息子へ。東北からの手紙(2015年4月16日)桜を植える

iRyota25

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関東周辺ではすっかり葉桜が鮮やかな季節になって、街路樹のハナミズキが美しい季節になったけど、ここ1週間位の間に東北方面から桜の花のたよりが次々に舞い込んでいる。

いわきで咲いたって話を電話で聞いたのは10日くらい前だったか。いまではもう花盛りなんだって。その数日後には大船渡で咲いたという話が友人のFacebookに載って、昨日電話で話したらすでに満開。盛岡からも北上川沿いの桜が満開の写真がアップされて、さらに14日には青森で開花宣言なんて言っていた。

花の季節って何となく気持ちまで明るくなるよね。少し遠くでも桜を見るために散歩して行ったり、もちろん桜の花の下でお酒をのんだり寝転んだり。小さい頃からよく花見に行ったもんだよな。たぶん毎年行ってるんじゃないか。

だけど、今年の桜はこれまでとは少し違って見える。例年より開花が早かったとか、北上スピードが速いとかいうことではなくて。

春になって桜の花が咲くと、ああきれいだなあとかお花見にはいつ行こうとか思うのは例年もそうなんだけど、花が違って見えるのは去年から本格的に桜の植樹に参加しているからだろう。

桜の木って人が植えたものなんだよ。

とくにソメイヨシノは自然には実で殖えることがないから、すべて接ぎ木で増やしたもの。河津桜だって苗木の根元の部分をよく見ると接ぎ木の跡がわかる。鳥が実を食べて、どこか遠くに飛んでいって芽が生えて…という感じに育つものではないんだ。

人が植えるってことは、わざわざ植えるんだよね。苗があったから適当に植えてみる、なんてことはあり得なくて、「ここに桜を植えよう」と思って植えるんだ。当たり前だと思うだろう、でも植える人になってみると、いま目の前に見えている桜が、どんな気持ちにで植えられたんだろうとつい想像してしまう。

父さんが桜を植えに行っているのはいわき市の久之浜。縁があって三島在住の仲間たちと一緒に植えさせてもらっている。桜はこちらから運ぶけれど、植える場所は久之浜の地元の人達が決めてくれてね、植えながらいろいろ話をするわけだ。

話は飛ぶが、ドラえもんにフタバスズキリュウのピー助が出てくる映画があったの覚えてる? フタバスズキリュウっていわきで発掘されたんだ。それも久之浜からちょっと山の方に入った大久という地域の川床で。高速道路の高架橋のすぐ近くには、おっきな恐竜のオブジェや観覧車などの遊具がある「海竜の里」っていう施設があってさ、こないだはその近くの川の土手に河津桜を植えさせてもらった。

ちょっと上流側にはソメイヨシノも植えられていて、こちらはもう立派な成木。桜の苗木を植えながら地元の人が教えてくれるには、「15年くらい前に植えたんだっけな」とのこと。びっくりした。

「じゃあ、もうあと15年もしたら、いま植えてる河津桜も同じくらいに立派になるってことですよね!」

「んだよ」

その時、風にのってさ~っと小雪が舞った(出来すぎた話だけど本当なんだな)。

目の前に15年後の風景が広がった。植えた桜の木が大きく成長して見事に花を咲かせて桜吹雪が舞っている。桜の木の下にはたくさんの人が集まって花見をしている。

花見をしている人たちは、おじいちゃんもおばあちゃんも、大人もこどもも。こどもはお母さんに抱っこされてるくらいの小さい子から、そこいらを駆けまわってる小学生、友達同士でつるんで何やらちょっと怪しげな雰囲気を醸している丁度お前たちみたいな中高生たち。いろんな年代のこどもたち、大人たちが桜の樹の下に集ってる。そんな光景。

そうなってほしいなあと、泉から自然に湧き出てくるように思ったんだ。話してた地元の小父さんも同じことを考えていたみたいでね、

「ここはフタバスズキリュウが発見された場所だからね、もっとうまくやれば、たくさんの人が来てくれる場所に出来ると思うんだよ」

「あ、たとえばフタバスズキリュウが発見された現地の周りを整備するとかですか」

「フタバスズキリュウはね、川床の岩盤から見つかったの。その岩盤はまだ広い範囲にひろがってて、手付かずのところもあるんだ。きっとまだまだ出ると思うんだ」

近未来の花見の映像にフタバスズキリュウも加わる。「有名な海竜が発掘された自然豊かな里で、いま桜が満開です。早咲きの河津桜とソメイヨシノの共演が見えられると、今年も県内外からたくさんの人が訪れています」な~んてニュースも流されたりするんだな。

震災の後、地元を離れてしまった人も少なくない。町はずいぶん寂しくなったという。だからこそ、人が集まる場所を作りたい。桜の木はそんな思いが込められて、一本一本ていねいに植えられていくんだ。

いま目にしている桜の木だって、何十年か前に、誰かが何かを思って、未来を想像して植えてくれたものなんだよ。もしかしたらこの桜を植えた人はもう生きていないかもしれない。生きてるうちに見事な花を見ることはできないかもしれないなと思いながらも、託して植えられた桜なんだ。

日本中、いったい何本くらいの桜の木があるんだろう。その一本一本に植えた人の思いと物語がある。そしてそれは、目には見えないし言葉としては聞こえないかもしれないけれど、きっと桜の木とともに時を超えて受け継がれている。

そう思うとね、まあ愛おしく思えるわけだ。ゴールデンウィークあたり、どこか北の方でもう一度お花見をしに行きたいね。でも今年はずいぶん早いみたいだから、東北でも山の上の寒い方に行かなきゃ見られないかもね。

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