海から見た一本松

iRyota25

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被災から復興に向かう町の姿を海から見ると、地上から見たのとはまったく異なる光景を目にすることができる。気仙沼や山田でそのことを学んだが、陸前高田の「奇跡の一本松」の場合、海の方から見てみたいと思うことにもうひとつ別の理由があった。

それは、一本松が立っている場所によるものだ。奇跡の一本松はかつての高田町の市街地から南に向かって、海に開けた高田松原の海岸沿いにある(所在地の地名は気仙町)。防潮堤工事が行われている現在、一本松をかつての町の反対側、つまり南側(海側)から見ることはほとんど不可能。つまり、いつも逆光状態で見上げるしかなかった。

海の方からなら、日の光を浴びた一本松の姿を見ることができるから、これまで見慣れた一本松とは違った表情が撮影できるかもしれない。とはいえこの地ではまだ漁師さんの知り合いはほとんどいない。工事関係者が「広田湾(高田松原も面していた海)は波が高く、うねりも大きい」というのを聞くにつけ、無理かなあと諦めかけていた頃、山田と同じように南側の海岸線から見ることができないだろうかと、ようやく思い至って、高田松原の南、長部(おさべ)の漁港の岸壁から撮影したのが次の写真。

朝の日差しの中、奇跡の一本松がキラキラ輝いている様子を期待してカメラを向けた時、覗き込んだファインダーの中に現れたのは、はるかに巨大なクレーンの列に囲まれるようにして、細々と立っている一本松の姿だった。

一本松がどこにあるか分かりますか? と質問したくなるような、ちょっと情けない一本松の姿。一本松茶屋の駐車場、陸地側からたくさんの人たちが続々と、まるで神社に参拝に行くように歩いて行く先に聳える一本松とはまったく違う印象だった。

松の木の左に見える水門を撤去する工事のために設置しているのか、赤錆色の鉄板を打ち込むクレーンの群れに囲まれて、小さく見える松の姿は、彼もまた建設機械や防潮堤と同じ、人の手によるものの1つの構造物のように見えてくる。自分にはそう思えた。事実、一本松は震災後に枯死してしまい、現在のものは一旦バラバラにされた後に化学的な処理を施された上で組み立てられた構造物なのだから。

シンボル。しかし、いまや生きている松の木ではない、人工的なモニュメント。

広田湾の海面の向こうに見える松の木のいまの姿には、その現実が写し出されてしまったようにしか思えなかった。あからさまな姿を順光の元に晒すより、逆光に聳える松をとの演出もあっての現在の動線の設定なのかもなあと、明らかにうがち過ぎなことまで思ってしまった。それくらい、海からの一本松は小さかった。

長部から気仙大橋(現在もまだ仮橋)への道の途中に、奇跡の一本松がまだかろうじて生きていた頃の写真がデカデカと掲示されている。

海越しに見たその姿と、国道沿いのパネルを目にして、思い出さずにはいられなかった言葉がある。それは、「一本松は恥を知れ」という厳しい言葉。陸前高田で長く商売を続けてきて、新しい中心市街地への出店も予定している、いわば町の顔役といった人たちの言葉だった。(つづく)

一本松に「恥を知れ」と言い放つこころ
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陸前高田の新しい町への動きを目の当たりにできる場所
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