我々が次に向かったのは、気仙沼市のリアス・アーク美術館。
ここに来た目的は、「東日本大震災の記録と津波の災害史」の見学のためです。
思わず目を覆いたくなるような被災現場の写真や、津波により破壊された洗濯機などが所狭しと並んでおります。
各資料には当時の状況の説明や、被災当時の壊滅した街を見た生存者のつぶやきなどが添えられており、当時のすさまじい状況を知ることができます。
全ての説明を読むにはかなりの時間を要すると思いますが、すべて読むべきではないかと思います。
3日目(12月7日)
今日はホテルの語り部バスツアーに参加し、南三陸から女川へ向かいます。
最初に向かったのは、戸倉中学校。
海抜15メートルほどの高台にある学校なのですが、一階部分が水没。
ここまで上がってきたのか・・・。という声が他の参加者から聞こえてきました。
また、津波が建物を回り込んで山側から流れ込んできたため、グラウンドに避難していた人達は、一瞬「山から津波が来た」と勘違いをしたそうです。
東日本大震災の直前の余震が発生した際、戸倉小学校では職員会議が開かれて、避難場所を学校の屋上から高台に変更をしたとのことです。震災後、津波の被害を受けずに残った建物は戸倉地区中心部ではわずかに4件。その4件が立地していた場所が、新たに避難場所に設定した高台にあったとのことで、その時の素早い対応が多くの命を救いました。
当時、子供たちは高台からさらに近くの神社(写真中央部やや右寄り)に避難。そのとき、生徒たちは卒業式で歌う予定だった川嶋あいさんの「旅立ち日に」を皆で歌い互いに励ましあって夜を過ごしたのですが、それを聞いた川嶋あいさんが、5か月遅れで登米市の廃校で行われた戸倉小学校の卒業式にサプライズで登場し、「旅立ちの日に」を23名の卒業生のために歌ってくれたのだそうです。きっとこの歌が23名の子たちの、心の支えになってくれるのではないでしょうか。
次に向かったのが高野会館。
ここでは、当時老人クラブの催しが行われており、従業員含めて327名の人々が建物の中におりました。震災発生時、我先に逃げようとロビーに殺到した方々の前に立ちはだかり、外は津波の危険があるため、屋上へ逃げろ、と指示を出したスタッフの方がいらっしゃったようです。
津波は屋上部分まで押し寄せてきたものの、なんとか皆流されずに済みました。ここでも、一人のスタッフの方の瞬時の判断が多くの人を救いました。
ツアーの最後に訪れたのが防災庁舎です。
津波が来る直前まで避難を呼びかけ、結果多くの職員が津波の犠牲になりました。ここではバスから降りることができましたので、各自祈りをささげました。
この建物は宮城県の県有化が決まり、今後20年間保存されるとのことです。その間に、取り壊すのか、残していくのかを南三陸の人達で時間をかけて考えていかなければいけない、とガイドの方がおっしゃっておりました。
残すのか、取り壊すのか、どちらにしても非常に難しい問題だと思いますが、どうか地元の皆さんが納得できる結論が出てくれればと思います。
防災対策庁舎からホテルへ帰る途中、ガイドの方が改めて震災後の状況を話してくださいました。
震災後、ホテルに電気が復旧したのが4月15日、水は7月2日までかかったとのことです。(この辺りではまだ早いほうだったともおっしゃっておりました)
また、ガイドさんご自身は震災後、ホテルでの被災された方の対応などに追われ、ご自身の自宅がある気仙沼には全く戻れず、家族の安否確認もできずで、毎日、「生きてくれていたらいいな」と思いながら生きていたとのことです。このガイドさんのような多くの方々の頑張りも、ここに復旧してくるまでにきわめて大きな役割を担っていたのではないか、と改めて気づかされました。
(ガイドさんのご家族の方がご無事だったのですが、残念ながら家は津波により流されてしまい、基礎しか残っていなったとのことです)
商店街の横に、私がかつて働いていたホームセンターがありました。(私は関東エリア配属だったため、東北の店舗はきたことがありませんでしたが)
このコメリH&G志津川店は震災の被害を大きく受けた店舗で、2年前にここに新たに出店をしたとのこと。震災当時のスタッフは今のお店には残っていないとのことでしたが、震災時、従業員の方は皆無事だったとのこと。建築資材や工具も多く扱う店舗なので、これからの地域の復興に大いに活躍をしてほしいと思います。
コメリを後にしたのち、大川小学校を訪れました。
敷地内にクリスマスツリーが飾られている以外、特に前回来た時と比べて変わっているところはないと感じる反面、この地を訪れたときに感じる悲しみは、むしろ前回よりも強くなっていると感じました。これは、うまく説明ができないのですが、自分の子供が、ここで犠牲なった子たちの年齢に少しずつ近づいてきたことにより、去年よりもさらに自分の身に置き換えて想像するようになったからかもしれません。
