華麗に舞う日本舞踊。歌舞伎と似て非なるその舞は、江戸時代後期から200年以上も続く伝統文化。舞台の華やかさを支える影で習い事や踊り以外の学びを続けてこられています。お弟子さんの総数3万人とのいわれる花柳流。その次期家元として指名されたのは弱冠20歳の青年。これから日本舞踊を通じて伝えたいこと、そして新たな取り組みをお聞きしてみました。
六代目 花柳 芳次郎(はなやぎ よしじろう)
日本舞踊花柳流の宗家家元4世花柳壽輔の孫。2歳から日本舞踊を始め、4歳の時に国立文楽劇場で初舞台を踏む。以後歌舞伎座や国立劇場を初めとする舞台に立って日本舞踊の道を歩み続け、2007年6月27日に祖父・5代目花柳芳次郎(後の4世花柳壽輔)から花柳芳次郎の名跡を継ぎ、六代目花柳芳次郎(ろくだいめ はなやぎ よしじろう)を歌舞伎座で襲名。同年から現代劇やCMなどへも出演を初め、活動の幅を広げる。
日本舞踊を世界に広めるべく日々精進している。
踊りの「間」を学ぶための習い事。
――現役の大学3年生でいらっしゃるのですが、このお若さで花柳流次期お家元として指名されました。まったくご存知ない方に少しその辺の経緯をお知らせ頂けますか?
花柳流は日本舞踊最大流派です。昨年12月のことですが、祖父の4代目寿輔から花柳流をまとめる立場として『踊りをやっていく覚悟はあるのか』と聞かれ、次期家元の話をされました。祖父は82歳で僕と62歳も年齢差があります。私の父は小学生まで日本舞踊をやっていましたが、中学で辞めてしまいました。代々受け継ぐことが当たり前のようなこの世界で、何故そのような道へ?という疑問を持ったこともありましたが、踊りには表現をするという芸術的要素があります。不本意に敷かれたレールのまま道を歩むよりも、堂々と自分のやりたい方向へ進み、その切り開いた道で成功した父のことも尊敬しています。
――芳次郎さんの場合、2歳から日本舞踊を習われていたと伺いましたが、そんなに小さな時代から?
2歳上に姉がおりまして、彼女も2歳から踊りを始めていました。私も2歳になっておそらく、自分だけ留守番するのが嫌で「踊りをやりたい!」と言ったのではないかと思います。小さな頃は特にきょうだいの真似ごとをしたくなるので、なんとなく姉のやっていることがしたかったのでしょう。その姉も東京芸術大学の音楽学部邦楽科 日本舞踊専攻を今年卒業し、二世花柳ツルとして日本舞踊を続けています。
――ごきょうだいで素晴らしいですね。でも幼稚園、小学校と上がっていくにつれて何か違いを感じられたことはございましたか?
幼稚園では特に何もありませんでしたが、小学生になると放課後友達と遊べないなぁ…と気づくようになりました。僕にはほぼ毎日何かしら習い事があり時間がなかったのでしょうね。でも日本舞踊をすることが当たり前だと思っていたので、周りの皆もそう受けとめていたと思います。特に、やめようと思ったことも無くずっと今まできました。
――踊ることが好きだからこそ…ですね。習い事は、何をされていらしたんですか?
日本舞踊は「間」が大切。その「間」を学ぶために三味線や長唄を習っていました。日本舞踊は生の演奏にあわせて踊るので、演奏する弾き手、唄い手の気持ちも知ることができればと。それから、体力作りのためにテニススクール、中学受験をするための進学塾へも通っていました。小5の頃、大阪や北海道などの公演で踊ることになって塾を休むことがあり、勉強に遅れをとってしまって……当初目指していた学校へは入れませんでしたが、進学した学校の方針が「目標を明確にし、それを現実に。」というのがモットーでしたので、私にとって日本舞踊と両立をすると言う面で、結果的に良かったのかもしれません。
初代実子の二代目と誕生日が一緒という偶然。
――同じお名前で代々続いてきた歴史がありますよね。そういう大きな流れの中で家元になるというプレッシャーはありませんか?
