私とウインドサーフィンとコミュニティ
今年の夏に千葉から静岡に引っ越してきた。
越してきて間もないころ、趣味のウインドサーフィンをしに静岡の海に行っても、誰一人知っている人はおらず、誰かと会話を交わすことなく、ただ風に乗って走り、そして、家に帰っていた。
そんなことを何度か繰り返していると、いつのまにか自分の中で、以前よりもウインドサーフィンへの情熱が薄れていることに気付いた。
ウインドサーフィンを始めたころ、それ自体が楽しくて仕方がなかった。生きがいと言っても過言ではなかった。真冬でも独りで海に行き、雪が舞う極寒の中でも、もくもくと練習をしていた。少しでもうまくなりたかったし、楽しくてどうしようもなかった。風に乗って海の上を飛んでいるような快感がたまらなかった。週末が近づくと、風の予報が気になり、窓から見える外の木が風で揺れているとそわそわしていた。
しかし、ウインドサーフィンに慣れてくると、スポーツ自体の魅力のほかに、海で仲間と話す楽しみが増していた変化について、その時の私は認識していなかった。
海に行き、ウインドサーフィンをやって、道具を片づける。片づけが終わると、面倒見のよいウインド仲間の一人が、夏はジュース、冬は暖かいコーヒーとお菓子を配ってくれる。みんなそれを片手にウインドサーフィンの道具のことや技術的なこと、その他、関係ないことも含めて、遅くまでとりとめのない話に花を咲かしていた。夏になると、その仲間で富士五湖の本栖湖まで遠征にも行った。
そんな何気もないことが、ウインドサーフィンを続けていた原動力となっていたことに、その当時は、気付いていなかった。そして、皮肉なことに、そのことを知ったのは、静岡に引っ越して、独りでウインドサーフィンをするようになった時だった。
野菜のおすそわけ
頭では分かっていたつもりだったが、仲間、コミュニティの持つ意味について、改めて実感した私は、新しい静岡の海で出会ったウインドサーファーに話かけるようにした。
そうすると、少しずつだが顔見知りが増え、海に行って話をする人もできた。新しい環境にもわずかだが慣れてきた。
そんな先日の日曜日、海に到着すると、いつものように道具をセッティングする前に、風と海の様子を見に砂浜に出てみた。浜には、ひとりの話をしたことがないウインドサーファーがおり、声をかけてみた。
「今日は、いい風吹いてますね。セイルのサイズはいくつを張っていますか?」
ウインドサーフィンは、その日の風の強さによってセイルの大きさを選び、セッティングをする。その日のセイルサイズを知りたかった。
「4.5㎡だよ」浜にいたウインドサーファーは、教えてくれた。
温和で紳士的な雰囲気を持った方だった。歳は40代くらいだろうか。それまでにも何度か海で見かけていた方だった。
セイルサイズの話をきっかけに、お互いに簡単な自己紹介をして、話が始まった。
男性もどうやら、私のことをこれまでに何度か見かけていたらしく、話の入りはスムーズだった。その場で少し立ち話をした。話が終わると、私は車に戻り、男性のセイルサイズを参考にウインドサーフィンを組み立て始めた。
道具のセッティングが終わるころだった。さきほどの男性がやってきた。「何かな?」と思っていると、
「はい。おすそわけ。農家をやっているウインドサーフィン仲間から今、野菜を
もらったんですよ」と大きな白菜を1つくれた。
びっくりすると同時に、嬉しかった。独り暮らしだと、どうしても野菜不足になる。おまけに、お金はウインドサーフィンなどの趣味や旅行につぎ込むため、どうしてもそのしわ寄せが食べ物などにきてしまい、炭水化物中心の食生活を送ってしまう。それだけに、野菜はありがたかった。私は、心から感謝して御礼を言うと、
「セロリ、食べられる人?」と尋ねてきたので
「はい」と答えるとセロリもくれた。
さらに「これも持ってけ」と言いながら、ネギ、ブロッコリー、ホウレンソウと次から次へとおすそわけしてくれた。持ちきれないほどの野菜をもらった。最後に「野菜をいれるビニール袋は持っている?」と聞かれて「ないです」と言うと、大きなスーパーの袋まで持ってきてくれた。
人のつながりのありがたさが身にしみると同時に、コミュニティがもつ温かさを心から痛感した。
夜寝る前に・・・
ウインドサーフィンの帰り道、近所のホームセンターに立ち寄って、一人用の土鍋を買って帰る。
その夜は頂いた野菜で鍋をする。いまだかつてない豪華なディナーとなった。食べ切れなかった野菜を冷蔵庫にいれると、いつもはガラガラの冷蔵庫が野菜でいっぱいになり、心まで満たされた気分だった。
その日の夜、寝ようかと思い、ベッドに入って灯りを消す。そして、今日の野菜のおすそわけと、自分がいた千葉のウインドサーフィンコミュニティについて考えた。
それから次に、東日本大震災により避難されている東北の方たちのことを考えた。
原発事故の影響などにより、今、このときも慣れ親しんだコミュニティを離れて避難をしている方が全国で28万近くいるということを先日、ネット上の記事で読んでいた。
福島県では、震災関連死で亡くなられた人が、地震や津波によって亡くなった直接死の人数を超えたというニュースもあった。震災関連死で亡くなった方は、震災時に負った怪我などで亡くなった方もいるが、慣れない避難生活で心身ともに疲れて体調を崩す方、自殺される方もいるという。
故郷を離れて避難生活を送っている方々について、これまでもその大変さを想像してはいた。しかし、慣れ親しんだコミュニティを離れて暮らすということが、どういうことなのかを、静岡に来てからの自分の体験により、少しだけ実感を持って考えることができるようになった気がする。そして、おすそわけでいただいた野菜が、コミュニティが持っているもののひとつを改めて教えてくれているような気がした。
私の場合は、趣味という週末の限られた時間のコミュ二ティだったが、避難された多くの方は、恐らく日常生活に密着したコミュニティを失ったことだろう。特に地域の結びつき、近所づき合いを昔から大切に暮らしてきた年配の方々にとって、故郷を離れての避難生活はどのようなものなのだろうか。
慣れ親しんだコミュニティを離れた年配の方が「生きがい」を無くしているという記事を読んだことがあったのだが、その言葉が、今になって身に染みている。
Text & Photo:sKenji
最終更新:
onagawa986
コミュニティの大切さは、そこから離れると痛い程身に沁みて感じますね。私も被災前の正月の獅子ふり、GWのお神輿担ぎ、運動会のリレー…面倒と思っていた事が今では懐かしくて愛おしくて仕方ありません。記事を読んでじんわり心があったまりました!