【シリーズ・この人に聞く!第122回】ヴァイオリニスト高木凜々子さん

kodonara

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キュートな容貌と素晴らしい演奏力で注目を集める若干19歳のヴァイオリン奏者。音楽家の両親をもつ、生粋のサラブレッドとしてお育ちになった家庭環境。
世界へ羽ばたくことを夢見てレッスンに励む日々。3.11には地元・横浜で被災者応援企画のミニコンサートも開催します。バイオリニストのお母様と同じ道へ進んだ凜々子さんに、演奏家としての苦悩と喜びをお聞きしました。

高木 凜々子(たかぎ りりこ)

3歳よりヴァイオリンを始める。小学生時代より数々のコンクールに出場し、受賞歴多数。2012年夏オーストリアで開催されたオスト・ヴェスト・ミュージックフェスト音楽祭主催ベートーヴェン国際コンクール第1位。2014年イタリアで開催された第1回ユーロアジア国際音楽コンクールin Italy第1位。2015年第1回ユーロアジア国際音楽コンクールin Tokyo 第1位 第9回ハノーファー国際ヴァイオリンコンクール セミファイナリスト。現在 清水髙師氏に師事。東京藝術大学在学中。

 高木凛々子(@RirikoTakagi)さん | Twitter
twitter.com  

楽譜からではなく、耳から聴いて覚えた音。

――3歳からヴァイオリンを始めたとか。小さな頃から音楽家のご両親が演奏をされる姿を見てお育ちになったから、ヴァイオリンを弾くことは自然なことでしたか?

3歳の時、初めての発表会にて。

3歳の時、初めての発表会にて。

本物のヴァイオリンではなく真似ごとのような感じでした。自分では覚えていませんが、自分からヴァイオリンをやりたい!と言っていたそうです。小学校低学年の頃は、なんでこんなにやらされているんだろう?と先生に対して反発心がありましたが、この時期がなければ今の自分はありません。3歳から根気強く教えてくださった先生にとても感謝しています。

――ヴァイオリニストのお母様(井上雅美さん)の影響は大きかったですか?

母は私を出産後すぐに仕事に戻り演奏活動を再開したので家で練習する姿を間近に見て育ちました。私は活動的な子どもだったそうです。座って弾くピアノは不向きで多少動きまわっても弾けるヴァイオリンなら向いているかも…と考えた両親が本物のヴァイオリンを与えてくれたのが3歳です。

――お母様ではなく、別の先生について指導して頂いたのですね?

はい、そうです。小さな子どもをたくさん指導されていた先生でしたので、どこで子どもがつまずくかを把握されていらしたのですが、私は特につまずくことなくスムースに進めました。忙しくしていた母は、特に私の英才教育には熱心ではありませんでした(笑)。楽譜を読む教育はあまり受けず、耳から聴いて演奏できるような教育を受けました。実は小学3年生頃まで楽譜があまり読めませんでした。

――すごい!耳コピーですね。楽譜読めなくても演奏ができるのは素晴らしいです。練習以外ではどんな音楽を聴いていましたか?

特に意識して特別な音楽は聴いていません。むしろ幼児番組の「みんなのうた」とか観て育ちました。その頃の祖母はオペラが好きで、無理やり見せられたりしていました。でもそれを観てから練習すると何だかうまくなっている気がして…影響大でした。

練習が辛くて校庭で過ごした小学校時代。

――小学校時代からコンクールに出場なさるようになって、毎日ヴァイオリンのレッスンでしたか?

中学校時代に教室で演奏を披露。

中学校時代に教室で演奏を披露。

練習が嫌だから校庭で遊ぼう!となって、友達と日が暮れるまでウンテイでずっと遊んでいたこともあります(笑)。基本的に週1レッスンでしたが、小4からあるコンクールに毎年出るようになって、朝2時間夜2時間レッスンに行く日もありました。練習が辛くて厳しい先生を恨んだこともありましたが、今の自分があるのはその時のおかげです。その先生には3歳から小学6年生の頃までお世話になりました。4年生からはより専門的な先生にも習い始めました。

――小学校も中学校も近隣の公立へ通われたのですよね?意思が強くないと、音楽を続けてこられなかったのでは?

私が通っていた公立中学校の出身者は世界で活躍するピアニストやTVで話題のお笑い芸人さんがいたり、先生方も理解があって良い環境でした。小4から桐朋の音楽スクールに毎週土曜日通っていて、その時からレッスンしてくださった先生に中学2年生までお世話になりました。小4から小6の2年間は二人の先生にレッスンを受けていたことになります。中学2年生の途中からはさらに別の先生に習うことになり、母の出身校である芸高(東京芸術大学付属高等学校)に合格しました。それが現在の師匠です。

――お母様も公立中学から芸高へ進学され、親子で難関突破というのもすごいことですね。どんな試験をクリアしたのですか?そのために通っていた習い事とは?

