精神科医として30年以上臨床体験の大半を発達障害の診療に費やしている本田秀夫先生。発達障害とはどんな障害か?生きづらさのわけについて丁寧に解説された書籍は本人や家族にとって大変参考になります。10月封切のイタリア映画「トスカーナの幸せレシピ」の字幕監修もされた本田先生に発達障害の支援についてお聞きしてみました。
本田 秀夫(ほんだ ひでお)
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室教授
精神科医師。医学博士。特定非営利活動法人ネスト・ジャパン代表理事。1988年、東京大学医学部医学科を卒業。1991年より横浜市総合リハビリテーションセンターで20年にわたり発達障害の臨床と研究に従事。その後、山梨県立こころの発達総合支援センターの初代所長などを経て、2014年より現職。発達障害に関する学術論文多数。英国で発行されている自閉症の学術専門誌『Autism』の編集委員。日本自閉症協会理事、日本自閉症スペクトラム学会常任理事、日本発達障害学会評議員。2013年刊の『自閉症スペクトラム』(SBクリエイティブ)は5万部超のロングセラー。発達障害の早期発見、早期介入から成人期の支援まで、あらゆるライフステージにわたる臨床経験をもつ発達障害の専門家。知的障害を伴わない自閉症が稀ならず存在することを世界で初めて実証した疫学調査は国際的にも評価を受けている。現在は、大学を拠点として児童青年精神科医の育成と臨床研究体制の整備に取り組んでいる。
30年前より発達障害の概念は広がった。
――先生の著書を読ませていただいて「おや?これは私のことかも?」と思う点が多々ありました(笑)。
「発達障害」と「あなたの隣の発達障害」の2冊をセットで読んでもらうといいと思います。前者はご本人向け、後者は周囲にいる家族や学校関係者に向けて書いたものです。発達障害とは古くは知的障害とか自閉症などかなり重い障害を指していた。本人はなかなかコミュニケーションが取れず、言葉もうまく話せない場合がありますので、周りの人からは『問題を起こす人』として捉えられていた。ここ30年くらいで発達障害の概念がすごく広がった。コミュニケーションができない人ばかりではなく、発信できるようなコミュニケーション力がある人もいる。他人から見ての定義だけだったのが、当事者からみるとこう考えているんですよ、というのが当事者の手記などから少しずつわかってきた。この2冊は、外側からみた発達障害ではなく、当事者側からみた発達障害の本なのです。ですから、これらを読んでピンとくる親和性が高い人は多いかもしれません。
――好きなことが極めて特化する、ちょっと変わった子が昔はクラスに何人かいたように思います。オールマイティではない人は、発達障害の概念に触れますか?
誰でも好き嫌いや得意不得意、向き不向きがあってオールマイティな人はいませんが、その好き嫌いの凸凹加減が多数派だと共感しやすい。学校の授業を聞いているだけで理解できる人は7~8割いる一方で、2~3割の人にとっては簡単すぎるか難しすぎるか興味が持てないかで外れてしまう。今の社会は7~8割の人が楽しく生活できるような社会構造になっていて、特に日本のように全体主義的な雰囲気が強い国だと、合わないと思っても合わせるものでしょ!という暗黙の了解が起こりやすい。発達障害の人にとって居心地の悪い国だと思いますね。几帳面で勤勉を良しとする文化があるので、ちゃらんぽらんでうっかりミスの多い人もあぶり出されやすいのです。
――親が我が子に対して「もしかしたら・・・」と思い当たる点があった場合どのようにすればよろしいでしょうか?
