「3.11夢あかり」が今年も陸前高田に灯された。場所はコミュニティホール裏の栃ヶ沢公園。岩手県で最も大きな災害公営住宅である栃ヶ沢アパートに面する芝生の広場。この日は朝早くから準備するスタッフの姿が見られた。
灯がともされた公園に、コートを着込んだおばあちゃんたち、おじいちゃんたちが集まってくる。灯火は牛乳パックで作った燈籠の中で光っている。おじいちゃん、おばあちゃんたちは、自分が作った燈籠を探して歩きながら、「あら、これもキレイね」「すてきだわ」と話し合っている。
知り合いのおばあちゃんがいたので声を掛けると、「いいわねえ」と灯りに照らされた横顔がしみじみそう語った。そして、
「はじめてなのよ、見に来たのは」とも。
はっとした。はっとして気がついた。
震災の後にはじまったこの灯火は、今回までずっと続けられてきた。去年の会場は海沿いの震災遺構「タピック45」の前だった。主催者が知り合いということもあって、点灯から消灯まで長い時間その場所にいた。その場所で多くの人と出会った。しかし、去年の灯火の会場で出会ったのは、NPOやボランティアの人たちがほとんどだった。寒い中での灯火だからということで、豚汁の炊き出しに来てくれた婦人会の人たちなど、地元の人もいるにはいたが、会場で行き会ったり、あいさつしたりしたのは、ほとんどが標準語を話す人たちだった。たくさんの人に会ったから、地元の人たちも多かったと思っていたのは錯覚だった。
去年の会場、タピック45は海のすぐ近くにある施設だ。震災遺構に指定されていることから分かるように7年前のあの日、津波に襲われた建物だ。外壁こそ残ったが、内部は被災した当時の状況がかなり残っている。
そんな場所にわざわざ足を運ぶ人がいるか、いないのか、ということを去年は考えることすらなかった。津波被害の象徴である場所での灯火が、被災した人たちにとってどのように受け止められていたのかということを。
栃ヶ沢公園は、震災の後に仮設の市役所が建てられた高台にある。この場所は津波の被害を受けていない。BRTや地元のバスの停留所もある。コミュニティホールには広い駐車場もある。
「はじめてなのよ、見に来たのは」という言葉に教えられた。外からの目線と、地元の人が感じていることのギャップを。そして、「いいわねえ」という言葉の意味を。
震災から7年、津波の恐怖をあまり思い出さずにすむ場所での灯火だった。
芝生を踏んで燈籠を見て歩きながらつぶやいた。
「いいなあ」
津波の後にともされるようになった灯火で、そんなふうに感じたのははじめてだった。
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