『潮騒』の舞台・神島
8月半ば、僕は三重県の島めぐりをするなかで神島を訪れた。三重の島めぐりをするなかで、下調べをすることなく、なんとなく訪れたので、まずは港の前の食堂「潮波(ざっぱ)」で、観光用のパンフレットを眺めながら、島にまつわる知識を仕入れていた。
そこで、この島が三島由紀夫の『潮騒』の舞台であると知った。島を舞台にした純愛小説だという。5度も映画化され、吉永小百合や山口百恵、堀ちえみといった大女優も、この地を訪れて純愛を演じたそうだ。今では、そんな純愛のイメージからか、恋人と訪れたい観光地として「恋人の聖地」にも選定されているほどの島らしい。
三島由紀夫は『潮騒』を執筆する際、神島に長く滞在していたそうだ。そのため、『潮騒』の作中でも島の名所が多く登場する。島の名所にはそれぞれ看板が設けられ、映画のワンシーンや、小説の一文が紹介されているので、想像をめぐらせると面白い。
歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。歌島に眺めのもつとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかつて建てられた八代神社である。
※歌島・・・神島の別名。作中でも歌島と書いて神島を指す。
三島由紀夫『潮騒』より
「訪れたからには良い景色が見たい!」ということで、まずは集落から近い八代神社を目指すことにした。
地図を片手に集落から八代神社を目指す。夏休みのどまんなか、8月も半ばだと言うのに、慌ただしさを微塵も感じさせない雰囲気がたまらない。
古めかしい民家はどの家も扉が開いているか雨戸で風通しを良くしている。その奥からは高校野球中継の音が漏れていたり、もしくは、その家の奥さんが何かしら調理する音が聴こえたりしている。また、風鈴を吊るしている家から涼しげな音も聴こえてくる。それまで慌ただしく感じていた夏休みが見違えるようだった。島特有の急な起伏に対応するように建てられた民家、その民家の至る所から、レトロな雰囲気が醸し出されている。
島には雑貨やたばこが買えるような商店も存在するのだが、需要と供給が人口500人程度の島内で完結するのだろうか。申し訳程度に店名が表記された小さな看板でも見つけない限り、そこが商店だともわからない。
また、民家と民家の間はせまく、まるで他人の家の裏庭に侵入している猫のような気分にさせられてしまう。しかし島の人も慣れているのか、そんな僕を怪しげな目で見ることもなく、会釈をすると笑顔で返してくれるのだ。どこを歩いても日蔭なせいか港付近よりも人が多く、おそらくこちらの方が居心地が良いとわかる。
時計台、洗濯場、そして三島由紀夫が『潮騒』を執筆する際に籠ったと言われる寺田さん宅を抜け、階段を登っていく。ところどころで、玉ねぎやあらめが干してあったり、ウェットスーツやフィンなどダイビングにでも行くかのような道具が干してあったりしている。玉ねぎやあらめはともかく、ウェットスーツとは驚いた。島のご年配がたが、海女漁の際にでも使用するのだろうか。
干しているものもあれば、セミやミミズのように、天日にさらされ干からびているものまで、そこらじゅうに横たわっていたりする。そういった景色がいちいち興味深い。
階段に腰かけてちょっと休憩
しばらく歩くと、道標に「八代神社」との表記が見えた。長旅用の衣服を中心とした重たい荷物を背負っていたうえ、急な階段を登ったせいか、すでに少し息が切れてきた。僕は階段に腰かけて休憩をとることにする。近くでは、島のご婦人がプラスチック製の皿いっぱいに落花生を盛り、その殻をむいていた。
「そんな大きい荷物を背負って今からどこへ行かれるの?」
「八代神社まで行きます。今日はまた暑いですねぇ。」
他愛のない会話だが、島の雰囲気と合わさって、この和やかさが心地よい。落花生はもらい物だが、島で採れたものだそう。
「部屋の中のほうが暑いから外に出てきたのよ」
なんて仰っていたが、これもどこか懐かしいと言うか、酷暑の都会では到底見ることができないような、島ならではの景色のように思えた。
無理をせず、ゆっくり登ろう。
ご婦人に八代神社の場所を確認し、一服もそこそこに再出発。ほどなくして神社の入口にたどり着いた。が、
「・・・・・・・。」
見上げたそれは、まるでプロ野球選手がトレーニングで駆け上がるような、おぞましい高さへと伸びた階段である。この階段の先に神社があるみたいだ。僕はこの日の暑さと荷物の重さと階段の高さに圧倒されてしまった。間抜けヅラで口が半開きになる。そんな僕の横には看板があり、『潮騒』のこの神社でのシーンが記されていた。
神様どうか平穏で、漁獲はゆたかに、村はますます栄えてゆきますように!