子どもが何歳になったらこういうことをしましょう…的な子育てマニュアルは一切信用するなと伝えたい。あれは平均的なスピードで成長する人に合わせて作られているものです。平均はあくまでも平均。本当はバラツキがある。ああいうマニュアルができている背景には発達心理学によって「何歳でこれができる子が多い」という知識が増えてきたことがあります。でも、「何歳でこれができます」というのを子育ての基準にしてはいけない。あくまでも統計ですから。それを守ろうとして躍起になる必要はない。気にすることはないけれど、あまりにも外れている場合は特別な支援や配慮を求めていい。気にしながら一人で抱え込むことはありません。
――学校というカテゴリーでは多数派ではないと、浮きますよね?その違いは本人感じているものですか?
発達障害の子は、自分向けではない社会であることを日夜感じ続けています。例えていうなら、度の合わないメガネをかけたままでずっと集団生活をさせられるような状態です。そういう意味では、発達障害は多民族国家の中では比較的過ごしやすいです。みんながそれぞれ違うから、違いをわかっても受け入れやすい。日本はアメリカやカナダなどのような多民族国家とは違い、特定の民族が圧倒的に多い国なので、違うものを差別したがるのです。
発達障害児の実態数は増えていない。
――ところで先生はどんな子ども時代を?勉強が特別にできた印象がありますが。
小学校時代は学校で勉強を教えてもらったことは記憶にないですね。外でよく遊んでいたし、そんなにオタクではなかった。「毎日小学生新聞」を購読していて、そこにプロ野球や大相撲の歴史が連載されていたのを熟読していたので、野球と相撲の歴史には詳しい子どもでした。中学は受験をして進学校でしたから、成績は上位でしたがずば抜けて優秀・・・というわけでなかった。受験をせずそのまま公立中学でやっていくのは難しいタイプだったでしょう。
――基礎学力が高い分、勉強で悩んだことはないのですね?なぜ医学の道へ?
大学に入ってから不登校同然になり、勉強ができる東大医学部生の中で僕は落ちこぼれでした。勉強せずにバンド活動に勤しんでいました。医学全般にはあまり関心がなく、唯一精神医学のみ興味があった。
――そこから子どもの発達障害を極めるようになられたのは何がきっかけで?
最初から発達障害に興味があったわけではありません。統合失調症や双極性障害など、成人で発病する精神病に興味があったのです。ただ、東大の精神科は、わが国のなかでも自閉症の子どもの療育に早い時期から取り組んでいました。当時、アスペルガー症候群が話題になり始めていて、それもなんだかおもしろそうだと思いましてね。そのうち、統合失調症と言われているけれどアスペルガーではないか?という人を何人か診て、「これは意外に多いのかもしれない。専門にしてみるのもおもしろいかも」と思いました。自閉症の専門家である清水康夫先生に相談をすると、清水先生から「アスペルガー症候群を専門にするなら、子どもを診れるようになったほうがいい」というアドバイスをいただきました。そして清水先生が所属していた横浜市総合リハビリテーションセンター(YRC)に私を誘ってくれたのです。最初は子どもの専門家になるつもりはなく、「子どもを診察できるようになったら大人のアスペルガー症候群の専門家になろう」という軽い気持ちでした。しかし、気づいたらYRCで20年もの歳月を過ごすことになりました。
――長い間、発達障害の子どもたちを診てきて時代の変遷というか、何か変わってきたと思われることはありますか?
