初の漫画エッセイ「大家さんと僕」は20万部のベストセラー。全頁に笑いが渦巻くのにホロリと涙する切なさも込められ誰もが心の感動スイッチをオンにされます。素顔の矢部さんに、子どもの頃の話をはじめ、お笑い芸人として大切にしていることをお聞きしました。
矢部 太郎(やべ たろう)
1977年生まれ。お笑いコンビ・カラテカのボケ担当。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。父親は絵本作家のやべみつのり。『大家さんと僕』は初めて描いた漫画。2017年10月現在も大家さんの家の二階に住んでいる。
SNS効果で初著書は20万部突破。
――初めて執筆された漫画エッセイがものすごく注目されています。漫画といってもほのぼのとした線画で笑いつつ、ちょっと涙もこみ上げ、幸せな気持ちになりますね。
ありがとうございます。SNSで読んだ方が紹介してくださって拡散されているのと、TVや新聞などでも取り上げてもらえて、ありがたいです。僕は大家さんそのものがおもしろい方だと思っていますので、そこは変えずに出せたらいいなというのと、大家さんから聞く昔話が僕は好きで、そういう話はなるべくそのまま書けたらいいなと。僕が大家さんに対して、いいなと感じていることが、この本を読まれる方にも伝わるのだと思います。
――そもそもお笑いの世界に入ったのは何がきっかけでしたか?
僕がコンビを組んでいるカラテカの入江君は高校の同級生。いっしょにお笑いやろうって誘ってくれたのがきっかけです。ネタ見せしておもしろかったらライブに出てもいいことになっていまして、月に1回出られるようになって、それが月2回、3回と段々出番が増えていって、吉本の人から「口座教えて」と言われ、気が付いたらタレント年鑑に名前が載るようになっていました。
――あれよあれよと言う間に吉本のお笑い芸人の道へ。ということは、高校ご卒業してすぐお笑いの世界へ進まれた?
大学進学をしましたが、中退ではなく除籍となってしまい途中で辞めました。一応、教育学部で先生を目指すこともできましたが、当時はあまり深く考えていなくて。除籍は、親も残念だったかもしれませんが、直接は何も言われませんでした。8年間一応大学へお金は払い続けていたのですが、ちょうどその頃「電波少年」という番組で海外に連れて行かれて帰ってこられず。そのうち単位が取れなくなってしまったのです。
――もったいなかったですね。矢部さん気象予報士の資格もお持ちで案外というと失礼ですが、勉強お好きでいらっしゃるのかな?と。
集中して何かをするのが好きです。受験勉強もそんなに嫌でなかったですし、気象予報士の資格を取るための勉強もすごくおもしろくて。科学的に未来を予測することって他にない。しかも、それに国が資格を出している。占いとかいろいろありますけれど、そういうことでなく方程式で時間、空間、温度など入れて1時間後を予測するというのがおもしろくて。だから漫画も集中して描くのが楽しいです。
似顔絵描くのが好きで、特技。
――実は私、矢部さんとお会いするのは2度目です。9年前に汐留のテレビ局前で偶然イラスト描いて頂いたことがあります。イラストは昔から特技でしたか?
もともと似顔絵を描くのが好きでした。「電波少年」という番組で、僕はアフリカの村に放り込まれて、原住民の方とコミュニケーションを取らないとならなかった。ゼロから現地の言語を習得して、それをネタにして皆を笑わせる…という企画でした。何もないところでコミュニケーションを取るのに、絵がとても役立った。「これは何ですか?」という言葉は言えても、これはこういうものって絵でやり取りして、単語をひとつずつメモってきました。
――絵は海外でのコミュニケーションに役立ちますよね。アフリカの皆さんの反応はいかがでしたか?
こちらは勉強したくていちいち聞くのが、あちらの方にとっては面倒臭いこともあったと思います。で、彼らの顔をイラストで描いてあげるとすごく喜んでもらえました。そこそこ似せてデフォルメして描くことで、すごくコミュニケーションがうまく取れた。9年前は借金を返さないとならないという企画で、1枚千円でイラストを描いて稼いだ。おかげさまで数十万儲かり、借金返済ができました!
