【シリーズ・この人に聞く!第130回】母親の育児ストレスや育児不安の研究に取り組む第一人者 大日向雅美さん

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『母性の研究』(博士論文)から30年。『母性愛神話の罠』から15年。子育て支援活動の実践にもかかわってきた大日向雅美さんに「三歳児神話」「母性愛神話」の「いま」と子育ての「未来」を語って頂きます。

大日向 雅美(おおひなた まさみ)

1950年生まれ。現在、恵泉女学園大学学長。
お茶の水女子大学卒業。同大学院修士課程修了。東京都立大学大学院博士課程満期退学。学術博士(お茶の水女子大学)。
1970年代初めのコインロッカー・ベビー事件を契機に、母親の育児ストレスや育児不安の研究に取り組む。2003年よりNPO法人あい・ぽーとステーション代表理事、子育てひろば「あい・ぽーと」施設長として、社会や地域で子育てを支える活動に従事。内閣府:社会保障制度改革推進会議委員、子ども・子育て会議委員、厚生労働省:社会保障審議会委員等も務める。
主な著書に、『子育てと出会うとき』(NHKブックス)、『「子育て支援が親をダメにする」なんて言わせない』(岩波書店)、『「人生案内」孫は来てよし、帰ってよし」(東京堂出版)、『おひさまのようなママでいて』(幻冬舎)、『人生案内にみる女性の生き方~母娘関係』(日本評論社)ほか多数。

 大日向 雅美の研究室
www5a.biglobe.ne.jp  

70年代から40年経っても、二世代で苦しむ母。

――大日向先生は70年代初めにコインロッカーに赤ちゃんを置き去りにする事件があった頃から、母性の研究をされています。この40年間の母親の変化をどう見てらっしゃいますか?

恵泉女学園大学HPの学長Blogは毎週月曜日更新。

恵泉女学園大学HPの学長Blogは毎週月曜日更新。

「学長の部屋」という大学HPのBlogで毎週月曜日に更新をしていますが、ちょうど昨日書いたのが「女性の人生、何も変わっていない」というものです。私の研究は、70年代初頭のコインロッカー・ベビー事件をきっかけにスタートしました。母親がわが子を殺めるという事実に大変衝撃を受けましたが、他方で母親であればだれもが完ぺきな子育てができるはずなのに…という母性観にも怖さを覚えました。いろいろな事情があるにもかかわらず、子育てに挫折してしまった女性たちを一方的に「鬼のような母」「母親失格」と断罪する当時の風潮にとても違和感を覚えたのです。全国各地をまわって、母親六千人ほどにヒアリングをした結果、そうした母性観にどれほど苦しんでいるかを痛感しました。そこから「母性愛神話からの解放」を訴えることが私のライフワークとなりましたが、母性愛への信奉が強い当時の社会からさまざまなバッシングも受けました。その時代と比べると、今は女性の活躍促進や子育て支援の必要性が高らかにうたわれています。世の中のベクトルは確かに良い方向に向かっていると思いたいですね。でも、母親たち、女性たちの生活の実態を見つめてみると、残念ながらまださほど変わっていないことも事実です。

――母親に変化がないとされるのは、どういう点でしょう?

先日、ある講演会で最前列に座って熱心に話を聞かれていた若いお母さんが「私の人生、こんなはずではなかった…」と涙ながらに言われました。「結婚、子育てで自分の人生が変わってしまった。何も変わらない夫の生活を見ているとうらやましい。でもこんなふうに思う私は母親に向いていない。自己嫌悪の日々です」というのです。これは40年前の母たちが感じてきたことそのままです。つまり親子二世代に渡って変わっていないわけです。

――母親失格と自分を責めてしまうのですね。年々、子育て支援が強化されていますが、環境が整備されてもそうなのでしょうか?

