浄土ヶ浜で聞いた津波の話 ~後編~

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前編のはなし

 【ぽたるページ】浄土ヶ浜で聞いた津波の話 ~前編~ - By sKenji - ぽたる
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奥浄土ヶ浜での出会い

ビジターセンターを後にすると、海岸沿いの遊歩道を歩いて、奥浄土ヶ浜を目指した。途中には、小石浜、浄土ヶ浜(中の浜)、砥石浜などの小さな浜があり、奥浄土ヶ浜は、その一番奥にある。遊歩道から見える海は透明度が高く、浜を襲ったという津波を想像することは難しかった。

津波を想像するのが難しいほど、今は美しさを取り戻しています。
津波を想像するのが難しいほど、今は美しさを取り戻しています。
透明度の高い海。
透明度の高い海。

奥浄土ヶ浜には、ビジターセンターから歩いて15分ほで着いた。その日、東北は夏のような暑さだった。透き通った海に吸い寄せられるように、靴を脱いで、膝まで海に入ってみる。海水は、驚くほど冷たかった。雪解け水に足を浸しているようで、しだいに痛みが走ってくる。ちぎれそうな痛みであった。たまらず岸に上がる。

浜には、多くの観光客がいたが、乗ってきた大型バスで帰っていった。人が少なくなった浜では、一人の男性がごみを拾っていた。年齢は60歳代くらいだろうか。青いキャップをかぶり、サングラスをかけている。

波打ち際に来た際に、男性に写真撮影をお願いしてみると、快く応じてくれた。再び海に入り、ポーズをとって記念撮影。冷たさから逃げるように岸に上がり、「海の水、恐ろしいほど冷たいですね」と言うと、男性は「まだ寒いよ。再来月にならないと、駄目ですよ」と笑って、道路の方に向かって歩いて行った。

靴を履き、浄土ヶ浜の写真を撮影する。だいたい撮り終わり、駐車場に戻ろうと思ったのだが、高台から浄土ヶ浜全体の写真を撮っておきたかった。道路の方を見てみると、パイプ椅子が1脚、道路脇の草地に置いてあり、そこに人が座っていた。写真をお願いした男性だった。

私は男性の元に行き、「先ほどは、ありがとうございました。」と声をかけて、浄土ヶ浜を一望できる場所がないか聞いてみた。すると、男性は、崖の上にある展望台を教えてくれた。そして、どこから来たのかと尋ねてきた。私が、静岡であることを言うと、「遠いとこから来たねえ」と笑顔で言った。

私が、「地元の方ですか?」と聞くと、男性はそうだと言って、今、奥浄土ヶ浜でバスなど車の交通整理をしていること。以前は、ザッパ船という小型船で、近くの海辺にある洞窟などへ観光客を案内する仕事をしていたこと。ザッパ船の仕事が軌道に乗り始めたころに、震災が発生したことなどを教えてくれた。

震災発生時、男性は浄土ヶ浜にいたとのことだったので、当時のことを聞いてみた。

奥浄土ヶ浜で聞いた津波の話

震災当時のことを聞くと、男性は、まず最初に重々しい口調で「地獄のようだった」と言った。表情はサングラスで、よくわからない。そして、

「崖があるでしょう」と言って、浄土ヶ浜の入り江に面している崖を指差した。

「あの崖が崩れてきて、木が落ちて来た。海岸には土埃が舞い上がり、まさに地獄のようだった」と言った。男性はその後も、二度三度と「地獄」という単語を口にした。

津波のことを聞いてみると、男性は「あの揺れで、来ないわけがない」と津波が来ることを確信して、近くの高い場所に避難していたという。津波の高さについて尋ねてみると、

「あそこの山肌が削れているのがわかりますか?」と言って、浜の奥まった場所にある高さ10mほどの小さな山を指差した。木々に覆われているが、河口に広がる三角州のような形で、一部えぐれている場所があった。私が「はい」と答えると、

小さな山を乗り越えてきた津波が削った後

小さな山を乗り越えてきた津波が削った後

「津波はあの小さな山を越えてきた。削れている山肌はその時の跡。あそこには3本の立派なアカマツと桜の木があったが、津波にやられてしまった。今、植えられている小さな桜は、京都の醍醐寺(だいごじ)から送られたものだよ」と教えてくれた。私が思わず

「あの高さを越えたのですか?」と言うと、男性はうなずき、山の裏側に蛸の浜(たこのはま)というの海岸があり、そこの斜面にある墓地の墓石に、男性の友人がしがみついて、一命を取り留めたことを教えてくれた。後で、その墓地を遠目で確認したのだが、10m以上の高さがあるように見えた。

次に男性は、引き波について語ってくれた。話によると、津波が引いていく際に、浄土ヶ浜の海の底が見えたという。私が驚いて聞き直すと、浜の突き出た岬の先端を指差して、

「あの先まで海の水がなくなり、赤茶けた泥のような海底が見えた。今までに見たことがない光景だった」と言った。そして、岬の先の水深が、20mほどあることを教えてくれた。

「引き波の際に、山の土を運んだのでしょうか?」と聞くと、恐らく、最初に押し寄せた時の津波が運んできたのではないだろうかと言った。

ガレキの下から見つかったという石碑。
ガレキの下から見つかったという石碑。
話によると、震災当時、写真に写っている入り江の海の底が見えたとのこと。
話によると、震災当時、写真に写っている入り江の海の底が見えたとのこと。

その他に、男性は、浜がガレキで覆われたこと。そして、その下から、浜に設置されていた大きな石碑が見つかったこと。震災発生直後の状態に近い浜が、付近にあることなど、いろいろな話をしてくれた。

宮古市街を運転しながら・・・

男性から震災当時の話を聞いた後に、付近を少し歩いてみた。

そして、最後にもう一度、男性の元を訪れてお礼と、次、東北に来る機会があれば、また話を聞かせて下さいとお願いをして別れた。

駐車場に戻る前に、男性が教えてくれた高台の展望台に寄ってみた。浄土ヶ浜が一望できる場所だった。眼下には、深いエメラルドグリーンの海があった。さきほどまで聞いていた話が、うそのような海だった。

高台から浄土ヶ浜を一望して、朝、停めた駐車場に戻ると、山田町を目指して出発した。途中、宮古市街を通る。車を運転しながら、浄土ヶ浜で入った海を思い出した。夏のような暑さだというのに、海水は雪解け水のようだった。

3月の海は、いったいどれほどの冷たさだったのだろうか。そんなことを考えながら、宮古市を後にした。

奥浄土ヶ浜

高台の展望台から、浄土ヶ浜を撮影
高台の展望台から、浄土ヶ浜を撮影
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Text & Photo:sKenji

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