(中略)
・・・・・・それから筋違いのお願いのようですが、いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように!・・・・・たとえば宮田照吉のところへかえってきた娘のような・・・・
三島由紀夫『潮騒』より
三作中で恋に堕ちる主人公の新治と初江も、それぞれがお互いへの想いを掲げてここで祈祷しているのだ。僕はこの階段の高さにひるんだが、新治という男の想いは、階段の高さなどまるで関係ないらしい。やはりここは恋人の聖地なのだ。横に恋人でもいたら、また気分も違ってくるのだろうか。いや今それは関係ないか。
振り返ると、先ほどまで歩いていた集落の家々の屋根が見えている。その向こうには穏やかな青い海が広がり、さらにその奥にはうっすらと知多半島が見える。すでに良い景色なのだが、これを高いところから眺めると、より良くなるのは間違いないと感じた。セミは相変わらずざわざわと鳴いているが、それで ものんびりした空気は変わらない。海の方からふわっと涼しげな風が吹く。
無理をせず、ゆっくり登ろう。
僕は一歩目を踏み出した。
(ゼェ)数段上っては腰を下ろす。階段だけじゃない。重い荷物とこの暑さは結構こたえる。若々しくない行動を繰り返しながら、都度振り返ってはその景色を伺った。(ゼェゼェ)なるほど、振り替えるたび美しく映えるこの景色、なんだか純愛に似合う気がしてきた!
この景色の鮮烈な点は、階段を登って振り返るたび、(ゼェゼェ)少しずつ少しずつ顔色を変えるところだ。(ゼェゼェ)木々の緑の割合、そこに入り込む太陽光、その奥に見える漁港とそ こから人がる海の煌めき、(ゼェゼェ)さらに奥の果てに見える一筋の水平線、迷路のように入り組みつつ、色とりどりの屋根を冠した民家の家々。(ゼェゼェ)これらが振り返るたび、 少しずつ少しずつ木陰を含んでいき、色合いから明暗までその割合を変えていく。(ゼェゼェ)(ゼェゼェ)三島由紀夫が好んだ景色は(ゼェゼェ)どこだったのだろう。
(ゼェゼェ)息も絶え絶えに八代神社へたどり着く。(ゼェゼェ)と、同時にその場にへたり込む。(ゼェゼェ)(ゼェゼェ)
移り変わる景色は確かに美しく、おそらく三島由紀夫が見ていた当時と、さほど変わっていないのではないだろうか。
これから毎日、新治さんの無事を祈って、八代神社におまいりします。私の心は新治さんのものです。どうぞ元気でかえって来て下さいね。
三島由紀夫『潮騒』より
初江の台詞を思い出した。(ゼェゼェ)(ゼェゼェ)ま、毎日・・・だと?(ゼェゼェ)(ゼェゼェ)
女性らしい健気な一面のようにも見えるが、今の僕なら「新治さんのために、この急な階段を毎日登った非常にたくましい女」として、素直に敬意を表したい。
神島・八代神社
三島由紀夫『潮騒』において、新治と初江がお互いを想った場所!近年は、ここを参拝する婚活イベントもあるのだとか・・・。
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まだまだ「島記事」あります。
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