です。アニメーターのように回ってくる仕事を機械的にこなしていくアシスタント的仕事もありますし、全部自分で創りたいオリジナルな仕事も。昔と違ってどこの部分から入ってもつながっていると思いますから、自分は何に向いているのかな?と考えてみる。どうやって知るかですね。間口も広いし、需要も多いけれど、描いている人もたくさんいますから全体的レベルは低く浅くなってしまいます。そこから飛びぬけようと思ったら、自分ならではの才能を見つけ出さないと飛びぬけることはできません。それには人の助言もありますが、やはり自分自身が気づかないと意味がありません。そうするとある程度苦労するしかないですよ。試行錯誤する期間というのをどこまで我慢できるか。生活との兼ね合いをどう自分で操作できるかでしょう。

――先生の場合は、漫画だけでなく歌の作詞もされて大きな賞をお取りなったり多芸多才ですが。

漫画のセリフと歌詞って、とてもリズムが似ているんですよ。何か一つ一生懸命にやっていると、いろいろなことに派生します。例えば、映画のちょい役なんかでも出演したことがありますが、演技そのものの勉強はしたことがなくても、漫画のストーリーを組み立てる上で登場人物の感情を考えてセリフを言わせたりしています。そういう仕事が役に立ったりね。漫画家の人は役者としても上手いと思いますよ(笑)。

――イメージができているんですね。ところで、楳図先生の赤白ボーダーのファッションはトレードマークとなっていますが身につけていることで元気になるおまじないのような?先生の吉祥寺に建てられている新居も赤白ですね。

高校卒業してからずっとこのファッションです。田舎にいた頃は服のことなんて全然関心がなくて、母親が買ってきたものを単に着ていたり、ヘアスタイルもずっと丸坊主でしたから。なので、「自分らしさ」を追求した結果、模様は主張しすぎているように思うし、横縞は邪魔にならないし僕らしいなと。赤白は明るくて元気の象徴。この色について聖書にも記述があって、深い歴史があるんですよ。邪気を払う魔よけのような意味もあるようです。家のテーマは「自然と人工の融合」というメッセージで建てています。丸い婉曲しているところが自然で緑色。まっすぐで平らな壁は人工。その上に赤いラインがのっていて、赤というのは生命、人間を表現しています。それをぐるっと取り囲んでいて閉鎖空間ができれば自然界は壊れないだろう……というメッセージなのです。環境問題は作品の大きなテーマで、「漂流教室」「14歳」等の作品で誰よりもはやく描けたと自負しています。ぜひご覧ください。

――先生のユニークなこだわりが街の皆さんに伝わるといいですね。では、今の日本に思うことをお聞かせいただけますか。

きまりごとが多すぎて、無駄が排除されちゃっている。余白の部分がもっとほしいですね。子どもができて親になると、成長が止まっちゃう気がします。ずっと青っ洟をたらして成長を続ける大人でいいと思うんです。できあがっちゃうのはつまらないです。あと、みんな年齢を気にしすぎなんじゃないかなぁ。フランスにいくとエッフェル塔を階段で登る足の不自由な方も見かけました。体が悪くても、年齢が上でも、目が不自由でも、自分がやりたければできる環境があるっていいですよね。できない時、困った時だけ助けてあげればいいというのがあちらの考え方だそうです。

編集後記

――どうもありがとうございました。漫画の一時代を築かれた楳図かずおさん。現在は腱鞘炎のため漫画を描くことはできないそうですが、楽しみなのは復刻版の数々!ちょっとお高めですが、さっそく「紅蜘蛛」(前・後)購入しました!今の漫画にはない、恐怖と感動、おもしろさを作品の隅々から受け取れます。また、楳図先生は5ヶ国語をNHKラジオ講座で10年以上勉強されています。その根気強さは、半端なものではありません。天才は自分なりの方法や楽しみ方を見つけることが上手なのかもしれません。これからも楳図作品の復刻版を楽しみにしております!

取材・文/マザール あべみちこ

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