こころのつぶやき Vol.8 ~終戦の日の今日、シリアから思うこと~

sKenji

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今から9年前の2005年6月。私は中東・シリアを旅行していた。

その頃のシリアは平和で、のどかさすら感じる国であった。スークと呼ばれる市場には買い物客が溢れ、街の通りには人々が行きかっていた。フレンドリーな人も多く、道を尋ねるとたどたどしい英語で一生懸命教えてくれる人も少なくなかった。

シリアには7つの世界遺産がある。そのうち6つを訪れたが、いずれもゾクゾクするような興奮や建設当時の世界にいるような感覚を覚える素晴らしいものばかりであった。

魅力的な街も多かった。世界最古の街と言われるダマスカス、世界最大規模のスークと重厚な城が街のシンボルになっているアレッポ、水車の街・ハマなどは日本と異なったエキゾチックな雰囲気漂う街で、歩いているだけで楽しくて仕方なかった。土産物屋を覗きながら、街をぶらぶらとあてもなく彷徨う。気になった店を見つけると、中に入って店の主人と値段交渉をして買い物をするのが楽しかった。日本ではなかなか目にすることができない代物に好奇心と購買心を刺激された。

訪れる前は少し物騒なイメージがあったものの、旅行するにつれその魅力に引き込まれていった国だった。シリアからトルコへ出国するとき、もう一度来たいと思った。

ダマスカス
ダマスカス
ハマ
ハマ
アレッポ
アレッポ

シリアのその後

しかし、それから6年後。シリアは一変した。

チェニジアから発生したアラブの春と呼ばれる一連の民主化運動を発端に内戦が始まった。当初は旅行当時の安全なシリアのイメージが強く、楽観的にとらえていた。争いはすぐに鎮静化すると思っていた。

しかし、戦闘はどんどんとエスカレートしていき、現在シリアでは、17万人以上の人が犠牲になり、約2200万人の人口のうち900万人を超える人が避難民になっていると聞く。一部の世界遺産や歴史ある街並みも破壊されている。

訪れた街の今を伝えるニュースを聞くたびに、泊まっていた安宿で働いていた兄ちゃんや、道を聞いて知り合ったおじさん、土産物屋のおじいちゃんなど現地で出会った人たちの今を考えてしまう。

8月15日の今日

今になって、シリアで出会った人に聞いておけばよかったと思うことがある。
それは、「シリアが今日のような状況になる可能性について頭にあったのか」ということである。

ごく一部しか知らない旅行者の私の目には、旅行当時のシリアは平穏に映り、今のような状況になることを想像することができなかった。現地の人はどう考えていたのだろう。

シリアや旅行で訪れた他の国で争いが発生し、多くの犠牲者を伝えるニュースと映像を見ると、その変わりように衝撃を覚えると同時に「今当たり前に感じている平穏な生活は、ひょっとして考えているよりも、危うく脆いものなのではないだろうか」とさえ思ってしまった。

少なくとも全くの無関心状態で、ほっといてもずっとありつづけるようなものではないように思える。関心を持っていれば、必ずしも争いを回避できるとは思わないものの、結果は変わってくるかもしれない。ただし、平穏な生活はひとりやひとつの国が求めても維持することはできない。

8月15日の今日。過去の出来事、今ある平穏な生活、そして未来を考える日にしたい。

シリア・ダマスカス

2005年6月。シリア・ダマスカスにて
2005年6月。シリア・ダマスカスにて

Text & Photo:sKenji

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