昔に比べると発達障害と診断される人は増えました。昔だったら診断されないような人も診断されるから増えているのです。実態が増えているわけではない。ラインが下がった分の増加です。あきらかに支援が手厚く必要な人がいる一方で、何もしなくても普通に社会に出ていける人もいる。ところが、一見普通に見える人の中に、ひきこもりになってうつ病を患うような人もいる。子どもの頃から診るのは、大人になったときにひきこもりやうつ病などになるリスクを減らすことが、重要な目的の一つです。
楽しく以上に、希望は持たない。
――子どもの育ちに迷いや不安があって困って先生を訪ねる親たちは多いと思います。そうした悩みを抱える子育て世代に何かアドバイスをお願いします。
一概には言えませんが、発達障害に限らず子育て全般に言えることですが、こんなふうに子どもが育つといいなという希望は持たない方がいい。楽しく毎日過ごしてほしい、くらいならいいのですが、例えば将来医者になってほしいとか、大学くらいはせめて出てもらわないと困る…とか、そういう希望は子どもにかなり良くない影響を及ぼすリスクがあります。今、教育の技術が高まっているように思えて、昔よりもお節介になって子どもの意欲を削いでいることが多い。子どもが不自由なんです。自由に試行錯誤する機会が奪われている。大人の既定路線から少しでもはみ出ないようにと育てているご家庭が多いですね。もっと子ども自身が自分で考えて自由に試行錯誤する意欲を育てるべきです。
――10月公開のイタリア映画「トスカーナの幸せレシピ」で先生は字幕監修をされています。アスペルガー症候群の青年と、元三ツ星シェフの友情を描く物語。マスコミ先行試写で観てグッときました。映画のパンフレットに書かれている先生のコメントも温かくて観終わってジンワリと心に沁みました。たくさんの患者さんを診てこられた先生はこの映画にどんな感想をお持ちですか?
カラッとしていい作品でしたね。同じテーマを扱っても日本人がこういう映画を制作したら「お涙ちょうだい」ストーリーになってしまいそうです(笑)。自閉スペクトラム症の日常生活で経験されるエピソードをよく研究されていて自然な形で散りばめられています。字幕監修は以前「ぼくと魔法の言葉たち」でも担当しました。障害のある人が示す純粋さ、一途さは多くの人が日ごろ忘れがちな大切なことを思いださせてくれます。こうした作品に触れてイメージを膨らませて、人の生活に本当に大切なこととは?を改めて考える機会になってほしい。
――たとえば部屋がごちゃごちゃで全然片付けられない22歳になるうちの息子の場合、本人はいたって気にしていませんが、もうあきらめたほうがいいのでしょうか?
あきらめるというか、支えてくれる綺麗好きな人を誰か見つければいいんです。その子が他に役に立てるもの、自信をもてることがあれば生きていけるわけで、苦手なことはカバーしてくれる人が他にいればいいと思いますよ。ガミガミ怒っても、自分が大切だと思わないことは耳に入っていないことでしょう。やればできる、というのは、いざとなったらできるんだから、普段はやらなくてもいいということです。そこをわかっている人はメンタルが強い。なんでもできる!と自分の力を過信するのはどうかと思いますし、自分の苦手なことを認める。そういう開示を素直にできるキャラに育てたほうがいいですね。今の日本は『何でも自分ひとりの力でやらなくちゃ!』と育てようとするから、だいたいすべての人が自信を失う。高校生の意識調査の国際比較で、学力については日本はトップクラスなのに、自己肯定感は断トツビリ。これは減点主義で、すべてのことをそこそこやらせようとすることが原因だと思います。
――減点主義。相対評価があることで、自己肯定感が低くなっている気もします。最後に先生から日本の教育について思うところをお聞かせください。
僕は日本の学校教育はかなり危ない状況にあると思います。そんな教育をずっとやってきているから日本人は自信が持てないか、逆に変に自信をもとうとするとヘイトスピーチみたいになる。健全な自己評価がない。それは自分の苦手なことを苦手だと認める文化がないから。苦手なことを自覚しながら、得意なことをアピールできるようにすれば健全な自信が持てる。
発達障害というのは、それぞれの発達の特性を、自分とは関係ない特別なものだと考えるのでなく、自分にも該当する可能性のある、身近なものとして考えていただければと思います。
編集後記
――ありがとうございました!本田先生のユニークさは、先生ご自身も軽度の発達特性を自認されていらっしゃること。私自身も凸凹激しいため、取材時は安心して根掘り葉掘り質問させていただきました。苦手なことを認識し、得意なことを伸ばせばよい。矯正せずに持ち味をいかしながら、さまざまな人が共生する世の中でありたいと改めて感じました。
2019年9月取材・文/マザール あべみちこ
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