4.小笠原諸島で感じた“規格外”編【内地産「島オタ」誕生記】

tanoshimasan

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tanoshimasan こと「僕」の生い立ちとか、
関西出身なのに離島にハマり始めた理由とか書いてます。
島のドミトリー宿とかで、お酒とか飲みながらこの話するとウケたりするんです。
良かったら読んでください。

今回は、僕が初めて小笠原諸島へ行った時の話。
「小笠原に行って人生観が変わっちゃう」島ではありがちな話です(笑)
小笠原シリーズはこの後も続くのですが、これはその序章と言えば良いでしょうか。。。

「どうせ行くならもっとネタになる場所へ」

さて、だんだん「島って面白い」と感じ始めていた僕である。

たとえば、同じユースホステル部の仲間内においては、どんな旅先に行ったとしても、特別珍しいことではないだろう。しかし、部外の友人やバイト先の中では、長らく離島へ出かけたりする僕が、かなり珍しい存在だったらしい。毎回、「そんなところに行って何をするの?」と聞かれるので、「山小屋に泊まった」「潮の満ち引きで出現する浜で泳いだ」なんて答えると、意外なまでにウケたのだ!

日ごろ、大人しく過ごしていた僕にとって、これは衝撃的な出来事だった。写真やお土産までもが話のネタになるから驚きである。もともと人見知りだったぶん、旅の話ひとつで会話がかなり楽になったとすら感じた。

すっかり味を占めた僕は、「次の春合宿は、どうせ行くならもっとネタになる場所へ行こう」と企みはじめていた。次の春合宿からは上級生が抜け、僕の世代が仕切ることになっていたので、コースも自由に決めることができたのだ。

調べてみたら、小笠原でした。

こうして、数ある離島の中から白羽の矢が立ったのが小笠原諸島だった。魅力的だったのは、なんと言ってもその遠さである!片道25時間30分の距離はもちろん、船が1週間に1往復という点も興味をそそる。それに僕らは関西の人間だ。まず東京に出て、そこから25時間30分なんて、海外旅行ですら考えられない話だった!

それでいて野生のイルカやクジラが見られ、南国フルーツもたくさん採れて・・・と聞く。もはや、「そんな場所が東京にあるの!?」というレベルである。

僕は早速小笠原にまつわる書籍を買いあさり、片っ端から読んでいった。関西に住んでいると、東京の離島なんて知る機会もない。だからこそ、調べて得ていく知識が新鮮で新鮮でたまらなかった。

「絶海の孤島ゆえに生態系は独自の進化を遂げ・・・」
「太平洋戦争時の戦跡が海中に残り・・・」
「島民総出の見送り風景は圧巻で・・・」

と、行く前から情報を仕入れまくる僕。すっかりハマってしまったのだ。

小笠原にあったのは、常識から逸脱した世界。

そんな状態だったので、いざ訪れてからも、その小笠原ならではの規格外に驚かされっぱなしである。25時間30分の船旅で空気が暖かくなっていることにも感動したし、船から海を眺めればイルカもクジラも跳ねている。海に潜れば、水族館の熱帯魚コーナーに居そうな魚たちがあちこちといる。いや、そもそも季節としてはまだ2月の下旬なのに、平気で海で泳いでいること自体、不思議でしかない!そんな話を宿ですると「小笠原は元旦に海びらきをするからね」とのこと。どこまでも小笠原流である。

島で見かける動植物もまた面白い。特に母島で見たハハジマメグロは印象的だった。母島にしか生息しない固有種でありながら、母島の島内では「スズメのような感覚で見かける」という。実際、遊歩道を歩いていると、あちこちでハハジマメグロを見かけたのだ。これが、この島にしか生息していないというから、なんとも不思議である。その一方で、小笠原諸島は日本で唯一スズメを見ない島々らしい。この島に限っては、ある意味、スズメの方が貴重な存在なのだ。だからどうしたという話ではないが、こんな場所でさえ同じ日本だと思うと、「自分は今、凄い場所にいるんだな・・・」とゾクゾクしてしまう。ハハジマメグロを追いかけながら山を登ると、不意に海の景色が広がった。東京から南へ1,000km、小笠原諸島が360度水平線に囲まれた島だと実感した瞬間だ。

それに、島も島なら、訪れる人も訪れる人だった。一応、東京都ではあるものの、泊まっていた宿には、遠くは北海道や福岡県、果ては海外からもお客さんが来ていた。それこそ、僕ら学生は休暇中だが、学生以上の世代が多いことにも驚く。小笠原諸島は1週間で1往復の定期航路だけに、最低でも5~6日以上の休暇を要するが、そんなことは些末なことだった。中でも、「仕事を休んで」「仕事を辞めて」という人が想像以上に多かった。一方の僕らは就活を控えた大学生。「最近の若い人間は~」「ゆとり世代は~」「社会は甘くないぞ~」などなど、嫌というほど聞かされている年代である。それだけに、会社を辞めた大人、やりたいことをしている大人、というのが、これまた新鮮だった。

とにかく、小笠原にあったのは、常識から逸脱した世界。そして、それが当たり前の世界だったのだ。

そして・・・、

当初の思惑通り、小笠原での日々は、友達に話すたび新鮮なリアクションを得ることができた。それはそれで満足だった。しかし、僕はそれ以上に、言葉では言い表せないような“何か”を得た気がしていた。

この小笠原で見た景色、ヒト、モノが、後の僕に多大な影響を与えることになるのだが、それは次回の小笠原(住み込みヘルパー編)にて・・・





(つづく)

小笠原諸島(父島、母島)

東京・竹芝桟橋から南へ1,000km。そこは規格外の島だった!

まだまだ「島記事」あります。

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