プレッシャーはないのですが、私の祖父である四代目と初代の家元の誕生日が110年差の3月22日で一緒なのと、私と二代目の家元の誕生日が99年差の10月3日というのが同じで、何か宿命のようなものを感じています。初代の月日は旧暦だと違うようなのですが、西暦に直すと祖父と同じで。初代と二代目は72歳の年齢差があります。私と四代目である祖父も62歳も年が離れています。初代は一代で振付師として花柳流を築き、私の祖父の四代目もまた、振り付け師として功績を残しています。 二代目はその年齢差ゆえ、若くして父である初代を亡くしましたが、初代の親戚の花柳ツルに面倒を見られ、花柳流を大流派へと成長させました。そしてここも偶然、僕の姉が二世花柳ツルとしてツルの名を継承しております。 二代目壽輔に親近感を持ってしまう理由は誕生日以外にそこにもあるのです。だからプレッシャーというよりも、自分の使命であるような感覚が強いですね。姉のツルと共に力を合わせて、花柳流を新たな世代、新たな世界へ広めてゆきたいと思います。
――日本舞踊の世界で最大の勢力を誇る花柳流として、この伝統文化をこれからどのように広めたいと思われますか?
日本の伝統的な舞踊である日本舞踊。それをもっと若い世代へ定着させたいです。日本舞踊の振りには、仕草や感情表現など昔ながらの日本人らしさ。というものが沢山詰まっているのですから。若い人が自分から日本舞踊をやってみたいなと思うような存在にしたいのと、海外へも日本舞踊を伝えていきたいと思っています。私は日本舞踊をやめたいと思ったことは一度もないのですが、公演をするということ、その必要性について、将来のことをふまえながら真剣に考えたことはあります。そんな折、2011年3月11日に大震災が発生しました。その後すぐ3月31日に国際フォーラムで大きな公演をすることになっていたのですが、中止にするかどうするか検討されていました。
――震災後は軒並みイベント中止や計画停電になったりいろいろ大変でしたよね。たくさんの興行が打撃を受けたのでは?
でも私は、こんな時だからこそ開催すべきだと提案しました。収益は被災地の復興支援金にして寄付をすれば少しでも役立てるのでは…と。3月に高校を卒業したばかりで、まだ3月31日は高校生最後の日でしたから、私にとっても特別な日。国際フォーラムの舞台に立ちたかったですし、東北地方にも花柳流の方は沢山いらっしゃるので、少しの間でも伝統芸能から気持ちを明るくしていただけたらなと。舞というものも、昔の娯楽の一つですからね。チャリティー舞踊会を開催した結果、五千人キャパの会場がほぼ満席。その時に舞台で思ったのが「演じている私が楽しいと思わなければ、観てくださっている方も楽しくない」ということです。エンターテイメントは観ている人に元気を与えるものだと思うので。開催できて本当によかったです。
――その時の公演で、あの坂東玉三郎さんと一緒に舞台に立たれたとか?
はい。私が出演したのは3幕あって「鶴亀」と「耳なし法一」と「石橋」。その中の「耳なし法一」でご一緒させていただきました。次期家元の指名を受けた時は、玉三郎さんから「責任重大だけど頑張って。大丈夫。」と激励して頂きました。玉三郎さんからそんなことを言っていただけるなんて幸せです。流派の方々からも「若いのに大変!」と理事さんをはじめ門弟の皆さんが温かく声をかけてくださいます。以前よりも踊りのこと、そして僕の知らない二代目の時代について話してくださるので、徐々に今まで通り自分のペースで目標を作り、やれることからやっていけたらなと思えるようになりました。
基本は継承しつつ、新しい創作へ意欲をもつ。
――日本舞踊のおもしろさはどんな点にあるのか、どうして日本舞踊を習おうとするのかぜひお聞かせください。
日本舞踊をやっている人は、大体お母さんやお婆ちゃんがやっていたから…という方が多い。家族で誰も日本舞踊に縁がなかったとしても、やりたいと思う人をもっと増やしていきたい。中学三年生で芳次郎を襲名した時に「せっかく家業を継ぐ立場におかれているのなら先祖が築いてくださった伝統は守り、なおかつ自分の色をつけ大きく成長させよう」と思いました。もちろん日本舞踊の古典は大事に継承しつつ、伝統に加えて創作や自分だからできることをプラスαしていくことにおもしろさも可能性もあるのです。私がこの先変えたいと思っているのは日本舞踊の何かというよりも、そういう内面的、意識面のようなところなのかもしれません。
――敷居の高さを感じさせない日本舞踊になるといいですね。外国のお客様を意識した取り組みは何かされていますか?