母親となった以上、母親以外の自分は切り捨てなくてはならない。いつでも子どものことを考え、子どものそばにいなくてはならないと自分で自分を縛ってしまっています。働いているのでなく、専業主婦で自分の時間が欲しいなどと言ってはいけないのではないか…と考える女性が、まだたくさんいます。70年代は子育て支援などなかったけれど、今は全国各地で支援があります。にもかかわらず支援を受けるのは贅沢ではないか?などと思ってしまう。子どもを愛することは大切です。でも、そのためにも自分を大切にしてほしい。今こそ女性が自分の人生にキャスティングボードを握る時です。「自分の人生こんなはずではなかった」と悲痛な叫びをあげている声に耳を傾け、解決を模索することが、真の女性の活躍を願うことなのだと思います。

――先生が学長を務める恵泉女学園大学では女性の「生涯就業力」を唄われています。具体的にこれはどういうことを訴求されているのでしょう?

大学を卒業する時点での就職も大切ですが、これからは社会変動の大きい時代に突入します。生涯にわたって何があってもめげずに社会にかかわり、精神的経済的な自立を心がけて自分を磨き続ける力が必要です。特に女性の人生は男性に比べて、けっして一本道ではありません。結婚や子育てがあり、夫の転勤があれば仕事を中断せざるを得ない。子育てが一段落すれば介護も。人生二転三転しても自分の人生は自分で見捨てずに、自分を磨き続ける力を「生涯就業力」と呼んで、そのための力を身につけることを大学の学びとして大切にいます。

絵日記に7月43日と書く、天真爛漫な少女時代。

――大日向先生は幼い頃から、お勉強を熱心になさっていたのでしょうか?

2003年9月にオープンした子育てひろば「あい・ぽーと」は旧港区立青葉幼稚園の施設を活用した子育て支援施設。

2003年9月にオープンした子育てひろば「あい・ぽーと」は旧港区立青葉幼稚園の施設を活用した子育て支援施設。

学校の先生方に「こんなに天真爛漫な子がいるとは!」と驚かれていたようです。とても可愛がってもらえた環境で育ちました。家庭では末っ子で、両親や祖母に溺愛されていました。2つ違いの姉がいますが、姉は超優等生。容姿端麗で何でもできた姉でしたから、両親の期待を一身に集めていました。一方の私は、「ただいるだけていい」存在だったようです。私を出産した時に母が病気を患っていて、生まれた私も「この子は残念ですが、育たない」と医師から言われたそうです。ですから両親にとって私は、生きていてくれるだけでありがたい存在だったと、よく言っていました。小さい頃は体も弱くて、学校もしょっちゅう休んでいましたが、それで叱られたり、いけない子と言われたこともなくて。期待をされない気楽さが、天真爛漫となったのではないかと思います。

――今、健康そのものでいらっしゃるからビックリです。学校生活はいかがでしたか?

理由を問わずお預かりする一時保育事業「あおば」。

理由を問わずお預かりする一時保育事業「あおば」。

姉が優秀でしたので、両親も教育のし甲斐があったのだと思います。例えば夏休みの宿題にしても親が夢中で関わって、いつも姉は賞を頂いていたのですが、私はまったく放置されていましたの(笑)。でも小学1年生の時の絵日記で校長先生の特別賞を頂いたことがありました。「これは絶対に親の手が入っていない」という理由で。なぜなら7月43日まで日付があったんですね。7月が31日で終わるって知らなかったんです。お盆の頃に祖母たちが「もう8月だから」とか話しているのを聞いて、翌日の絵日記を7月43日(笑)に書いたことは覚えています。そして、そのまま学校に提出してしまって。のんきでしたね。

――素敵なエピソードです。優秀なお姉様とは仲良し姉妹でいらしたのですね?

大好きで、憧れの存在でしたから、姉の言うことはなんでも聞いていました。まじめな姉でしたが、ときどきちょっとしたいたずらもして。小学校5年生の時、全国模試で一番という成績をとったのですが、その発表を一緒に見に行ってくれた姉が、「帰ったら母に『ビリだった』と言ってみよう」と言うんですね。その通りに母に伝えたところ、母の最初の反応が「まぁ!やっぱりね」。本当に期待されていなかったんですね(笑)。

――お姉さまなりに嫉妬心があったのかもしれませんね。公立小学校を経て私立中学へ受験をされたのは当時珍しかったのでは?

