[1月30日という日]ヒトラー首相指名の日

Rinoue125R

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1933年1月30日、ヒトラーが首相に指名される

1933年3月21日、ポツダムでの国会開会式。ヒトラー首相と握手するヒンデンブルク大統領
1933年3月21日、ポツダムでの国会開会式。ヒトラー首相と握手するヒンデンブルク大統領

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1932年7月の選挙でナチス党は第一党となったが、議席は過半数には及ばなかった。ワイマール憲法下では首相指名は大統領の職権で、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相指名しなかった。大統領の側近から副首相を打診されたヒトラーは激怒したという。首相の座のみならず「全権委任法」の成立まで要求と伝えられる。しかし大統領との直接会談では大統領の威厳に屈する形で退散。この時点での首相就任はならなかった。

しかし2人の首相が相次いで失脚することとなり、半年後、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に指名せざるをえない状況に追い込まれる。

首相に就任したヒトラーは、国会議事堂放火事件を政治利用し、緊急大統領令の布告、ナチ党以外の政党が参加した「最後の選挙」を経て、ヒトラーへの全権委任法の承認と、憲法を変えることなく独裁体制を固めていく。

写真は1933年3月5日の「最後の選挙」で政権を固めた後のもの。ヒンデンブルク大統領は手袋を着けたまま、会釈するヒトラーを見下ろしている。この時ヒトラーは何を思っていたのだろうか。

1701年1月30日(元禄15年12月14日)赤穂浪士討入

1701年1月30日、赤穂浪士大石良雄(内蔵助:くらのすけ)以下47名が、本所の吉良邸(現在:墨田区両国3-13-29本所松坂町公園)に討ち入り決行。旧暦では元禄15年12月14日。実際に吉良邸内に突入したのは、日付が変わった翌未明とも言われる。

2014年1月14日、都知事選への出馬表明を行った細川護熙元首相に、応援人である小泉純一郎元首相は「今日は赤穂浪士討ち入りの日」と語ったとされる。

 NEWSポストセブン|小泉氏 細川氏に「今日は赤穂浪士討ち入り日、出馬は今日だ」
www.news-postseven.com  

「忠臣蔵」として人形浄瑠璃や歌舞伎、映画、舞台、テレビドラマなどで繰り返し演じられてきた赤穂浪士四十七士の物語は、いまも日本人の心のどこかに生き続けているのかもしれない。

歴史の中の1月30日

▼1649年 清教徒革命でチャールズ1世が処刑される

父の死後、王位を継承してからは議会を軽視、解散、その後専制政治を行ってきたチャールズ1世の治世は、ピューリタン(清教徒)の弾圧と内戦に終始した。
各地で繰り広げられた内戦は王党派の優位が続いていたが、オリバー・クロムウェルの登場で戦況は逆転。チャールズ1世は捕えられ、裁判で死刑宣告を受ける。
死刑執行は、王自らが内装を命じたホワイトホール宮殿バンケティング・ハウス前で、公開のもと行われた。王が斬首される残虐な処刑の様子を、建物のまわり、屋内の窓から、さらに屋根から多くの民衆が見物する版画が残されている。

チャールズ1世の斬首(Beheading of Charles I of England (1649))
チャールズ1世の斬首(Beheading of Charles I of England (1649))

commons.wikimedia.org

▼1661年 オリバー・クロムウェルの遺体が斬首される

清教徒革命で議会派の軍人として戦い、後に共和国初代護国卿として実質的な独裁体制を敷いたオリバー・クロムウェルの死後、王政復古が行われたことで評価が急展開。反逆者として墓をあばかれ、遺体は絞首刑の末に斬首、さらにウェストミンスターホールに晒された。

▼1862年 アメリカで北軍の装甲艦モニターが進水

南北戦争のハンプトン・ローズ海戦で装甲艦同士の戦いを繰り広げることになる北軍(合衆国海軍)のモニターがニューヨークで進水。木造の船体に鋼鉄の装甲を施した装甲艦同士の戦いは引き分けに終わったが、海戦に参加したほかの木造艦船は多大な被害を蒙った。これ以後、重装甲で重武装な小型軍艦が各国で造られるようになり、モニター艦と呼ばれた。