一次、二次とヴァイオリンの実技があり、そこでかなり絞られます。三次でようやく3教科試験と音楽科目、ピアノの実技です。芸大に合格するより芸高に入学するのは、かなり競争率が高いのです。小学生時代から他の子に比べて何だか習い事が多いな~と薄々感じてはいました(笑)。ヴァイオリン、ピアノ、音楽専門科目である楽典やソルフェージュ、受験には関係ありませんが祖母が先生をしているお習字教室へも。

――めでたく芸高に通うようになってからは、ヴァイオリンとの距離はどうなりましたか?

まず、通学時間が掛かるので時間のやりくりが大変でした。練習時間をどう確保するか?で高校3年間鍛えられました。大学生になって自分で授業を選択履修できるようになって「世の中楽しいなぁ~!」と思えるように(笑)。芸高は40名ずっと一緒の3年間を過ごすので濃い人間関係。音楽だけでなく、友達関係もうまくやらないと。芸高でも芸大でも、入ってからも上達に差が出ます。私は絶対うまくなりたい!という思いで、さらに練習を重ねるようになりました。母からは「若いうちは力を伸ばせるだけ伸ばして!」と言われています。

海外のメジャーコンクール出場を胸に。

――経歴を拝見すると19歳でありながら、たくさん世界のコンクールに出場されていますね?ちなみにアルバイトはしていますの?

昨年ハノーファーでのコンクールにて。

昨年ハノーファーでのコンクールにて。

演奏活動によってギャランティーを頂く…というのはたまーにありますが、演奏には無関係のアルバイトはしていません。演奏と関係のない時間を過ごすなら、その分を練習時間にあてなさいと両親から言われています。

――演奏で届けたいオリジナリティってどんなことでしょう?そして4年後のオリンピックイヤーは、どうしていたいですか?

何も感じられない音を奏でたくない。一つひとつの音に生気を感じられるようになれたら。『音はうそをつかない』と言います。その人と也が出るのでしょうね。4年後は海外の国際コンクールに出場して良い結果を残していたいです。自分の名前を広めて、演奏をひとりでも多くの方に聴いてほしい。それができていたら最高ですね。応援してくれている母からは「凜々子の音色は明るい。幸せそうだね」と言われます。

――3.11東北大震災から5年経ちます。今回凜々子ちゃんに被災者応援企画のバザールでミニコンサートを行って頂きます。あの日の記憶…どんなこと覚えていますか?

両親が仕事で不在、家に一人でいました。4階のわが家がものすごく長く揺れて、怖くて猫を抱えて机の下にもぐりました。テレビをつけると見たこともない恐ろしい津波が映ってビックリして不安なまま過ごしました。その後、大手新聞社主催する被災地支援のためのプロの音楽家によるオーケストラに中3時に最年少で参加しました。今年も参加します。演奏が少しでも癒しにつながり、被災者応援のご寄付につながればと願っています。

――では最後に、お子さんにヴァイオリンの習い事をさせている親御さんへ、凜々子ちゃんからアドバイスをお願いします。

強制せずに、自由にやらせてみてほしい。そこで本人がどれだけがんばれるか?です。お母さんがワァ~ってなったらおしまいで、それだとうまく育たない。うちの母のようにいい距離感をもって放っておかれるといいのかな。お世話になったヴァイオリンの先生方にビシビシ厳しくされ、レッスンが辛いと思ったことはありますが、今があるのは全部そういう厳しさを乗り切ることができたからだと思っています。心のなかで『ヴァイオリンは続けたい』という思いが常にあります。そういう気持ちが、成長の支えだと感じています。

編集後記

――ありがとうございました! さながらアイドルみたいにかわいらしい凜々子ちゃん。ヴァイオリニストのお母様に、プロの資質があると感じた点をお聞きしたら、「楽譜を読むのが速いからすぐ弾けるようになる。それもかなりハイレベルの演奏ができてしまう。プロになったら、譜読み、リハーサル、本番の連続で、どんどん演奏しないとならない。凜々子が仕事したらラクだろうなぁ~って(笑)」。やはり幼少期に楽譜からでなく耳から聴いて演奏できた積み重ねが、そのスキルを伸ばしたのかも。ヴァイオリンを弾くとぐっと大人っぽい表情の凜々子ちゃん。3.11バザールの演奏会ぜひいらしてください。

取材・文/マザール あべみちこ

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