山菜の季節になると思い出す理不尽なこと

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ようやく東北にも春が来て、花の便りとともに聞かれるのが山菜の話。もうそろそろばっけ(ふきのとう)は終わりだが、次はここみだ、わらびだ、しどけ(モミジガサ)だ、そしてタケノコだと地元のお茶っこでも盛んに話題になっている。

3年前の春の「食べてはいけない」たけのこ。でも美味しそう
3年前の春の「食べてはいけない」たけのこ。でも美味しそう

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そんなある日、岩手県が発行している広報誌「いわてグラフ」の後ろの方に「放射線影響対策のお知らせNo.20」という記事を見つけた。記されていたのは、山菜に関しても一般食品の基準値1kgあたり100ベクレルを超えた場合、市町村を単位に出荷制限を行っているという内容。原発事故からしばらくの間、報道や広報などさまざまな場所で目にしてきたものだった。

あらためて、ああそうなんだと思った。そうなんだと「思い出した」ということを、この場に記しておきたい。

原発事故による放射能被害が福島県に限定されているものではないことは、誰もが知っている。空に舞い上がった放射性物質が、県境を飛び越えて飛散することはないなんて話を信じる人などいるはずがない。それこそ絵空事だ。

今年の冬は野菜が品薄でしかも高値で大変だった。だから、春の声を聞く頃からキュウリだのレタスだのが安値でスーパーの売り場に並んだ時には、「やっと野菜が安くなった」とよろこんだ。キュウリ1本38円。大きな袋に20本ほど入ったものが280円。これは安いとよろこんだものの、産地を見て買うのを止めた。そこには関東近県の地名が記されていたから。その地域の放射能汚染がけっこう高いということを思い出したから。

だけど数日後、「キュウリが安かったから酢漬けにしたの、食べて」とすすめられた時にはよろこんで食べた。ボリボリ食べて、お土産までもらった。たぶん、あの産地のものなんだろうなと思いながら。

スーパーの産直コーナーの値札付け場にはこんな注意書きも記されている。

「山菜は定められた検査を受けたもの…(中略)…以外は出荷許可を致しません」さらに「たけのこは原則禁止」

あの原発事故後、山菜やきのこは特に注意が必要だとされてきた。いろんなニュースに接するうちに、土から直接生えるものは残留放射能が多くなりがちという経験則のようなものも身に付いた。岩手や宮城でも、産地を気にしたり、水道水を口にせずに買い水している知り合いも少なくないし、かなり雑ではあるものの自分もそうしてきた。

でも、ばっけ味噌食べる? と勧められればよろこんで食べるし、美味しい頂き物は大歓迎だ。やってることと知識として知っていることがちぐはぐになっている。のみならず、知識として知っていることが実生活の中であやふやになってきた。

朗らかな福島の知り合いが口にする心配ごと

ここ数年、福島の知り合いの人たちが明るくなってきたように感じることが少なくない。新しい住宅地の造成が進んでいる。家が建ち始めた。もうすぐ商店街がオープンする——。

東北のあちこちで同時進行に進んでいることではある。しかし、女川でも石巻でも陸前高田でも、「たしかに復興工事が進んでいることは間違いないが、将来のことを考えると手放しにはよろこべない」という人が多い印象なのに対して、福島の知人たちは復旧や町の再生をこころからよろこんでいるように思える場面が少なくなかった。

被害の大きさを比較することなどできないのはもちろんだ。もちろんではあるものの、原発事故災害のダメージを抜きにすれば、東京から近いという地の利もあるから、福島の復旧は遠くないのかもしれないと思うこともあった。そんなふうに思ってしまう場面があったこともまた、ここに記しておきたい。

ところが、3月末に福島でとりわけ懇意にしてもらっているお母さんのひとりとお話ししたとき、妄想だったと知った。彼女はこんな話をしてくれた。

「うちの裏庭も除染で土を何センチもの深さで入れ替えているんですよ。植えてた植物も根こそぎにして。でもね、除染からしばらく経つとまた線量が高くなるんです。どうしてなんですかね、何とかしてもらえませんかと言っているんですけどね」

彼女が「もう被災地だとか、被災したとか考えるのは止めにしたんです。わたしたちはここで生きていくしかないのですから、いつまでも被災者だなんて言ってられませんから」と話していたのは2年ほど前のこと。それ以来、彼女はとても明るくなった。震災以前の明るさを取り戻したように思っていた。

