12月14日は衆院選投票日です!

sKenji

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明日12月14日(日)は衆議院議員総選挙の投票日です。前回の衆院選の投票率は「59.32%・・・」。今日は少し選挙のことについて考えてみたいと思います。

真の普通選挙を求める香港

今、日本では政治家の方たちが選挙戦を繰り広げていますが、海をはさんだお隣の香港では、一般市民が真の普通選挙実施を求めて戦っていることはニュースで報じられている通りです。

香港では主な選挙として、行政長官選挙、立法会選挙、区議会選挙があります。今、問題になっているのは香港のトップを選ぶ「行政長官選挙」です。普通選挙と言っておきながら、中国政府の意向に沿った人物しか立候補できない仕組みになっており、これに対して抗議運動が起こっています。

一昨日11日、強制排除が行われたことが報じられていたものの、学生が中心となり大規模なデモが行われてきました。その規模は最大時で18万人にものぼったとのことです。これは香港史上最大規模ともいわれています。香港の総人口は約700万人です。つまり約2.5%の人がデモに参加したことになります。2.5%と言えば、日本の総人口で考えると約320万人、東京都だけで考えてみると約33万人以上もの人が参加したことになります。

香港で行われているデモの参加者は「このままでは1国2制度が崩壊してしまう」「香港は自分たちの手で守る」と言っているそうです。

当たり前のようにあるとその価値に鈍くなってしまいますが、今の香港の方たちは投票することのできる権利がどのようなものか、一番感じているのかもしれません。

完全普通選挙が実施されるまで

香港の人たちが求めている真の民主的な普通選挙。今の日本では当たり前のように、一定年齢以上の人ならば、性別や身分に関係なく投票することができますが、完全普通選挙が実施されるようになったのは、有史以来数千年という人類の歴史で見るとつい最近のことと言えます。

民主主義の発祥は古代ギリシャと言われています。しかし、投票権を与えられていたのは一部の人だけであり、女性や奴隷には投票権がありませんでした。古代ギリシャ以降も世界各地で数多くの国が興ったものの、一定の年齢以上の全ての人に投票権が与えられる、いわゆる完全普通選挙が行われるようになったのは、ニュージランドで1893年になってからだと言われています。今からわずか120年ほど前のことです。日本においては、第二次世界大戦後の1945年に、初めて完全普通選挙が実施されました。

投票について「公務説」と「権利説」という考え方があるらしいけれど・・・

以前、海外を長期間旅行していたことがありました。なかには、独裁者が支配している国や、自由や平等が制限されている国もありました。そのような国で現地の方と話をすると、幾度となく日本人であることを羨ましがられ、「日本に行きたい。どうすれば行けるのか」と聞かれました。彼らは日本に憧れていたようでした。「いったいなぜそんなに日本に来たいのか」と尋ねてみると、だいたい2つの答えが返ってきました。ひとつは日本の「豊かな経済力」。そして、もうひとつが「自由と平等。そして、自分たちで指導者を選ぶことができること」です。選挙という形で国の指導者や方向性を自分たちで決めることができる権利をもっていることを羨ましいという人が少なくありませんでした。

今、日本では一定以上の年齢ならば誰でも制限なく自由に投票することができます。しかし、当たり前のようにあると、その権利が長い時間と犠牲の上に成り立っているものであることをあまり意識しなくなってしまっているような気がします。

投票に対しての考え方は2つあるそうです。ひとつは「投票は国民の義務であり、するべきだ」と考える公務説。そしてもうひとつが「投票は権利であり、するしないは個人の自由である」という権利説。どちらが正しいかなんてことはわかりません。ただ、義務であるにせよ、権利であるにせよ、投票は自分たちの未来のために行うものであることに間違いはないような気がします。

明日14日。投票したい政治家や政党がなければ、せめて白票を投じてみるのもいいかもしれません。無関心や何かしらの意思を示さないでいることは、権利を得るために犠牲及び苦労をしてきた先人や、今この時も戦っている方に対して、申し訳ないものも感じます。

Text:sKenji

最終更新:

コメント(5

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  • I

    iRyota25

    白票は、現在の選挙制度では無効票、つまり投票しなかったことと同じです。白票を薦める姿勢にははっきり異議を申し上げたいと思います。
    どうしても投票したい人がいないのであれば、自身が立候補するというのが現在の制度から導きだされる結論だと思う。しかし、現実的な社会のしくみとして難しい場合もあるでしょう。だったら、より自分に近い意見の人に投票する。そして、その人の事務所に行くなり手紙を出すなりして、有権者のひとりとしての意見を伝える。「もっと立候補しやすい制度に」ということも含めて。
    有権者から候補者に対して働きかけることができるということが、ずっと忘れ去られていることが、低投票率の大きな要因のひとつかもしれません。自分は、自分の選挙区ではない国会議員にですが、直接会って、露天風呂に一緒に入って、事故原発に関して要望を伝えたこともありますよ。(たまたまの偶然でしたけどね…)

    • S

      sKenji

      現在は積極的に投票したい候補者、政党がいなくても投票するようになりましたが、もう少し若い頃、政治に無関心だったわけではありませんが、あえて投票に行かなかった時期もありました。

      • S

        sKenji

        理由は、考えに近い政策と言っても、選挙前になると大衆受けすることを多く述べて、当選後はそれらの多くを忘れたかのように実行しない政党、政治家、が多いと感じていたこと。また候補者の政治家自身にいい噂などなく投票したくなかったという理由でした(昔のことです)。政策だけでなく、実現力を含めて候補者自身に投票したいかなど、貴重な一票だからこそ、あえて投票したくないと思っていました。

        • S

          sKenji

          投票率を見ると、若い世代と年配の世代の投票率は明らかに違います。白票を薦めることには問題ありますが、全く投票に行かないよりは、選挙に関心を持ち続けること。またあえて白票で否定の意志(無効票で直接の影響力はありませんが)だけでも示した方がいいかと思っています。

          • S

            sKenji

            今回は経済政策、消費税、原発問題、憲法なども含めて数々の重要な問題があり、より近い考えの政党、政治家いを選ぶのは特に難しいと感じる人もいるのではないかと思います。

            たしかに「意見を伝えること」などは必要なことだと思います。