◯ツアー目的
昨年も東北を訪れましたが、今回は震災から自分の身、家族の身を守るために、普段から震災に対してどういった心構えを持っておくべきなのかなど、より深く学べるように意識してまわりました。
○日程
2015年12月5日(土)~2015年12月8日(火)
〇参加メンバー
自分 :神奈川在住、現在38歳。アラフォーです。
妻 :国内外問わず超旅行好き。アラフォーです。
息子 :魔の2歳児。最近のお気に入りは機関車トーマスとラムネ。乗り鉄です。
娘 :6か月。まだ右も左もわかりません。
ばあば:67年の人生で初の東北訪問。孫に執拗に付きまとわれるも、とっても
うれしそう。
1日目(12月5日)
いよいよツアーに出発です。
初日は釜石まで行き、語り部ガイドの方と釜石市内を回ります。
東京から新幹線に乗り、新花巻駅で釜石線に乗り換えます。
途中の山間部はかなり雪が積もっていました。
あまり雪を見慣れていない長男、無言で見入っておりました。
ちなみに車内にはバイオリンをはじめいろいろな楽器を持った団体の方々が。釜石で演奏会を行うのでしょうか。
避難場所に設置してあった看板です。
地震発生時刻、津波の規模などが記載されております。
この高台から津波を目撃した方たちの話によると、まるで雪崩のようだったといいます。
また、この湾には、ギネスブックにも認定されていた、世界最大水深の防潮堤があり湾を守っていたのですが、巨大津波は、28年かけてつくった防潮堤を1発で破壊してしまったとのことです。
逃げ遅れてしまった人達は、「あの防潮堤があるから大丈夫だろう」と油断をしてしまったことも原因のひとつとしてあったようです。
その一方で、防潮堤の設置により津波の到達を6分遅延させたとも言われており、防潮堤の効果があったともいえます。
高台で海と反対方向の崖を見上げると、
上からロープが垂れ下がっております。
ここをも飲み込む津波が襲ってきたら、
登れる者は上へ上へ逃げろということで
設置しているとのこと。
想定以上の事態に対する対策も、できる限り取ろうという意思が伝わってきました。
津波避難路の見学後、向かったのは鵜住居(うのすまい)地区。釜石市内でも最も被害の大きかった地区の一つです。
道中、「つなみてんでんこ はしれ、上へ!」を読みつつ、当時とっさの判断で津波から難を逃れた子供たちが走って上った坂などを紹介してくださいました。
津波の被害で亡くなられた方が釜石市内で1,000人以上いらっしゃる中、市内の小中学生約3,000人は99.8%の子供たちが生き抜きました。これは常日頃から津波に対する意識をみんなが持ち、発生時にどうするべきなのかを理解していたことが非常に大きかったのだと思います。(釜石の学校では避難訓練を津波から逃げることを想定し、走って行うとのことです)
亡くなられた方の80%が50歳以上で、過去に大きな地震を経験したことがある方たち。その方達の中には、「前回もここまでは津波が来なかったし、今回も大丈夫だろう」と判断してしまった方もいらっしゃったようです。ここでも、油断をすることの恐ろしさをガイドさんは語ってくれました。
また、難を逃れた高齢者の方々の中には、孫や近所の子に引っ張られて避難をし、そのおかげて助かったという人も少なからずいらっしゃったということで、常日頃から訓練をしている子供たちが、非常に大きな役割を果たしてくれたということです。
鵜住居地区から見た海です。
当時はきれいな砂浜があったのですが、津波により完全になくなってしまいました。
ここでは、つなみてんでんこについて話してくれました。
つなみてんでんこは、「自分の身は自分で守れ」という意味があることが震災後知られるようになったがそれとともに、別の意味もあるとのことです。
それは、家族を信頼するということです。このことも自分の身は自分で守るように、ということと同様に非常に重要であるとガイドの方はいいます。
津波の犠牲にあわれた方の中には、家族の身を心配して、家に戻ってしまったという方が少なからずいらっしゃいました。その人たちは、自分の家族が「自分で逃げてくれている」という風に信じることができずに危険なエリアに戻り、命を落としてしまったのです。
ガイドの方は、互いに信頼関係をより深くするために、常日頃から、地震があった際はどこどこに集合する、と家族で話していたおかげで、震災時も各自迷わず皆で話していた避難場所へ逃げ、無事再会することができたと話してくれました。
自分の子供たちはまだ小さいのでそういった約束をすることは難しいですが、少しずつ話していきたい、話していかなければいけない、と強く感じました。
駅への帰り道、鵜住居復興スタジアムの
建設予定地を教えてくださいました。
ここに建てられるスタジアムで、2019年ラグビーワールドカップの試合が行われる予定です。
「ラグビーの街」釜石に多くの笑顔、感動を生み出してほしいと強く願います。
チェックインしてホテルの部屋に入ると、
息子が大興奮!
