牛飼いの山地竜馬さんに案内され、口永良部島の町営牧場に向かった。港のある本村から車で25分ほど離れたこの牧場。ひと気も少なく、広々とした高原風景が広がっている。車は不安定なあぜ道を進むのだが、その不安定さが大自然を思わせてくれた。雄大な山並みはもちろんのこと、逆方向には海が見渡せるのも離島ならではだ。
口永良部島で、牛を飼う
この牧場では、黒毛和牛が飼育されている。この時点ではノーブランドの仔牛だが、ある程度育つと国内各地へ出荷され、例えば松阪牛などのような、それぞれの地域名を冠したブランド牛となるそうだ。
この日の山地さんは忙しかった。朝一番に仔牛が生まれたが、お昼過ぎにはお腹に子供を抱えたメスが死んでいたという。しかし、牛飼い以外の仕事も掛け持ちしている山地さんは、夕方まで別の仕事に奔走し、夕方となった今、ようやく牧場で作業にたどりついたのだ。
ふと見てみると、10数頭飼育されている牛のうち、2頭が歩道へ出ていたので、まずは後ろから追って牛舎へ戻してやる。
「悪いけど、その牛を後ろから追ってくれるかな」
と、山地さんが言うので、僕も見よう見まねで追うことに。ンモオオオオオッ!と力強く鳴く牛にはついビクッとなってしまったが、素直に従ってくれるので驚いた。
そんな新鮮な気分に浸る間もなく、今度は今朝生まれた仔牛のもとへ。朝は自力で立たなかったそうで、立たせてやらなくてはいけないのだという。グズる仔牛の前脚を持って根気よく立たせてやると、今度はお昼に死んでしまったというメスのもとへ。山地さんは手を合わせたあと、ショベルカーを使って亡骸を埋めた。
作業が終わるとすっかり暗くなり、牛舎付近は真っ暗である。最後に飼料の紙袋の封を開け、牛たちに飼料を与えた。ひとつひとつがドラマチックに感じたが、次から次へ、バタバタと動く忙しさにも圧倒されてしまった。
かつては島の主産業だった
「かつて牛飼いの仕事は口永良部島の主産業のひとつだったんですよ」
と山地さん。ところが、時代の流れとともに人口が減り、担い手もいなくなったという。つい先々週には、島の仔牛のせり市場が閉鎖になった。人口が減っていくこの島で、もう一度、牛飼いの仕事を確立させるため、山地さんは、素人ながら牛飼いの仕事に挑み、5年が経過した。
種牛となるオス、それにメスを複数頭飼い、仔牛を多く繁殖させるのが口永良部島での牛飼いの仕事だ。とは言え、せりに出せるような状態まで育てるのは容易ではなく、命を預かるプレッシャーも相当だという。
もちろん、牛の値段も育ち方によってまちまちだ。高く売れるに越したことはないが、口永良部島の場合、島中にたくさんいるヤクシカが島中の草を食べてしまうため、牛に満足に与えてやることも難しいらしい。
牛の中には肉付きが物足りなく、骨が浮いて見えるようなヤツもいる。足りない食事は飼料を購入することで賄っているが、
「これ(飼料)に費用が掛かりすぎると本末転倒だよね」
と、山地さんは言う。また、口永良部島のせり市場が閉鎖してしまったため、牛を売るにも種子島まで連れて行く必要もある。その分の輸送費など、負担は大きい。それでも、
「この現状に対し、自分がどこまでできるか」
と山地さんは前を向く。最近は少しずつ、仔牛も売れるようになってきた。
牧場の景色は、とても気持ちが良い
翌朝、山地さんはシカ対策用のネットを張る作業に出かけた。牛に必要な牧草を確保するためである。僕は僕で、改めて牧場へ出かけてみた。昨日は夕暮れどきで薄暗かったが、この日は良く晴れた気持ちの良い日だ。
口永良部島では、車道を走っていると、当たり前のようにシカが横切ってくる。牛にとっては迷惑な存在であるこのシカも、見ている分には可愛らしい存在で、木々に覆われたこの島の風景によく合っている気がした。
3月としては暖かいこの日、広々とした牧場で過ごすのは、牛でなくとも気持ちが良いだろう。腰を落としてくつろいでいる牛たちは、やはりこの島の風景によく合っている。
山地さんの牛飼いとしての功績は、島の畜産業の維持だけでなく、この景色を守っているところにもある気がした。
口永良部島町営牧場(永迫牧場)
まだまだ「島記事」あります。
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