東北、久之浜に花の春が近づいている。(2月27日撮影の写真から)
朝の光を浴びて輝くように咲いた河津桜。2014年3月に植樹した直後から咲いてくれた桜の木に、今年も薄紅色の花びらが開き始めた。伊豆の地から東北に引っ越して3度目の開花だ。久之浜の人たちに可愛がられているからこそのさくら花。
2年前に植えた桜が元気かどうか、桜パトロール
静岡から久之浜に河津桜を植樹するのは2014年3月から5回目。これまで350本を届けてきたが、ちゃんと根付いてくれているのか気になるところ。これまでも久之浜を訪れる度に見回りは行ってきたが、この日も植樹前の時間を使って桜パトロール。
お寺や中学校の高台に植えた桜の中に、蕾をふくらませたものを見つける。ただただうれしくなる。なかには葉芽ばかりで花芽がないものもある。風が強いからなのか、地味が合っていないのか、肥料をあげるかどうするか。いろいろと心を悩ませる。ちなみに苦しそうな格好で桜の苗木の写真を撮っているのは本職の植木職人さんだ。
海風が直接吹いてくる急斜面だからなのか、なかなか苗木が太くなってくれない。それでもピンク色の蕾をたくさん付けている。こういう子を見るとなでてあげたくなる。
フタバスズキリュウの化石が発掘された近くにある「海竜の里センター」の河津桜。こちらは去年のバレンタインデーに植樹した木。山間の川沿いだからちょっと心配した場所だったのだが生育は上々。
化石の展示や観覧車などの遊具、それにレストランもある海竜の里センターだから、きっと職員の方がいろいろと世話をしてくれているのだろう。支柱を継いでくれたり、根本の草取りをしてくれていたり。地元の人たちが大切にしてくれることがありがたい。
愛でれば育つ。桜の木は関わる人の気持ちが分かるのかもしれない。
植樹させてもらえることのありがたさ
このグループの桜の植樹は、静岡県の高校生が学園祭で上がった収益を東北のために使いたいと申し出てくれたことから始まった。「高校生の思いを伝えたい」という考えはとても素晴らしいことだと思って自分もメンバーとして手伝ってきた。
しかし、桜を植えたいというのはあくまでも、地元の住民ではない我々の勝手な思いでしかない。植樹を350本まで続けてこられたのは地元の方々の理解と協力があればこそ。
「遠いところから桜の苗木を持ってきてくれて、ありがとう」と地元の人たちは言ってくれる。ところが「ありがとう」どころではないのだ。毎回、どこに桜を植えるのか、場所を調整してくれるのは地元の自治会の人たちと諏訪神社のみなさんだ。植樹場所の除草や添え木の手配など諸々準備してくれるのも地元の方々。さらに植樹の日には早朝から穴まで掘って待っていてくれる。
「植樹させていただいて、ありがとうございます」
それが偽らざる気持ち。その上、桜を植えた後、地元のみなさんと食事をしながらお話をするなど交流の場まで設けてくれるのだ。
植樹しに来てくれてありがとう。植樹させていただいてありがとうございます。桜をとおしたやり取りが重っていくとともに、少しずつつながりが深まっていく。
一度にたくさん、ではなく何年も時間をかけて桜の本数を増やしていく。そのうち、植樹の後に、桜の咲く下で花見を楽しめる日もくるかもしれない。
伊豆では早咲きの河津桜が終わってからソメイヨシノが咲くまでに、少しインターバルがあくことが多い。しかし、春とともにいろいろな花が一気に開花する東北では、河津桜とソメイヨシノが続けて咲いてくれるだろう。薄紅色と桜色が交差するお花見、いやあ今から楽しみだ。
桜の植樹のおかげで、たとえばお祭りで久之浜を訪れた時なんかにお話できる人も増えてきた。花見ができる頃にはもっと地元の人たちとも仲良くなっているだろう。桜の木の下で車座になって「いやあ、あの時はなあ」なんて言い合ったりするその日を楽しみに、少しずつ桜の木の本数を増やしていく。
花咲く春が近づく久之浜
植樹や桜パトロールをしながら久之浜の里を歩けば、もうすでにたくさんの花が咲き誇っていた。目についたのは梅の木が多かったが、ヤブの中に自生していたり、農家の庭先に咲いていたり。東北でも温暖なこの土地に、花を愛でる人が多いことは間違いない。
自生したのか誰かが植えたのか。河津桜の植樹をした道路の反対斜面には白梅。そのうち河津桜と梅の花のコラボが楽しめるのは間違いないだろう。
農家の佐藤さんの庭先には、白梅と紅梅がまざり合って微笑むように咲いていた。品種は「思いのまま」かな? とメンバーの誰かが言っていた。
同じく佐藤さんちの紅梅。おみごと!
これまで植樹してきた中で一番元気に育っているのが下の写真の河津桜。植樹に合わせて咲いてくれるところがまた愛おしい。
この花は久之浜の諏訪神社の境内に植えさせてもらったものだ。
町の人たちが大切にしてくれるさくら花。その桜の花は、これから町のあゆみをずっと見守っていくことになる。木を植える。それは人とつながっていくということ。そういうことなんだよと可憐な花が教えてくれる。
植樹の後には恒例の梅月さんの桜餅。85歳になられる菓匠の片寄さんは、河津桜の樹の下での花見を楽しみにしてくれているひとりだ。たくさんの物語、物語などということのできない数々の出来事を乗り越えてきた人たちと、一緒になにかを続けていく。
桜の木を植えていくことにはそんな意味がある。
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