――すごい!200人以上の似顔絵を描いた勘定です。「大家さんと僕」では得意なスキルを存分に発揮できたのですね。大家さんはこの本のヒットをどのように言われていますか?
とても喜んでくださっています。作品として描かれたことも、「矢部さんが大きなお仕事をされた」と。描いてよかったなと思います。
――子どもの頃の矢部さんはどんなことがお好きでいらしたのですか?
父が絵本作家(やべみつのり氏)で、絵画教室をしていてアトリエで絵本や紙芝居を作ったり、工作とか野焼きとかいろいろやっていて、僕も描いたり、傍で見たりしていたのはよく覚えています。外見も父とは、どんどん似てきています。父の父、亡くなった祖父もよく似ていて、病院にお見舞いに行った時、看護師さんに僕の後ろ姿をお爺ちゃんと間違われたことがあるくらい。「矢部さん、矢部さん」って振り向いたら「あ、お孫さんでしたか」って。
絵本作家の父のもとで、のびのび育つ。
――矢部さんの日常はネタばっかりですね!(笑)絵本作家のお父様も矢部さんの漫画エッセイを喜ばれているのでは?
父もすごく喜んでくれて、毎日いろんな人の感想をメールで毎日メルマガみたいな感じで4,5件の感想を送ってくれます。今まで僕がやっていた仕事でそんなふうに喜んでくれたことはひとつもなかったので。父は、めちゃめちゃいろんなものをスケッチする人で、例えば毎食のご飯とか食べる前にさらさらっと描く。誰にも公開しない日記みたいなのを付けています。姉の育児日誌とかも付けていました。僕のは付けなかったようですが。
――絵を描くことがスマホで写メ撮ることと同じような感覚で、お好きなのですね。
僕は小さい頃、習い事は全然してなかった。それは父のアトリエがあったからというのもありますが、本も漫画もたくさん自由に読めてよかったなと思います。漫画は「タンタンの冒険」が大好きで毎月買っていました。日本のとちょっと違う、フランスの香りがする漫画。本だと江戸川乱歩、ルパン、ホームズとか推理小説を図書館で借りて読んでいました。父の影響もあって「太郎新聞」って手描きの新聞を作って、今月の矢部家のニュースとか書いていました。
――太郎新聞!読みたいです。スケジュールびっしりな子どもじゃなかった分、矢部さんの持ち味がそのまま保存されたように思います。
小学生の頃は、よくしゃべってうるさいタイプで前の席に移動させられるような子でした。でも中学になって学校に馴染めなくて、その頃からちょっと変わりました。スポーツの習い事はひとつだけ、空手を習いに行っていたことがあります。小学生時代のことです。
――幼い頃から全部ネタみたいです。では最後に、子どもを育てている親たちへ矢部さんからメッセージをお願いします。
正解は、ないと思います。僕の場合は、お笑い芸人にしても、漫画エッセイにしても、一直線で目指してそれができているわけでもなく、誰かに引っ張られてやらせてもらっています。これからも劇場や漫画を描く機会がある限り、がんばっていきたいです。あと、結婚は…もう今はあまり聞かれなくなりましたけれど、したいです。あまり気を使わないで過ごせるようなマイウェイな感じの人がいい。うん。大家さんのような方が、いいですねえ!
編集後記
――ありがとうございました!私はあまりテレビを観ないので、お笑いの世界の移り変わりも敏感ではありませんが、厳しい世界でしっかり存在感を確立した矢部さんに惚れ直した方は多いのではないでしょうか。昭和っぽい暮らしのぎこちなさとか、恋愛がうまくいかない感じなど、大家さんと矢部さんのやり取りが笑いのツボに入るのに、あったかい気持ちになって泣けてしまいます。続編もぜひお願いしたいです!
2017年11月取材・文/マザール あべみちこ
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このページは株式会社ジェーピーツーワンが運営する「子供の習い事.net 『シリーズこの人に聞く!第144回』」から転載しています。
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