元気にしていないと気持ちまで沈んでしまう。できるだけ元気にしていれば、きっといい風が吹くようになる。自分の周囲もいい風にまわるようになる。きっとそう考えて、務めて明るくしていたのだと思う。

ただし、放射能のことは抜きにして。日常を暮らしていく上で、放射能を気にしていては身動きが取れなくなるばかりでなく、いいことも何もできなくなってしまう。たしかに原発事故被災地では、人口流出も少子高齢化も経済の問題も将来の問題も、ありとあらゆることが今回の原発事故につながる。東電の原発事故とその影響がいつ解消されるのを待っていたのでは、まちは再生できない。

自宅裏庭の線量は除染したにも関わらず高いまま。それでも元気にふるまう。「それでも」というところこそが、福島でわたしが感じる明るさの本当のところだったのかもしれない。

目には見えないものだから

福島県境外側の被災地の人たちにとってはどうなのだろうか。

岩手や宮城の知り合いにも明るく元気な人が多い。そしてそのほとんどが生活再建の悩みを抱えている。悩みはあっても、人には明るく接する。放射能のことだって考えないわけではない。ホヤひとつ上げても事情は原発事故につながっている。

今年に入ってからもホヤの安値が続いている。岩手県内のスーパーでは大振りの殻付きホヤが1個100円以下、安い時には60円台で並ぶ。サンマもサケもイカも不漁で高値続きだった中、ホヤは台所の救世主と言えるほど安かった。養殖ホヤは出荷までに3年かかる。津波で養殖施設を流された後、ようやく出荷にこぎ着けた時、養殖ホヤの大半の輸出先だった韓国は、東北各県からの海産物の輸入を禁止した。国内向けのホヤの安値の背景にそんな事情があることは間違いない。

放射能の影響でシイタケ農家などが大きな打撃を受けた岩手県一関。放射性廃棄物の仮設焼却施設の建設を市側が断念したことが12日、地元各紙で伝えられた。

放射能は県境を越えて日本の広い範囲を汚染したのは間違いない。放射能の影響が広い範囲に及ぶことは、東北で暮らす人の多くが認識している。ただ、口には出さないだけ。生活再建や地域の経済を維持していくだけでも大変なのに、難題を積み増ししないでほしいということなのかもしれない。放射性物質は関東や中部地方にも及んだとされているのだから、距離が近い東北各地に飛来していないわけがない。県や自治体が広報誌に放射能情報を掲載しているのも、行政としての誠実な対応ということなのかもしれない。

放射能は目に見えない。放射能の人体への影響も今すぐ目に見えるものではない。

人体への影響があるのかどうか分かるまでには長い時間がかかるだろう。影響があるかどうか分るまで生活を止めてしまうわけにはいかないというのが、「帰還困難区域」を除く日本国土多くの場所における、ひとつの本音なのかもしれない。生活再建やまちの再生までにも長い時間がかかるのだから。

大船渡のかさ上げ造成地に出ていたばっけ(ふきのとう)
大船渡のかさ上げ造成地に出ていたばっけ(ふきのとう)

放射能は目に見えない。放射能の人体への影響も目には確かに見えにくい。

ばっけはそろそろ終わり。次はたけのこが楽しみなんだけど、竹林はどこも誰かの持ち物だから勝手には掘れないしねえ。

なんて声に、気仙川の河川敷の竹林なら持ち主はいないだろうから大丈夫なんじゃないかな、とか、山道に生えてるネマガリダケのたけのこも美味しいですよなんて、受け答えする春なのだった。

容認なんてできる話じゃない。だけど放射能が無くなるのを待ってもいられない。本当は、この上の段落で記事を終わりにしようと思っていたのだが、書いていて思い出したことがある。そのことを最後に書き添えることにする。それはいわき市のとある民家と本宮市のある地域の集会所で、住民と東京電力の補償担当者話し合いに同席させてもらった時に、住民側の代表が言い放った言葉だ。それは補償についての条件の説明や「本社に持ち帰ってから返答します」を繰り返す東京電力の担当者に向けての言葉。それは、いわき市でも本宮市でも聞かれた同じ言葉。

「何も難しいことを言ってるわけじゃないんですよ。私たちは3月11日よりも前のこの場所に戻して下さいって言ってるだけなんです」

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