陸前高田の町なかに、今年初めて雪らしい雪が積もった朝、久しぶりに一本松に行ってみた。積雪は日が昇るにつれてどんどん融けていき一本松への道はシャーベット状のぬかるみ道になった。
それでも、べちょべちょの雪の上には足跡がついていた。寒くても、雪が降っても、雪がぬかるんでも一本松を訪れる人がいることは、一本松への否定的な意見を紹介した後だけに少し複雑であり、しかし感慨深くもあった。
しばらくぶりに来てみると、一本松茶屋から一本松に向かうルートが一部変更されていた。一本松よりも気仙川の上流側に架かっていた希望のかけ橋が解体されたために、ルート変更になったらしい。
国道45号線に並行して気仙川の土手まで行き、河口に向けて南下する通路は、3年くらい前のルートに近い。3年ほど前には深く考えたことはなかったが、一本松をやや西寄りから見ることができる。
それでもやはり、陸から見ても、建設機械や高い堤防に囲まれた一本松には、生気といったものが感じられない。地元の人から色々な話を聞いたせいもあるのだろうが、無機質な印象すら覚える。
一本松の周りには人影はなかったが、見上げる松の梢、というか避雷針の付け根辺りに掛けられた鳥の巣が、以前より立派になったようだ。上空を旋回するトンビの巣か、それとも光り物が好きといわれるカラスの巣なのか。
無機的なモニュメントという目で見上げた松に鳥の巣が掛けられていたは、新鮮な感じだった。たとえ人工的な物体に過ぎなくても、そこで生命が育まれている。夏にも鳥の巣があるのは見ていたが、すっかり忘れていた。もっとも、カラスやトンビでは一般受けはしないかもしれないが。
一本松からの帰り道、カメラを携えたカップルとすれ違った。コートを重ね着していたからきっと地元の人ではないだろう。
さらに国道のぬかるむ歩道では男性2人連れともすれ違った。
着ているもののセンスからして地元の人ではなさそうだ。なんて言うと陸前高田の人に叱られそうだが。
雪が降っても、雪が融けてシャーベット状のぬかるみ道になっても、外から多くの人が来てくれることは率直にありがたいことだと思う。
しかし、一本松に対して地元の人の中には否定的な人が少なくないのも事実。
雪が積もった日の一本松は、いつもに増して孤独そうに見えた。
よじるような幹の形が苦悩しているように思えた。
町の人たちが語る否定的な意見を耳にした上で眺めた奇跡の一本松は、何と形容すればいいのか、途方もなく難解な存在だった。その姿が醸し出す孤独が、より深まって見えた。
きわめて俗物的。そしてきわめて哲学的な存在。
雪の朝の一本松を見に行った後、もう1人、「オレは一本松を見たことがないんだな」という地元の人と出会った。震災前、高田松原がまだあったころ、松原は市の観光資源だといわれていた。松原近くにつくられた道の駅の利用者は、おそらく半分は市外からの観光客だろうと地元の人は思っていた。
「しかし、震災の後になって聞いたんだけど、お客さんの9割が地元の人だったんだって。驚いたよ。観光で町の経済を潤すってのはそれだけ大変なことなんだ。一本松があったって、その経済効果はあんまり期待できないだろう。それより、地元の人がお客さんとして来てくれるような町をつくる方が現実的だ。しかし、実際にはそうなっていないんだよなあ」
一本松のモニュメントのおかげで陸前高田を訪れる人は間違いなく増えた。その観光客をいかに町なかに引き入れるかが問題だと思っていたのだが、観光客相手で売上げが上がるのは飲食かお土産品くらい。日常的な買い回り品の商売が上向きになることは考えにくい。
だからといって、人口を増やせばいいんだという単純な問題ではない。実際にはどんどん人が減っているのだから。隣の町からお客を奪うくらいの魅力ある何かをつくるか、あるいは町の経済の縮小に合わせて損をしない商売を目指すのか——。
一本松の孤独がいっそう深まって感じられる話だった。しかし、それはモニュメント云々の話ではなく被災地の現実そのもの。そして、被災地のみならず日本中の多くの地域に共通する困難であることは間違いない。
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