部屋から釜石駅に停車している釜石線と
三陸鉄道が見えるのです。
その夜、「もういいんじゃないの?」というくらいずーっと窓から電車を眺めてにこにこしている息子なのでした。
2日目(12月6日)
二日目です。
この日は、釜石を出発して、陸前高田、気仙沼を経由して南三陸へ向かいます。
駅前にもラグビーワールドカップ開催地を祝う横断幕がありました。
ワールドカップ開催期間も訪れることができたらと思います。
最初の目的地、栃ヶ沢ベースに到着です。
昨年訪れたときは月曜日で定休日だったのですが、今回は大丈夫です。
左端の木村屋さんは休業しているようで、近くにある本店に後ほど向かうことに。
右端に見える「やぶ屋」さんで昼食です。
店内は大盛況でほぼ満席です。
少しの間待っていたのですが、周りにいる
たくさんの方が「僕いくつ?」「どこから来たの?」と長男に話しかけてくれて、全く待ち時間が退屈ではありませんでした。
(生後6か月の娘も2,3人のおばあちゃんから、「食べている間抱いておいてあげようか?と、抱っこ役を立候補していただきました。どうもありがとうございました。)
自分は写真の「天ざる」を注文。ボリューム満点で美味しかったです~。
食後、お隣の 「器・和雑貨・地酒 いわ井」さんでおむすびポーチを購入後、木村屋の本店に向かいます。
一本松の足元には、やなせたかしさんのイラストを基にしたモザイクタイルが飾られておりました。一本松の周りが少しにぎやかになった気がして、なんだか嬉しくなりました。
一本松との再会後、昨年に引き続き八木澤商店に。
黒豆とお醤油を購入。去年も黒豆を購入したのですが、本当においしいらしいです。らしい、が付く理由は、去年の黒豆はほぼ全て息子に食べられてしまい、一粒も食べられなかったからなのです・・・。今回はしっかりいただきます。
そして、しょうゆソフトも相変わらずのおいしさです。
我々が次に向かったのは、気仙沼市のリアス・アーク美術館。
ここに来た目的は、「東日本大震災の記録と津波の災害史」の見学のためです。
思わず目を覆いたくなるような被災現場の写真や、津波により破壊された洗濯機などが所狭しと並んでおります。
各資料には当時の状況の説明や、被災当時の壊滅した街を見た生存者のつぶやきなどが添えられており、当時のすさまじい状況を知ることができます。
全ての説明を読むにはかなりの時間を要すると思いますが、すべて読むべきではないかと思います。
3日目(12月7日)
今日はホテルの語り部バスツアーに参加し、南三陸から女川へ向かいます。
最初に向かったのは、戸倉中学校。
海抜15メートルほどの高台にある学校なのですが、一階部分が水没。
ここまで上がってきたのか・・・。という声が他の参加者から聞こえてきました。
また、津波が建物を回り込んで山側から流れ込んできたため、グラウンドに避難していた人達は、一瞬「山から津波が来た」と勘違いをしたそうです。
東日本大震災の直前の余震が発生した際、戸倉小学校では職員会議が開かれて、避難場所を学校の屋上から高台に変更をしたとのことです。震災後、津波の被害を受けずに残った建物は戸倉地区中心部ではわずかに4件。その4件が立地していた場所が、新たに避難場所に設定した高台にあったとのことで、その時の素早い対応が多くの命を救いました。
当時、子供たちは高台からさらに近くの神社(写真中央部やや右寄り)に避難。そのとき、生徒たちは卒業式で歌う予定だった川嶋あいさんの「旅立ち日に」を皆で歌い互いに励ましあって夜を過ごしたのですが、それを聞いた川嶋あいさんが、5か月遅れで登米市の廃校で行われた戸倉小学校の卒業式にサプライズで登場し、「旅立ちの日に」を23名の卒業生のために歌ってくれたのだそうです。きっとこの歌が23名の子たちの、心の支えになってくれるのではないでしょうか。
