天皇陛下より1歳年下の桜並木

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釜石市唐丹には桜の名所がある。かつての唐丹村の南から北までずらりと2000本以上も植樹された桜並木だ。

花びらが散り始め、若葉の緑が目立つようになっても、その美しさには息を呑む。この時期の平日でも、桜を愛でにやってくる人の姿がぽつりぽつりと見られる。

幹の雰囲気からかなりの老木と思われるが、並木が維持されているのは地元の人たちの欠かさぬ手入れの賜物だろう。

並木の形で現存しているのは集落のある周辺が中心だが、唐丹から釜石市街方面に通じる険しい海辺の山道でも、坂の上やカーブのあちこちで桜の姿に出会った。

暗い杉林のカーブの向こうに満開の桜を見た時には、はっとした。花そのものが目映い光の源のようだった。森の中だからか花の数は少ないが、この桜の木も集落の桜と同じくらいの老木だった。

ただ、この桜並木をめぐっては、「桜=美しいもの」という単純なものではないという話もある。

それは、陸前高田の町歩きの後のお茶会で80代後半の女性から教えてもらった話。

私の若い頃にはね、そりゃ若々しくてきれいな桜だったのよ。いまじゃ国道は上の方に付け替えられたけれど、当時は並木沿いが国道で、それはそれは立派な道だった。でもね、こないだ久しぶりに行ってみて悲しくなっちゃった。立派だと思ってた道は狭くて古びた道だったし、何より桜がね、みんな私みたいな老木ばかり。半分あちらに足を入れているような感じ。そういえば、ソメイヨシノには寿命があるんだってね。私がこんな年になるくらいだから、桜だって同じだよね。何しろ、この桜並木はいまの天皇陛下がお生まれになったのを記念して植えられたもんだっていうからね。

桜の老木を見て、自分の姿を見ているようだった。まあ同年代だからね。でもね、天皇陛下の生誕記念ってことで、地元の人はこの桜の管理にずいぶん苦労されたらしい。戦争中までは天皇は神様だったからね。間違っても枯らすわけにはいかないし、毎年きれいな花を咲かせるように、地元の人たちは大変だったんだって。戦後に聞いた話だと「あの桜は迷惑だった」なんて人もいたくらいなんだよ。

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そもそも、そんな話を聞いたからこそ唐丹の桜並木を観に行ったわけだが、現地に行ってみて知ったことがあった。

桜並木の植林は昭和9年(1934年)の春。今の天皇陛下が生まれたのは昭和8年(1933年)12月23日だから、桜並木は天皇陛下より1歳年下ということになる。そして、同じ昭和8年の3月3日、東北地方は昭和三陸地震が起きている。この時の三陸大津波で唐丹村も計り知れない被害を受けていた。

現地の案内板には、「村の復興推進と皇太子御降誕の祝福をかねて」の植樹だったと記されていた。つまり、この桜並木には現在の天皇陛下誕生の記念という意味だけでなく、津波からの村の再興を進める心の拠り所という意味もあったというのだ。

さらに——、川沿いの桜並木をたどっていくと、ほどなく目の前に真新しい防潮堤が見えてくる。東日本大震災で津波に越えられた防潮堤をかさ増しして増築されたものだ。

桜の木の下には「津波到達点」の石碑も建てられている。

桜と津波。直接結びつくものではないものの、何か深い所でつながるものがあるのかもしれない。

唐丹の桜並木のすぐ近くには、おそらく津波後に植えられたものだろう、桜の若木も盛んに花を咲かせていた。

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