海外公演は無いわけではありません。ただ、アメリカ、ヨーロッパなど観劇文化が定着している国での公演がほとんどです。観に来てくださるお客様は日本に関わりのある方が多いのではないでしょうか。ただ公演を開催するだけですとお客様の裾野が広がらないので、現地の小中学生、その保護者向けに体験型ワークショップのようなものを企画していきたいと思っています。まずは着物を着てもらう、お扇子を持ってもらう…つまり日本の伝統文化に触れてもらえるだけでも良いのです。敷居が高いという固定観念を崩すことが大事で間口を広げたいですね。例えば、日本国内で言ったら英会話を習いに行こうという感覚で、日本舞踊も考えてもらいたいなと。
――中高時代の留学経験がおありだとお聞きしていますが、こうした思考に結びついているのでしょうか?
そうですね。僕は中2、高1の2回、数週間イギリスに短期留学を経験しました。異国で同年代のヨーロッパの友人が自国文化を紹介しているのをすごいなぁと。芸術に国境は無い。僕も世界に日本舞踊を紹介できるようになりたいとその時思いました。自国文化に興味があれば他国も知りたくなります。海外へ自国のことを伝えるのは、そういう相乗効果があります。例えば、日本舞踊の「間」は日本ならではの感覚ですが、海外では「カウント」という概念に置き換えれば伝わります。ちょっとバレエのようですが、イメージは理解しやすいはずです。
――現在早稲田大学人間科学部の3年生でいらっしゃいますが、現役大学生の日本舞踊家となると、就職活動をする他の学生とは少し違う立場ですが、これから何を学んで世の中に還元されたいとお考えですか?
将来、大学で得た知識をどのように日本舞踊という全く違った分野で役立てることができるのか、そんなことを考えています。たとえば私の学んでいる心理学や統計学、異文化間教育などの観点から、総合的に捉える視点がたいせつなのではと思っています。そういう意味で大学では踊りだけでは吸収できない何かを日々吸収しているのだと思います。それを上手く結びつけるというのがこれからの課題ですね。
それから、私は趣味のひとつにカメラがあります。今はライカのレンジファインダーカメラを使っているのですが、数十年前のライカと原理は一緒なのに、カメラについた画面で画像確認ができます。そしてフィルムではなくSDカードに撮影画像がメモリされます。それなのに、感触や重み、映し出される写真の味はしっかりと伝統を守っていて普通のデジカメと言われるものとはひと味違います。こんなふうに無駄に基本的な原理は変えず伝統は残しながら時代のニーズに…という点は、まさに私が目指すこれからの日本舞踊と共通しています。多趣味とよく言われますが、そういった趣味からも色々学ぶこともあるのだなと思いましたね。
2020年、日本には東京オリンピックという大きなイベントがあります。これは、日本の伝統文化の素晴らしさを世界にアピールするのにこの上ない最高の場であり、私にとってもチャンスだと思っています。間口を広めつつ、日本の若い世代、そして国境を越え日本舞踊を楽しんでもらえるよう努めていきたいです。
編集後記
――ありがとうございました!美しい芸を身につけていらっしゃるからか、物腰や言葉の端々から品の良さを窺い知ることができました。ふつうの大学三年生といえば就職活動を考える頃で敬語もあやしい若者が多い昨今ですが、芳次郎さんはどんな質問にもとまどうことなくゆっくり自分の言葉で正直に語ってくださいました。日本舞踊の奥深さと魅力をたくさんの方に伝えてゆく旗手として、これからを楽しみにしています。
取材・文/マザール あべみちこ
活動インフォメーション
最終更新: