先日、3泊4日の東北旅行に行ってきた。その際、岩手県の宮古市内で短いながらも、震災発生時の津波の様子を聞く機会があった。宮古市街を襲った津波は、私が考えていたようなものとは異っていた。
迷い込んだ道で
東北旅行の2日目。レンタカーで八戸から太平洋岸を南下して、その日の宿泊地である宮古市にたどり着く。午前中、予定外の奥入瀬に行ったために、同市内に入ったころには辺りがすでにうす暗くなっていた。
宿泊する宿は「ホテル近江屋」である。田老地区の堤防を歩いて見て回った後、レンタカーのカーナビに「ホテル近江屋」を設定しようとしたが、見つけることはできなかった。そのため、住所を頼りに同ホテル近くまで来たものの、詳細な場所はわからなかった。
国道45号線を南下して、だいたいこのあたりであろうと思われる交差点を左折して、脇の通りに入ってみる。
どうやら勘が外れたようで、脇道にはゲートがあり、警備員の男性が一人立っていた。夜間だったせいか、車は私以外になかった。とりあえずゲートまで進み、道を間違えたことを警備員に伝えて、敷地内でUターンをした。そして、再びゲートから出る際に、
「すいません。このあたりにホテル近江屋という宿はないでしょうか?」と尋ねると、警備員の男性は、
「すぐそこですよ」と言って、近くにある高い建物を指さした。警備員の男性は、20代前半くらいで、フレンドリーな感じのする方だった。私はゲートの先が気になり、お礼を言った後に、
「この先に、何があるのですか?」と聞いてみた。警備員のお兄さんは、
「港があります。不法投棄をする人がいるので、その防止のために出入りする車を確認しています」と教えてくれた。
すぐ近くには海がある。震災時の津波のことが頭をよぎった。お兄さんに「地元の方ですか?」と聞くと、「そうです。」というので、震災当時のことを尋ねてみた。お兄さんは宮古市街を襲った津波のことを語ってくれた。
宮古市街を襲った津波について
地震発生直後、警備員のお兄さんは少し離れた高台におり、そこから押し寄せてくる津波を見ていたという。
宮古市街を襲った津波は、記録によると10m前後ある。近くの浄土ヶ浜でも10m以上の山を津波が乗り越えている。甚大な被害をもたらしたにも関わらず、お兄さんから聞いた津波の話は、少し意外な部分もあった。
お兄さんが見たという津波は、最初それほど大きいものだとは、感じさせなかったという。遠目ではあったが、高さ1mくらいに感じたとのことである。普通のサーファーが乗るような大きさの波だったそうだ。映画やマンガで見ていたような、巨大な波が一気に襲ってくるかと思っていただけに、意外な感じがしたという。
そのため一度は高台に避難したにも関わらず、見物をしに堤防に戻った人もいたという。私が「堤防ですか?」と聞くと、ゲートの両脇にある高さ1~2mほどの小さな堤防を教えてくれた。10m、20mといった巨大堤防ならまだしも(絶対に戻ってはいけませんが・・・)、あまりにも小さい堤防の上に戻ったことに驚いて「この堤防ですか?」と確認すると、お兄さんは「はい」と言った。
お兄さんが津波の恐ろしさを知ったのは、第一波が到来してからだという。津波が堤防に達すると波は引くことなく、水位がどんどんと増していき、あっという間に堤防を越えたという。その状態が、20~30分位続いたのではないだろか。とのことだった。
私が頭の中で当時の状況を想像していると、お兄さんはその時の様子について、しばらく考えた後に、「まるでお風呂の湯船に『ドボン』と飛び込んだ際にできる波のようだった」と教えてくれた。
私は、以前津波について少し調べたことを思いだした。津波は、次から次へと波が押し寄せるのではなく「面」でくるという特徴があり、通常の波とは大きく異なるとのことだった。津波の第一波(面で押しよせる津波の先端)が堤防に達した後も、面で押し寄せてきている津波が、あとからあとから来ることにより、水位は引くことなく、増していったのかもしれないと思った。
ちなみにお兄さんが話してくれた、徐々に水位が上がっていった宮古市街の津波の様子は、翌日訪れた浄土ヶ浜のビジターセンターでも同じように聞いた。
堤防を越えた津波は、人や建物を襲ったという。港に置かれていた大きな木材などが一緒になって流され、それらがまるで凶器のようになったとのことだった。
その他に、流されていく車を間のあたりにしたこと。堤防に津波を見に行った人が犠牲になった話を伝え聞いたこと。などの話をしてくれた。
お兄さんとの会話は10分程度だったと思う。しかし、「最初は小さく見えた津波がどんどんと水位を増していったこと」。「堤防に戻るという行動をとった人が、なぜいたのか」。といった話を実際に聞くことができたことは、時間の長さでは計り知れない教訓になった。
※宮古市街を襲った東日本大震災の津波の話です。津波が必ずしも話にあるような、徐々に水位があがるものとは限りません。
ホテル近江屋
Text & Photo:sKenji
最終更新:
onagawa986
震災の当時の記憶、本当はみんな話したい、伝えたいと思っているんです。そういうきっかけや場所がないだけ。聞いてあげること、それを伝えること。心の支援活動です。
sKenji
震災の被害にあわれた方に何をどこまで聞いて、聞いたことをどこまで伝えていいのか。迷いもありますが、聞いたことを少しでも伝えていくことができればと思います。