▼1877年 西南戦争の発端となる弾薬庫襲撃事件

征韓論で鹿児島に帰った西郷隆盛は、各地に私学校を設けて不平士族の子弟らの教育を行っていた。一方、徴兵によって組織された帝国陸軍の主力銃の弾丸のほとんどは鹿児島市内で製造されていた。この弾丸製造設備を陸軍側が持ち出したことに危機感を覚えた私学校のメンバーらが、弾薬庫を襲撃。武器や弾丸を略取した。

▼1902年 日英同盟調印。即時発効

ロシアへの対抗という利害が一致した日英間で同盟が結ばれる。1904年に勃発した日露戦争や第一次世界大戦当時の同盟関係だったが、ワシントン会議で同盟の解消が決定し1923年に失効する。

この日が誕生日

◆1882年 フランクリン・ルーズベルト
合衆国第32代大統領。第二次世界大戦のため特例的に4選された(在職:1933年3月4日~1945年4月12日)。第26代大統領セオドア・ルーズベルトは従兄。

◆1912年 川上源一
日本楽器の4代目社長、ヤマハ発動機の創業者。ピアノ生産を世界一に育て上げ、1954年にはオートバイ事業に進出。翌年ヤマハ発動機を設立。
(どうりで楽器のヤマハとヤマ発のロゴが一緒なんだと思った方、実は微妙に違っているのです。音叉を3つ組み合わせた円形のロゴでは、音叉の付け根がサークルの中に納まっているのが楽器のヤマハ。飛び出しているのがヤマ発。ローマ字のロゴも、「M」の真ん中の谷が地に着くかどうかの違いが)

◆1920年 長谷川町子
佐賀県出身の漫画家。日本初の女性漫画家といわれる。「翼賛一家大和さん」(太平洋戦争中のシェアワールド漫画)「サザエさん」「いじわるばあさん」など

◆1925年 ダグラス・エンゲルバート
コンピューター文化草創期のアメリカの発明家。初期のマンマシンインターフェースに関連する業績が評価されている。彼の発明として有名なのは「マウス」。

◆1948年 柳ジョージ
横浜出身のミュージシャン。日本人離れした歌唱力と、「和製クラプトン」と呼ばれたギターが特徴だった。

◆1958年 石川さゆり
熊本県出身の日本の演歌歌手。「津軽海峡・冬景色」「天城越え」「風の盆恋歌」など多数。被災地の支援活動にも力を入れており、40周年記念となる「浜唄」は東松島市の大曲浜獅子舞の浜甚句をモチーフにしたもの。

この日亡くなった人たち

・1652年 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
光と影の描き出し、人物の表情の表現などに卓抜したものを持つ画家。「いかさま師(ダイヤの札版」や「悔い改めるマグダラのマリア」「聖ヨセフ」など、画家の名前は知らなくても絵はほとんどの人が知っている名作を残している。

思索にふけるマグダラのマリアのその手は、分厚い書物に載せられた骸骨に添えられている。骸骨は鏡にも写り込んでいる。「悔い改めるマグダラのマリア」ナショナル・ギャラリー
思索にふけるマグダラのマリアのその手は、分厚い書物に載せられた骸骨に添えられている。骸骨は鏡にも写り込んでいる。「悔い改めるマグダラのマリア」ナショナル・ギャラリー

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・1867年 孝明天皇
幕末を生きた第121代天皇。明治天皇の父に当たる。攘夷を頑なに主張し続けたことで、幕末の歴史の渦のひとつの中心をなした。慶應2年12月25年(旧暦)崩御。病死とされるが他殺説も根強く残る。

・1981年 宮本常一(つねいち)
山口県周防大島に生まれた民俗学者。生涯かけて日本各地を歩きフィールドワークを続けた。「忘れられた日本人」「山に生きる人びと」など、日本人の生業について膨大な記録を残した。

・1994年 豊田穣(じょう)
海軍兵学校を経て艦上爆撃機搭乗員としてラバウルに進出するも、ガダルカナル島の戦闘で撃墜され捕虜に。終戦後は新聞記者から作家に転じた。「ミッドウェー海戦」「小野田元少尉の母」「蒼空の器 若き撃墜王の生涯」「雪風ハ沈マズ」など戦記、歴史のジャンルでの作品多数。

 参考ページ:【終戦70年】ガ島の夜光虫、哀しき「ケ号作戦」
potaru.com

豊田穣の「雪風ハ沈マズ」からガダルカナル島の悲惨な戦争を紹介。

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