【8月11日】ワイマール憲法の教訓を考える日

Rinoue125R

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社会科の教科書の中にあった言葉を思い出させてくれたのは、おととしの麻生太郎副総理兼財務大臣が講演会で行った演説だったかもしれない。

「ワイマール憲法もいつの間にか変わってて、ナチス憲法に変わってたんですよ。誰も気が付かない間に変わったんだ。あの手口、学んだらどうかね」(講演のビデオから)

発言の真意がどこにあったのかは措くとしよう。しかし、彼の発言によって、ワイマール憲法がどれほど素晴らしい憲法だったのか、約100年後の人たちが広く知ることになったのは事実だ。

ワイマール憲法は第一次世界大戦で敗戦国となったドイツで、今から96年前の1919年8月11日制定された憲法だ。その第一条で、国家権力は国民に由来するものと宣言し、国民主権を明確に打ち出した。選挙権は20歳以上の男女に与えられた。世界で初めて労働者の団結権などの社会権を保障することも明記された。

ワイマール憲法はその後の各国の憲法に大きな影響を及ぼし、「20世紀に初めて実現した最も民主主義的な憲法」と高く評価されてきた。マグナカルタや権利章典の時代から続けられてきた権力者と民衆の間の相克の長い歴史の末にようやく、しかも人類が初めて経験した世界戦争の後に誕生した、民主主義の金字塔とも言えるものだった。しかしワイマール憲法はそのわずか13年後、ナチスの台頭によって儚くも空文と化してしまうのである。

ワイマール憲法は、国民の人権を幅広く擁護する内容が盛り込まれる一方で、大統領が国民の権利を一時的に制限できる条項も内包していた。強力な大統領令によりナチスの対抗勢力が抑え込まれる中で「全権委任法」が成立し、憲法とはまったく相容れない強権的な政治運営が可能となり、ヒトラーは文字通りドイツ国家の全権を掌握することになる。ひとつの法律が憲法を有名無実なものにしてしまったのだ。第二次世界大戦の遠因をそこに求めることができるほど、ワイマール憲法の空文化は重大な歴史的事件だった。

しかし、ナチス政権によって意味を奪われたワイマール憲法は、基本的にはナチス・ドイツの時代も通して、ドイツの憲法として戴かれ続けていたのだ。侵略戦争も、市民に対する無差別攻撃も、ユダヤ人をはじめとするドイツ国民への弾圧・ジェノサイトも、ワイマール憲法を国家の最高規範とする国家によってなされたことなのだ。

これほど恐ろしいことがあるだろうか。どのように立派な憲法、あるいは法律やルールでも、ある種の意図を持った人たちの手に掛かれば完全に骨抜きにされてしまうことをワイマール憲法の歴史は教えてくれる。いかに美しい憲法であっても、それを大切にする文化が国民に根付いていなければ、憲法と言えどもただの文字列に堕してしまう。

この歴史が示しているのは、「いつの間にか変わってしまう」ことは私たち1人ひとりの他に食い止めることが出来ないということでもある。

ワイマール憲法が制定された8月11日は、民主主義がいかに脆いものなのかを繰り返し思い出すための記念日でもあるのだ。

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