3月11日に流れていった時間

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3月11日、たくさんの人が陸前高田を訪れていた。一本松茶屋の駐車場はほとんど満車だった。ふだんは工事車両か土埃で汚れた地元の車がほとんどなのに、この日の国道はきれいな車が目立つ。

市内にはこの日も工事を行った現場も少なくなかったようだが、一本松の周辺の重機は眠っているかのように静か。

どこかのどかで平和な光景のようにも見えてしまう。6年前のこの日、ここで起きたことが信じられないほど。

一本松茶屋の駐車場にとめられた車のナンバーの7割ほどが「岩手」だったのが意外な感じがするくらい。あとは「盛岡」「平泉」「仙台」「宮城」といったナンバーがちらほら。「青森」「秋田」「水戸」「京都」といったナンバーも見かけたが、震災後に移住した人がこの日に合わせて陸前高田にやってきたのかもしれない。それにしても、駐車場から一本松に向かって歩いて行く人たちの話し声に、地元の言葉がほとんど聞かれない。レンタカーを示す「わ」ナンバーが多かったせいか、それとも若い人が多かったからなのか。

たくさんの人が訪れた3月11日の一本松茶屋。しかし、その向かい側に仮置きで積み上げられた盛り土の高さは、いまもまだ見上げるほどだ。

ふだんは埃だらけで歩く人の姿などほとんど見られない国道の歩道を、たくさんの人が歩いている。僧服を身につけた人もたくさんいる。それも正装のお坊さんが多い。正午を回り、14時46分が近づくにつれて、町中を走り回る乗用車が増えてきたが、どうしてなのか、理由はよく分からなかった。

ふだんとは違う雰囲気は午後になっても続いた。

午後2時46分前後、陸前高田の町に雪がちらついた。あの日もやはり雪が舞ったという。

やがて雪は止んだ。忘れるなと空が降らせた雪だったのか。黙祷の時間を過ぎて、それまでの張りつめたような空気が少し変化したように感じたのは気のせいなのかどうか。

太陽が西に傾いて行く中、陸前高田のまちのあちこちでキャンドルナイトの準備が進められていた。震災後に最初に完成した下和野の市営住宅の外には、遠目にもはっきり分かるオブジェが登場していた。地元の中高生たちも参加して行われる灯火の集いとのこと。日が暮れたら行ってみようと思う。

輝(ひかり)あふれる場所
 輝(ひかり)あふれる場所
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3月11日を迎えるためにこれまで準備が進められてきた。この日のために工事や悼んだ道路の修理を急いだ建設業の人たちも多かっただろう。まちのあちこちで道が走りやすくなっていた。早朝からずっと道路の掃き掃除をしている人もいた。式典のためにずっと以前から準備を進めてきた人もたくさんいただろう。追悼イベントのために県外から駆けつけた人にもたくさん会った。

ふだんより、たぶん少し人口が多くなった陸前高田のまちで、かさ上げ工事現場が広がるこのまちで、それぞれの時間が流れていた。この日だけが特別ではないと思いながらも、やはり特別な日の時間が。ひとりひとりがそれぞれの思いを抱いて、その時間の中を生きていた。

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