新型コロナウイルスの感染拡大に伴って注目を浴びたのが妖怪「アマビエ」でした。
江戸時代に肥後の国(熊本県)の海の中から現れて豊作を予言し、さらに「疫病が流行したら、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ」と告げて海に帰ったとされる妖怪です。
水木しげる先生の「妖怪事典」にもその姿が描かれているほか、姿かたちや名前、性質が似た「アマビコ」「アリエ」などの存在も伝わっているそうです。
彼女は巨大な人魚姫
そしてなんと!疫病退散の妖怪は我らが地元・伊豆にもいたんです。
その名は「神池姫(かみいけひめ)」。
「徳のないものは3日ころり(コレラ)で死んでしまう。禍いを避けたければ我が形を写して貼るべし」
と告げたこの妖怪の姿が描かれた原画は、沼津市戸田の旧家に保存されていたそうです。こちらです。
す っごくイイですね!
この顔は完全に「オラ、あっち行けよコロナ!」って言ってます。お姫様だけど口が悪い。あと、まわりになんて書いてあるかもぜんぶ知りたいですね。
『神池姫』は、身体は魚、顔は女、頭に5尺(約1.5m)の角、体長3丈5尺(約10.5m)、髪8尺(約2.4m)、尾に3本の剣、腹に玉を左右3つずつという巨大な人魚(人面魚)の姿で、江戸時代後期、文政の頃に平戸郷(肥前国、現在の長崎県)に現れ、豊作を予言しながら、「徳の無い人は3日コロリ(コレラ)で死んでしまう、コロリと死にたくなければ、我の姿を写して貼るべし」と言ったと記されています。
じゅ、10m以上…。
日本でコレラが大流行したのは明治のちょっと前の安政5年で、神池姫の絵もこのころに描かれたと推測されています。上記の伝承後半も肥前と肥後が違うだけで、あとはアマビエのそれと全く一緒ですから、コレラの流行が九州から東海道を通って北上してきた時に疫病退散の妖怪も沼津に伝えられたのではないでしょうか。
「神池」といえばダイビングスポットとしても有名な沼津市大瀬崎にある池。神池姫との関係は確認できませんが、神池は海に囲まれながら淡水という神秘の池でもありますし、戸田とも近いですから、疫病退散を担う何かの化身がここに現れたとしても不思議ではありません。
下のリンク先では「♯カミイケヒメチャレンジ」と題してみんなが描いた神池姫のイラストを募集しています。どの姫も素晴らしいですよ!
まだまだ油断はできません。新しい生活様式を心がけるとともに神池姫の力も借りて、1日でも早く新型コロナウイルスの感染を終息させましょう!
最終更新:
akaheru
そんな言い伝えがあるのですね!
我が家でも子どもたちに書いてもらおうかしら。
ちなみに、「みんなの神池姫」の中に見覚えのあるお姿が・・・。
(たい焼き的な)
pamapama
時々サメにいじめられる子ですね(^^)/
baikinman
カミイケヒメチャレンジ凄い!
色々な絵が混ざっていて見ていて楽しかった。
こういう試みは素敵ですね。
pamapama
楽しいですよねえ。神池姫は原画がスゴすぎるのか、アマビエを描いているひとも結構いますね(*^-^*)
cha_chan
神池姫の原画の迫力が凄まじいですね!
長崎とは私の生まれ故郷ではありませんか。これは早急に神池姫様を写して家に貼らねば。。
pamapama
この目で原画を見たくなりますよね。戸田の海によく行きますが、実物の姫が出てきたらちょっと怖いかな(^_^;)
51mister
日本でコレラが大流行し初めたのが、安政5年(1858年)。その前年には、安政東海地震(M=8.4)が発生し、沼津宿(震度6)、三島宿(震度6-7)は壊滅的な状態になり、愛鷹の山体も陥没。こうした天変地異と疫病が人々の心を相当不安にさせたのでしょうね。『神池姫』が描かれた安政5年には、沼津市下香貫宮脇に京都の厄災詣での発祥の地吉田大元宮が勧請され、楊原神社の境内に摂社として建立されています。沼津の『神池姫』や『吉田神社の建立』は、地震による大打撃も冷めやらぬうちに、西から伝播してきたコレラが、東海道吉原宿で流行し、続いて三島宿、大場村、塚本村に流行していったという、強烈な背景があったようです。
今回の新型コロナでも、現代のように世界中の情報が瞬時に入手できるような環境でなかったら、世界中で新しい宗教や祈祷の施設などがたくさん生まれたでしょうね。
ちなみに、ドラマで南方仁先生がタイムスリップしたのは、コレラ発生から4年後の文久2年となっています。
pamapama
どれも興味深い話です。「地域に伝わる伝承」などはひとまとめにして、ネットですぐ見られる状態を作りたいですね。