夕方も夕方、もう黄昏どきになった頃、この辺りではよくキツネの姿を見かけた。2年くらい前のことだ。その頃にはまだこの辺りの宅地造成は進んでいなくて、無造作な盛り土のハゲ山が連なる暮れがかった世界を、すたすたと走り去っていくキツネの姿は、さみしくもあり、また野生のたくましさをも感じさせてくれたものだった。
陸前高田の市街地造成現場のど真ん中にキツネが住んでいることは、あまり知られていなかったようで、私の話を信じてくれない人も多かったが、このまちの生き字引とでもいった存在である第一区の区長さんは、「そうだよ、震災の後、ときどき見かけるようになったんだ」と言っていた。だからおそらく、野良犬か何かを見間違えたのではなくて、私が見たのは間違いなくキツネだったのだと思う。
日が落ちて、空気がモノトーンの闇に包まれつつあるなか、紫の光りだけが幽かに残る盛り土の山々を走り抜けていくキツネ。そのイメージはいまも焼き付いている。
それにしても、この2年ほどの間にこの辺りは変わった。盛り土用の仮置き土の山は平らに均され、均された高台に道路が造られ、道路と道路の間の土地はあっという間に宅地に変わった。1年前には中心商業施設がオープンした。造成された宅地には、ぽつりぽつりではあるものの店舗や店舗兼住宅が建てられるようになった。造成地のどれだけが埋まるかは微妙、と地元の人はことあるごとに話しているが、地面だけを見る限り、まちの体裁はだんだん整って来ている。
そんな様子を見ていて思うことがあった。新しい宅地に家を建てる計画でいる人たちのことはもちろんだ。「やっと引き渡しになったのよ」とか「ずいぶん待たされたけど、来年には着工できると思うんだ」といった話を聞いていると、現状ではほぼ真っ平らな造成地に家が建ち並ぶ姿を早く見たいと思う。
でも、どうかした拍子に思い出すのは、モノトーンの夕暮れに何度か見かけたキツネの姿。盛り土という人工物ではあったとしても、「立入禁止」の立て看板で人間界から隔絶された仮の自然を闊歩していた、あのキツネの姿。
どうしているのかなぁと思っていたら、或る日、奇妙な落とし物を見かけた。それは中心商業施設と呼ばれるエリアに隣接した宅地造成現場、公共汚水桝とか公設枡と呼ばれる宅地内に設けられた下水道のハンドホールの蓋の上に残されていた糞。それは、地面から一段高まったところに、まるでディスプレイするかのように落とされていた。
山歩きをしていると、登山道の石の上や切り株の上のような目立つ場所にわざわざ落とされた落とし物を見かけることがある。たいていはイタチの仲間のもので、彼らはナワバリを主張するために目立つ場所に落としていく習性があるのだという。
しかし、陸前高田の市街地造成現場のど真ん中で見つけたそれは、明らかにイタチ類のものではない。大きさは犬のものと同じくらい。落とされた公共汚水桝の直径が21.6センチメートル(実測もしたし業者のカタログでも確認した。ワンタッチぶたと呼ばれるものらしい)ということからして、写真からもそのサイズがわかるだろう。
では犬の落とし物かというと、その可能性は極めて低い。陸前高田は飼い犬が多いところではあるが、飼い主のマナーはいいから、落とし物をそのままにするなんてことはちょっと考えられない。それに造成地とはいえ、この場所はまちの中心なのである。
落とし物を解体して、中に含まれているものを見てみれば、もっと確かめられただろうが、キツネはエキノコッカスを持っている可能性があるから、そんな冒険は控えた。
それでも外見からして、下の黒っぽい部分には細かい毛のようなものが見える。野ネズミだかを食べたのかもしれない。表面に目立つ白っぽい部品は焼鳥屋で出される鶏の軟骨のようにも見える。ゴミでも漁ったのだろうか。
専門家ではないから断言はできないが、たぶん80%くらいの確からしさでキツネの落とし物だと考えていいだろう。いや、自分の中では間違いなくホンドギツネのものだと確信していて、彼がこのまちの造成工事が進む中でも生き延びて来たことをよろこび、またこの先の彼の運命を想像して気をもんだりもしているのである。
キツネが闊歩していた場所、そして落とし物を見つけた場所は、浄土寺の河津桜からもほど近い場所。7年前に津波に埋め尽くされて場所でもある。いまは広々とした造成地が広がっている。
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