sKenjiさんの「放射性物質が流入する東京湾」という記事に、先ほどコメントした内容に関連して、少し詳しく書かせていただきます。
たしかに、自分になじみのある場所で、高い放射線量が計測されたとなると、いても立ってもいられなくなるお気持ちは分かります。でも、だからこそ引っかかるんですよ、なんでこんなことを書くんだろうと。
いくら言い繕っても放射性物質が降下したのは事実
ひとつは原発事故の後、どれだけの放射性物質が降下したのかを推計する地図はすでに公表されています。その正確さに疑念を挟みうるかどうかということを抜きにしても、原発事故が起きてしまった被災県のみならず、極めて広い範囲に放射性物質が降下したことは、とても残念なことながら事実と考えるほかありません。
日本は山国です。ちょっと昔の教科書では約9割が山地と記載されていました。現在でもおそらく、地形が急峻な東北地方では7割から8割近くが山地なのではないかと推察します。山地に降下した放射性物質は、降雨とともに地表水に溶け出していきます。やがて山間地の沢から、より流れの大きな河川へと集約されていって、いずれは川の本流へ、そして時を経ずして河口へと流れ下ります。流れ下って行った先の川の水や泥が放射能汚染を免れることはないでしょう。認めることすら心苦しいことながら、これは自明というほかありません。
事実、事故直後から関東県の下水道の汚泥の放射線量の高さは問題にされていました。川のみならず下水道を下っていった放射性物質が、河口部や湾内を汚染することは、原発事故の当初から懸念されてきたわけです。
2014年(今年ですよ、今年)でも、3000を越えるセシウム合計量(セシウムだけですよ)が関東東部の下水処理場の汚泥で計測されています。事故原発に近い地域では、一桁上がるのみならず、環境省の基準値を越える数値も記録されています。
雨水と汚水を一緒に処理している地域が多い首都圏の下水道、つまり人工的な河川における、これがその現実なのです。
いくら国際機関提唱の数値に準拠しても、人類が初めて経験する放射能汚染に対するカルテは書けない
原発事故以前には1ミリシーベルト(1mSv)だった基準が、国際基準の上限値を名目にいつしか20倍に引き上げられたこの国では、放射能被曝の健康に与える影響についての明確な基準は、これも極めて残念なことながら、なし崩し的な現状値と法定された過去の値の二種類が併存する状態が続いています。
シーベルトとベクレルは、単位の基準となる対象そのものが違うので比較はできませんが、国際的にはかなり甘いとされる日本の食品の基準値100ベクレル(1キロ当たり)という数値が、やはり甘すぎるとの批判があるIAEAの1キロ当たり100ベクレルと符合していることに疑問を呈するメディアは残念ながらありません。(この辺は、語り口が固くなってしまうのは、思いの震えからきています)
sKenjiさんは記事の中で「IAEA(国際原子力機関)の安全指針では100ベクレル/kg以上の放射性廃棄物は特別に管理することになっているそうである」と、どこか他人事のように記されていますが、日本が口にする食物の多くのジャンルで国家的に定められた基準は、まさにその100ベクレル/kg以下なのです。
これが、はなはだ残念ながら、申し訳ないけど現実なんです。
低線量被曝の人体への影響は「分かっていません」
放射能の人体への影響を測定できたのは広島と長崎の原爆投下後の状況が、(とってもきつい言い方ですが)有意なサンプルを得られた唯一のものであり、その際に確認された放射線障害の多くは急性、あるいは数年というタイムスパンで死を招くような短期的な慢性放射線障害であり、より低い線量を被曝した場合に数年、10数年後にどんな影響が現れるのかということについての、科学的裏付けをいまだに得られていません。
事実を端的に表現するなら「分かっていない」というのが実情です。
いまここで書いているような低線量被曝の影響は分からないという表明は、これまでにも多くの場所で行われてきました。そして、残念ながらそれに対して納得ができる反論は得られていません。
これもまたもう一つの現実です。
ケンカ腰ではない、論の突き合せを
私のような他所者であっても、福島で農業を続けている人、水産関係の人たち、地元の一次産業をベースに「放射能に負けない活動」をずっとずっと続けてきた人たちの話を聞いて、なんでこんな立派な人たちが言われない苦しみに直面しなければならないのかと思います。正直、そう思っています。
でも、じゃあ、その人たちが作ったり獲ってきたりしたもの、お前の子に喰わせれるかって言われたら、放射能ゼロの米づくりをずっと続けてきた知人たちが作ったお米を食べさせてもらうくらいしかできないかもしれません。直接顔を知ってる人が、たとえば「5ベクレルまで計ったけど検出されなかったよ」と言ってくれるようなものしか口に出来ないかもしれない。
本当に申し訳ないのだけれど、ゴメンって言いながら。引き裂かれながら。
いったいどうしたらいいのか、答えが見つからない。それが原発事故の被災県のみならず、この国の海や田んぼや畑、そして山、水の現実だと思うのです。
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