私が今の住まいに引っ越して来た時、母方のおじいちゃんとしばらく一緒に住んでいました。
おばあちゃんが亡くなった後、何年も一人暮らしをしていたのですが、80台後半になり一人でなんでもやるのが大変になってきたため、だれかと一緒のほうがいいというのがその理由でした。
同じ市内ではあったものの、今まで住んだことのない地域。知人もおらず寂しいかなと心配したのですが、まったくの杞憂でした。
新たな地で次々と友達を作るおじいちゃん
うちのおじいちゃんは、公園やマンション、コンビニエンスストアでだれかれ構わずあいさつをして話しかけて、すぐ打ち解けてしまうというすごい楽しい人でした。
引っ越してきた次の日から、健康のために近くを散歩し始めたのですが、帰ってくると次々に散歩中に出会った人と話した内容を教えてくれました。
あの公園に行ったら柴犬を連れた人がいて、こんなよぼよぼのじいさんだけど今からでもマメシバを飼えるか聞いてみたとか、コンビニの店員さんにお勧めのお惣菜を聞いたら親切に教えてくれた、でも食べてみたらいまいちだったとか、近くの肉まん工場のおじさんに何を作っているのか聞いたら中を見せてくれて、うまそうなので買ってきたとか(多分その工場では直販はしていないのですが・・・)。
おじいちゃんはさらに行動範囲を広げ、近所の大学の中もうろうろし始めました。
そこでも大学生に積極的に話しかけていったようです。
ある日、キャッチボールをしている女子学生2人組を見かけ、投げ方がなっとらんと説教をしたそうです。
その子たちはどうやら違うスポーツの部活に属していて、合間に遊びでキャッチボールをしていたようなのですが、そのことは伏せて「そしたら私たちに投げ方を教えてよ」とおじいちゃんにお願いしたそうです。
帰ってきたおじいちゃんが「困ったな~。今度野球を教えないといけなくなっっちゃったよ。」と嬉しそうに話していた時の笑顔は今でも覚えています。
(後日、その子たちは実は違う部活に所属しているということをおじいちゃんに伝えて、本業の練習の風景を見せてくれたそうです。野球サークルの子たちだと思っていたのに、だまされた!と笑顔で悔しがるおじいちゃんもやっぱり嬉しそうでした)
友達に会うことが生きがい
そんな悠々自適な日々を過ごすおじいちゃんでしたが、実は一緒に住み始めた時はすでに肺がんを患っていて、さらにがんが全身に転移していました。おそらくもう長くは生きられないから、治療をするよりも好きなことをやりながら毎日を過ごすことを選択していたのです。
まわりから見たら「このじいさんのどこが病気なんだ?」と思うくらい明るく元気だったので、がんであることを忘れてしまうこともありました。
しかし、やはりしばらくすると体調不良で散歩に出られないような日が増えていき、そのうち外出する機会も極端に減っていきました。
それでも、口から出てくる言葉は「あの子たちちゃんと練習してるかな」とか「あの柴犬のご主人はどうしてるかな」という、ここでできた友達の話ばかり。きっと会って話すのを本当に楽しみにしていたのだと思います。
おじいちゃんが教えてくれたこと
それから約半年後、おじいちゃんは亡くなりました。
たくさんの友達を最後まで作り続けて、人とのコミュニケーションを生きがいとして生きました。約90年間、どれくらいの友達を作ったのか、想像ができません。
私はおじいちゃんから、日々あいさつをして、たわいのない会話で笑い合える友達に囲まれて生活をすることの豊かさ、楽しさを教えられたような気がします。
きっと天国でも片っ端から声をかけているのではないでしょうか。
自分もあんな風に生きたいな、と思います。
そういえば、おじいちゃん。あの例の女子大生2人組から、また野球を教えてねって手紙をもらったよ。最期までいい友達ができて良かったね。
最終更新:
jina
最後で、涙腺崩壊しました。おじいちゃん、当たり前だけど失われつつある、大切な人のつながりを教えてくれてありがとうございます。
akaheru
素敵なコメントありがとうございます。なにげない日々の会話一つを見ても、相手がいなければ当然成り立ちません。
自分が意識をすればいくらでも人とのつながりを作り出せる環境にいられることに、感謝しながら生きていこうと思います。