次に向かったのが高野会館。
ここでは、当時老人クラブの催しが行われており、従業員含めて327名の人々が建物の中におりました。震災発生時、我先に逃げようとロビーに殺到した方々の前に立ちはだかり、外は津波の危険があるため、屋上へ逃げろ、と指示を出したスタッフの方がいらっしゃったようです。
津波は屋上部分まで押し寄せてきたものの、なんとか皆流されずに済みました。ここでも、一人のスタッフの方の瞬時の判断が多くの人を救いました。
ツアーの最後に訪れたのが防災庁舎です。
津波が来る直前まで避難を呼びかけ、結果多くの職員が津波の犠牲になりました。ここではバスから降りることができましたので、各自祈りをささげました。
この建物は宮城県の県有化が決まり、今後20年間保存されるとのことです。その間に、取り壊すのか、残していくのかを南三陸の人達で時間をかけて考えていかなければいけない、とガイドの方がおっしゃっておりました。
残すのか、取り壊すのか、どちらにしても非常に難しい問題だと思いますが、どうか地元の皆さんが納得できる結論が出てくれればと思います。
防災対策庁舎からホテルへ帰る途中、ガイドの方が改めて震災後の状況を話してくださいました。
震災後、ホテルに電気が復旧したのが4月15日、水は7月2日までかかったとのことです。(この辺りではまだ早いほうだったともおっしゃっておりました)
また、ガイドさんご自身は震災後、ホテルでの被災された方の対応などに追われ、ご自身の自宅がある気仙沼には全く戻れず、家族の安否確認もできずで、毎日、「生きてくれていたらいいな」と思いながら生きていたとのことです。このガイドさんのような多くの方々の頑張りも、ここに復旧してくるまでにきわめて大きな役割を担っていたのではないか、と改めて気づかされました。
(ガイドさんのご家族の方がご無事だったのですが、残念ながら家は津波により流されてしまい、基礎しか残っていなったとのことです)
商店街の横に、私がかつて働いていたホームセンターがありました。(私は関東エリア配属だったため、東北の店舗はきたことがありませんでしたが)
このコメリH&G志津川店は震災の被害を大きく受けた店舗で、2年前にここに新たに出店をしたとのこと。震災当時のスタッフは今のお店には残っていないとのことでしたが、震災時、従業員の方は皆無事だったとのこと。建築資材や工具も多く扱う店舗なので、これからの地域の復興に大いに活躍をしてほしいと思います。
コメリを後にしたのち、大川小学校を訪れました。
敷地内にクリスマスツリーが飾られている以外、特に前回来た時と比べて変わっているところはないと感じる反面、この地を訪れたときに感じる悲しみは、むしろ前回よりも強くなっていると感じました。これは、うまく説明ができないのですが、自分の子供が、ここで犠牲なった子たちの年齢に少しずつ近づいてきたことにより、去年よりもさらに自分の身に置き換えて想像するようになったからかもしれません。
初めて訪れた祖母ももちろん大川小学校のことは知っておりましたが、犠牲者の数、年齢を見て改めてショックを受けていたようです。孫(私の息子)とともに長い時間お祈りをしておりました。
本日の宿泊地、El Faroに向かう途中、おがつ店こ屋街を訪れました。ここでは、何度かサバの缶詰を注文して送ってもらっており、そのお礼を兼ねて再び缶詰を購入しに入店です。サバの味噌煮缶などを買い込み、またお願いしますとご挨拶もできました。次訪れたときもお邪魔させていただきます。
ホテルに荷物を預けて、夕食へ。
女川のニューこのりさんにお邪魔しました。
「冬の旬天丼」を注文です。
