請戸地区を後にすると、再び来た道を戻り、JR双葉駅へ。
この辺りは帰還困難区域に指定されているために、住民の気配は感じられない。放射線測定器を見ると、常時、3uSv/h前後と高い数値を示していた。2013年9月現在では、除染作業計画は決まっていないとのこと。
駅周辺を歩いて見ると、倒壊した家屋が道路の一部を塞いでいたり、神社が傾くなど震災直後の状態で、復旧作業は手つかずのようだった。
富岡町夜の森地区
JR双葉駅を後にして、富岡町夜の森地区へ。
震災前に富岡町に住んでいた方の説明を聞きながら歩く。
放射線量は、1uSv/h強~3uSv/h強と高い数値を示していた。
町からは人の営みが消え、歩道に放置されたままの錆びついた自転車、道路脇に設置されたタマゴの自動販売機など、震災直後のような状態だった。
夜の森地区は、通り一本を境にして帰還困難区域と居住制限区域が分けられている。帰還困難区域につながる道路はバリケードが設けられて、通行止めとなっていた。道路一本で違いがあることに対して、補償問題など住民の間にも問題が生じているとの話を聞いた。
夜の森地区を歩いた後に、JR富岡駅へ移動して、駅周辺を見て回る。その後、「道の駅 よつくら港」で昼食をとり、いわき駅前のホテルに移動して、この日のツアーは終了する。
ツアーに参加して
ツアー最終日、ホテルチェックアウト後に小名浜に移動する。ここで、私はツアーを離脱して、仙台へ向かった。
実質1日という短いツアーではあったが、通常では立ち入ることができない区域を自分の目で見てきたからこそ、感じたこと、知ったことがあった。
原発の核燃料に対して手をつけることができずにいる今、もし、大きな余震が来たり、国内外で大きな地震が発生し、津波に襲われた時、果たして第一原発はどうなるのだろうか。最悪の事態を、人が誰も住んでいない街を歩きながら想像した。
10uSv/h以上の高い放射能が計測された原発近くを通った後に訪れたJR双葉駅。3uSv/h前後という、これまでだと高いと感じてしまう数値にも、以前ほどの抵抗を感じなくなっている自分がいた。
浪江町の請戸地区から、福島第一原子力発電所のクレーンや鉄塔が見えた時、原発建屋の爆発映像が、鮮やかに蘇った。
原発事故によって引き起こされること、慣れに伴う感覚のマヒの恐ろしさ、時間が立つと薄れてしまう人の記憶。
テレビや活字を通してではなく、自分の目で見て、体験することの意味を再認識したツアーだった。
福島第一原子力発電所
(※1)はままつ東北交流館、株式会社エマ観光(静岡県磐田市に本社を置く旅行業者。1965年8月設立。)の共同企画で、福島の被災地を中心に視察するツアー。現地を直接見ることにより、現状を共有することを目的としている。
(※2)「はままつ東北交流館」は福島の双葉町から浜松市に避難しているスタッフが
避難者支援・震災の風化防止啓発・東北物産販売を行っている団体で、福島県の被災地視察ツアーも企画している。館長は、震災前に福島県の双葉町に住んでいた佐藤大さん。
Text & Photo:sKenji
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