初めて訪れた祖母ももちろん大川小学校のことは知っておりましたが、犠牲者の数、年齢を見て改めてショックを受けていたようです。孫(私の息子)とともに長い時間お祈りをしておりました。
本日の宿泊地、El Faroに向かう途中、おがつ店こ屋街を訪れました。ここでは、何度かサバの缶詰を注文して送ってもらっており、そのお礼を兼ねて再び缶詰を購入しに入店です。サバの味噌煮缶などを買い込み、またお願いしますとご挨拶もできました。次訪れたときもお邪魔させていただきます。
ホテルに荷物を預けて、夕食へ。
女川のニューこのりさんにお邪魔しました。
「冬の旬天丼」を注文です。
牡蠣や鱈の白子、穴子のてんぷらなどがのっかった贅沢な1品です。お昼のきらきらいくら丼の量がすごかったので、そこまで空腹ではなかったのですが、ぺろりでした。
夕食後、女川駅のお風呂、ゆぽっぽへ。
まだできて1年たっていないこともあり、とーってもきれいで快適でした。
EL FAROに戻ってきました。
予想をしてましたが、ロフトに息子が大感激。上り下りをし始めたのですが、一人では心もとないので、お手伝いが必要で手助けをしていたのですが、10往復以上続けられてしまい、翌日の筋肉痛決定です・・・。
4日目(12月8日)
あっという間にツアー最終日。
おかせいさんによって買い物をしつつ、松島経由で横浜へ帰ります。
終わりに
今回は、初めて語り部の方の話を聞く機会を設けましたが、やはり被災地に行って自分たちだけで当時の状況を想像するよりも、はるかに具体的に震災時の様子を感じることができて大変有意義な旅になりました。
話を伺って感じたことは、災害時は一瞬で正しい判断を自らが下さなければ、命を落としてしまう状況が突如起こりうるということです。
そこで正しい判断を下すには、常日頃から自分の生活しているエリアがどういった災害に襲われる可能性があるのか、災害が襲ってきたときにどう行動をしていくのかを、家族みんなで共通の認識をもち理解し、備えを継続して続けることが非常に重要だと思います。
また、実際に被災された方の話を直に聞くことで、どう考えて行動し助かることができたのか、どういった判断ミスが起こって命を落としてしまったのかを、被災していない地域の人も学ぶことができます。
海に囲まれた島国の日本、東北のように津波の被害を受ける恐れのある地域は全国各地に存在しております。私たちが災害から身を守る術を身につけ、伝えていくことが、自分の子供や孫たちを救うかもしれません。東日本大震災の教訓を最大限生かして未来へつなげていくこと、これは東北だけでなく今を生きる我々全員が取り組んでいくべき課題であると、ガイドさんの話を通じて改めて強く感じました。
費用
◎交通費 135,170円
[電車]88,230円
・横浜駅→釜石駅
@18,410×3=55,230円
・仙台駅→東京駅
@11,000×3=33,000円
[レンタカー]46,940円
レンタカー 43,940円+ ガソリン 3,000円=46,940円
(12/5 14:00~12/8 14:00)
◎宿泊費 87,100円
1日目 ホテルフォルクローロ三陸釜石(夕・朝食含む)
@10,560×3=31,680円
2日目 南三陸ホテル観洋(夕・朝食含む)
@10,800×3=32,400円
@ 4,860×1= 4,860円
@ 2,160×1= 2,160円
3日目 EL FARO(朝食含む)
16,000円
◎食事代 25,226円
1日目昼食:4,750円
2日目昼食:3,320円
3日目昼食:6,480円
3日目夕食:5,076円
4日目昼食:5,600円
◎その他 39,900円
・語り部ガイド 4,500円
(釜石 3,000円+南三陸 1,500円)
・リアス・アーク美術館
@300×3=900円
・ゆぽっぽ(お風呂)
@500×3=1,500円
・おみやげなど 33,000円
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■合計
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交通費 135,170円
宿泊費 87,100円
食費 25,226円
その他 39,900円
------------------------- 287,396円
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