牡蠣や鱈の白子、穴子のてんぷらなどがのっかった贅沢な1品です。お昼のきらきらいくら丼の量がすごかったので、そこまで空腹ではなかったのですが、ぺろりでした。
夕食後、女川駅のお風呂、ゆぽっぽへ。
まだできて1年たっていないこともあり、とーってもきれいで快適でした。
EL FAROに戻ってきました。
予想をしてましたが、ロフトに息子が大感激。上り下りをし始めたのですが、一人では心もとないので、お手伝いが必要で手助けをしていたのですが、10往復以上続けられてしまい、翌日の筋肉痛決定です・・・。
4日目(12月8日)
あっという間にツアー最終日。
おかせいさんによって買い物をしつつ、松島経由で横浜へ帰ります。
終わりに
今回は、初めて語り部の方の話を聞く機会を設けましたが、やはり被災地に行って自分たちだけで当時の状況を想像するよりも、はるかに具体的に震災時の様子を感じることができて大変有意義な旅になりました。
話を伺って感じたことは、災害時は一瞬で正しい判断を自らが下さなければ、命を落としてしまう状況が突如起こりうるということです。
そこで正しい判断を下すには、常日頃から自分の生活しているエリアがどういった災害に襲われる可能性があるのか、災害が襲ってきたときにどう行動をしていくのかを、家族みんなで共通の認識をもち理解し、備えを継続して続けることが非常に重要だと思います。
また、実際に被災された方の話を直に聞くことで、どう考えて行動し助かることができたのか、どういった判断ミスが起こって命を落としてしまったのかを、被災していない地域の人も学ぶことができます。
海に囲まれた島国の日本、東北のように津波の被害を受ける恐れのある地域は全国各地に存在しております。私たちが災害から身を守る術を身につけ、伝えていくことが、自分の子供や孫たちを救うかもしれません。東日本大震災の教訓を最大限生かして未来へつなげていくこと、これは東北だけでなく今を生きる我々全員が取り組んでいくべき課題であると、ガイドさんの話を通じて改めて強く感じました。
費用
◎交通費 135,170円
[電車]88,230円
・横浜駅→釜石駅
@18,410×3=55,230円
・仙台駅→東京駅
@11,000×3=33,000円
[レンタカー]46,940円
レンタカー 43,940円+ ガソリン 3,000円=46,940円
(12/5 14:00~12/8 14:00)
◎宿泊費 87,100円
1日目 ホテルフォルクローロ三陸釜石(夕・朝食含む)
@10,560×3=31,680円
2日目 南三陸ホテル観洋(夕・朝食含む)
@10,800×3=32,400円
@ 4,860×1= 4,860円
@ 2,160×1= 2,160円
3日目 EL FARO(朝食含む)
16,000円
◎食事代 25,226円
1日目昼食:4,750円
2日目昼食:3,320円
3日目昼食:6,480円
3日目夕食:5,076円
4日目昼食:5,600円
◎その他 39,900円
・語り部ガイド 4,500円
(釜石 3,000円+南三陸 1,500円)
・リアス・アーク美術館
@300×3=900円
・ゆぽっぽ(お風呂)
@500×3=1,500円
・おみやげなど 33,000円
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■合計
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交通費 135,170円
宿泊費 87,100円
食費 25,226円
その他 39,900円
------------------------- 287,396円
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