大川小学校に到着すると、外は深々と冷え込んでおり、ここだけは時が止まったままのように感じました。
すぐにガイドさんと合流し早速お話を聴きました。
上記の写真を見ると分かるように、右奥に見える3.8km離れた山の向こうの海から津波が押し寄せました。また内陸へは津波は川を50km遡上しています。結果、大川小学校周辺は、集落はすべて跡形もなく流され、小学校と病院の跡だけが残ったようです。この地域は人が住むことができないため、病院は取り壊されたようです。
津波により海側にあった10万本の松林が流され、大川小学校のすぐ先にある新北上大橋にぶつかりダム化して津波が内陸方面から螺旋を描くように大川小学校を襲ったそうです。津波の高さは9.6mあったそうです。
小学校の天井の波状構、体育館と校舎の渡り廊下の倒れた方向から津波が海と逆側から押し寄せたことが分かります。また津波に流された体育館の屋根は300m海側で見つかっているようです。
上記のAとBへは小学校1年、2年生でも簡単に登れる傾斜がなだらかな山です。遺族は児童が移動し始めてから津波が到達するまでの時間があれば、裏山に逃げて助かることができたはずだと主張しています。実際に津波を見た1人の児童が振り返り山へ駆けのぼり助かったそうです。
その時助かった児童の証言と唯一助かった先生との証言の食い違いがたくさんあるようです。その先生は1人で山へ逃げてしまっており、まったく水に濡れてもいなかったようです。
第一回目の市の説明会で1度だけ先生が来たそうですが、明らかに市から渡された原稿を読んでいる様子だったそうです。裏山に倒木はまったくなかったにもかかわらず、倒木があって裏山には避難できなかったなど、支離滅裂なことを言っていたようです。
後から全部嘘だったことが明らかになり、裁判になったようです。遺族はなぜ50分もの間校庭で待機していたのか、先生から裁判で話を聞くことを要望していたそうです。しかし市は先生を精神病ということにして裁判に出てこさせないようです。
また当時、広域通学バスが学校前でずっと待機していたそうです。このバスに乗って避難すれば全員助かったのではないかと言われているそうです。結局バスは出発することなく津波に飲まれ、運転手はバスの中で亡くなっていたようです。
野外ステージからすぐの場所に児童がよく登っていた裏山があります。
上の写真の山の斜面を見ると、山の獣道が盛り上がっているのが分かります。普通は人が歩く道は下の写真のように掘れて道が下がります。なぜ道が盛り上がっているのか、遺族の話では市が山の斜面を登りにくく見せるために盛り土をして隠ぺい工作を謀ったからであるとのことです。
遺族は何度もこの場所に訪れているため、明らかな異変にすぐ気づいたようです。
大川小学校は震災遺構として残されることが決定されています。昨年、公園として整備されることが決定したようです。当初、遺族も校舎の保存は反対される方が多かったそうですが、残したい人が少し上回り保存が決定したとのことです。
最後にガイドさんが、静岡や愛知にも講演に行くことがあるが、静岡や愛知では地震避難の後、津波避難をしっかり訓練していることに防災意識の高さを感じ驚かされるとおっしゃっていました。
ガイドさんは東松島出身で、自宅を津波で流されてしまったようです。自分は地震避難の訓練しかしたことがなかったとおっしゃっていました。
学校の管理下にありながら前代未聞の犠牲者数を出してしまった大川小学校には、学校教育従事者は必ず一度は訪れるべき場所だと思います。このような悲惨な事故は二度と起こしてはならないと改めて強く認識しました。
ここで大川小学校のガイドさんとお別れし、2日目に宿泊する南三陸町のホテル観洋に向かいました。
ホテルでチェックインしてすぐにお風呂に向かいます。かりん大好きな息子が途中ロビーで樹齢1000年のかりんの木のテーブルを見つけて大興奮していました。
3日目(11月25日)
ホテル観洋より1
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朝早くからウミネコ?がご挨拶に来てくれました♪
最終更新:
cha_chan
jinaさんコメントありがとうございます!
息子は植物(食べられるもの)が大好きで、テレビ番組は「鉄腕DASH」の他に「趣味の園芸」「やまと尼寺 精進日記」なども大好きです(笑)
2人ともずっと今のままでいてくれたらいいな、と思ってしまいます。
子供の寝顔ほど可愛いものはありませんよね!自分も子供達の寝顔にいつも癒されています。
jina
息子さんが「ダッシュウ島だ」と連呼するYOUTUBEが最高におもしろい!!!!!
何度も笑いました。
娘さんの寝顔のお写真も最高にかわいくて幸せな気持ちになりました。
幸せなファミリーから幸せをいっぱいいただき、幸せな気分を満喫できました(^^)