固い雪もやがては融ける
日本中が大寒波に襲われた先週から今週にかけて、東北の被災地にも大雪が積もった。住民が少なくなった仮設住宅では、高齢世帯が雪かきの主役として頑張らざるを得ず、たいへんな苦労があった。
それでも昨日・今日は比較的気温も高めで(といっても最高気温でも3℃とか4℃。少し山沿いでは0℃くらいのところも多かったが)、かなり雪解けが進んだ。
融けていく雪の中に、ところどころ汚れた雪がブロックのように残るのは、数日前に軒下からスコップで運んだ雪。屋根から落ちて軒下にたまった雪だ。
雪は高いところから落ちると、その勢いで圧縮されて固く締まる。その上、アスファルト路面に密着して取れにくくなる。そんな雪の塊を掻き取って、スコップに載せ、空いたスペースまで運ぶのは肉体的にかなり厳しい。
やわらかい乳色に光る雪の中に突き出した汚れ雪は、数日前の大仕事の名残り。見ていて、「いやあ、あの日はひどかったなあ」と、腰や肩をさすりながら、雪かき仲間同士、労りの言葉をかけたくなるだろう。
そんなシーンを想像しながら隣を見ると、雪が融けて現れたメッセージが目に入った。毎年欠かさず花の苗や球根を支援してくれる団体がプランターに付けて送ってくれたものだ。雪かきした雪の山に紛れ込んでいたものらしい。そこに記されていたのは、
「頑張れ!」
とのメッセージ。「頑張れ!」かぁ。その言葉に、「夕方から山沿いでは雪」という予報を思い出した。
打たれても、打たれても
また雪は降る。融けても融けてもまた降るだろう。きっとたくさん積もるだろう。それでも頑張れ! いくら雪かきがたいへんでも頑張れ! 溶けた雪の下から現れたメッセージが、無情なものにも思えた。
東北人は辛抱強い——。誰が言い出したことなのか、そんな言葉をよく耳にする。その理由の一つとして、冬の大雪が語られることも多い。降っても降っても雪かきをする。雪かきをしてもまた雪は降り積もる。そんな風土の中で生まれ育ったから、自然と辛抱強くなるのだと。
でも、「ふざけるんじゃない」と、吐き捨てるような強い言葉もしばしば耳にする。福島でも宮城でも岩手でも。とくに震災の後、どれだけたくさんの人から同様の言葉を聞いたことだろう。「東北人が我慢強いなんて言うのはウソだ」「勝手な言い分だ」「押しつけのような悪意すら感じる」と。
こんなことを言う人もあった。雪が積もれば雪かきする。自分ちの前だけじゃなく、隣の家の前とか近所の歩道なんかの雪もかく。当たり前のことだよ。雪をかかないで放っておいたら、ツルツルに凍り付いて危ないからな。だけどよ、それは東北に限ったことじゃないだろ? たとえば雪じゃなくてもよ、毎日ご飯を食べたら食器を洗うだろ。服が汚れたら洗濯するだろ。そんなの当たり前のことだろ。春になって雑草が生えてきたら草取りする。草取りしなくちゃ草ぼーぼーになっちまうからな。雪と同じで、雑草だって取っても取っても生えてくる。きっと東北より暖かいところの方が草取りは大変だと思うんだ。だからって、草取りが大変な地域の人を、それがために辛抱強いなんていう話なんか聞いたことないよな。
頑張れ! と言われればちょっとげんなりする。だけど、だからといって雪かきを放棄するわけじゃない。恨めしいなあとボヤキながらも、傘先でシャリンシャリンとつららを落としながら歩いていくMさんのように。
我慢強い、辛抱強いなんて心外なことを言われ、震災後もずっと頑張れ! と言われ続けて、やんたく(いやに)なってはしまうけど、やっぱり雪かきするし草取りもする。東北人だからって理由だけで、決して、必ずしも、辛抱強いわけではない。
そんなことが、最近になって少し分かってきたような気がする。分かってきたような気がする上でそれでも、東北の知人たちと一緒にいて偉いなあと思うことはある。強いなあと思うこともある。
仮に東北の人に辛抱強さという共通の特質があるとしたら、それは、東北人は我慢強いものだ、辛抱強いものだと言われ続けてきたことへの反発の中で培われた性質なのかもしれない。
雪解けの下から現れた「頑張れ!」という言葉に、そんなことを夢想した。
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