姉が通っていた中学を受験しました。当時、倍率20数倍という私立中学でしたが、学校の先生も塾の先生も合格まちがいなしなんて言っていたので、姉と一緒に通学できることを夢に見ていました。でもね、私、落ちてしまったんです。当時は学力試験の他に面接もありまして、「描画」のテストで、張り子の虎を書かされたんですよ。当時は絵が大好きでルンルンで書いていたら、「この子の絵は余白がない!」という試験官の声が上から聞こえて。確かに紙いっぱいに描いていて、トラのしっぽがはみ出してました。また、面接で趣味を聞かれたら「読書」「伝記」と答えるのが当時のスタンダードだったのですが、前日、シャーロック・ホームズを読みふけっていたものですから、「推理小説。犯人はね…」と元気よく答えてしまって(笑)。それが原因ではないと思いますが、不合格でした。泣きました。行くところがなくて。その時、新設3年目のカリタス女子中学校を紹介して下さる方がいらして、あわてて受験して。でも、カリタスは本当にいい学校でした。先生方が教育に燃えていらして、生徒一人ひとりを本当に大切にしてくださいました。おかげで伸び伸びと楽しく、中学高校生活を送ることができました。

子育て支援は地域支援。

――子育てひろば「あい・ぽーと」青山の他に、「あい・ぽーと」麹町をおつくりになり、そこでシニア男性が運営する「カフェ」を誕生されました。この試みもユニークですね。

つどいのひろば「ひだまり」ではわからないこと困ったこと何でも相談できる。

つどいのひろば「ひだまり」ではわからないこと困ったこと何でも相談できる。

私が関わっているNPOの子育て支援活動のコンセプトは「子育て支援は親支援」であり、老若男女共同参画で地域の育児力の向上を目指そうというものです。そのために地域の「子育て・家族支援者」の養成を始めて10年です。すでに港区・千代田区・浦安市・戸田市・高浜市で1600人を越える支援者が誕生して、地域の子育て支援に活躍して下さっています。そのほとんどは女性だったのですが、4年前に団塊世代男性を対象とした人材養成(子育て・まちづくりプロデューサー:愛称まちプロさん)を始めました。「現役時代の名刺で勝負!」とうたって。団塊世代の男性たちは高度経済成長を築き、低成長期の厳しい国際競争を生き抜いてきた方々です。それなのに定年後は家庭でも地域でも居場所がなくて。もったいないです。企業人・組織人として培ってきたスキルを今度は地域に活かしてほしいと願っての企画でした。キックオフフォーラムを六本木ヒルズで行いましたが、「現役時代の名刺で勝負!」が胸に響いたとのことで、全国各地から350名余り集まりました。現役時代の名刺で勝負といっても、肩書人間はいけませんね。子育てや地域活動の経験もない人がほとんどです。ですから3カ月近くにわたって、子育てや地域活動について厳しい(笑)講座もしっかり受けていただきました。最終的に55名が『まちプロ』の認定を取得されました。その後、講座は今4期まで続いています。その方たちが青山の子育てひろば等で、一時保育や読み聞かせ、バックオフィス的なお仕事などして下さっています。この10月に麹町のひろばがオープンすることを契機に、親子や近隣の方々にコーヒーやスコーンを提供する「カフェ」も始めました。これまで女性と子どもだけだった子育てひろばや地域に『まちプロ』さんと呼ばれる団塊世代の男性に加わってもらったことで、新たな風が吹いています。この『まちプロ』の養成事業は、住友生命の「未来を強くする子育てプロジェクト」の助成事業です。企業とNPOの協働から新たな地域の関係性がうまれています。

――世代も性別も越えて、子育て支え合いのモデルケースですね。情報発信地となりそうです。

私が「母性愛神話からの解放」を訴えていた先に2つ実現したいことがありました。一つは、母親たちが孤独な子育てから解放される「子育てひろば」を作りたいという思い。そこで活躍する中高年の支援者にとっては、地域貢献の場となることでもありました。もう一つは、国や自治体の施策に関わって新しい制度を作っていくこと。この2つが博士論文の『母性の研究』、そして『母性愛神話の罠』で問うた答えです。

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