【シリーズ・この人に聞く!第88回】パワーストーンも製造販売する大女占い師 池田弥加さん

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占い師というとちょっと敷居が高くて怪しげなイメージもありますが、今回ご紹介するいけのりさんは頭脳明晰、体育会系の快活さでありながらオシャレなイマふう女子。人相学占い、手相占いをはじめ数々の占いも取り入れてニーズによて占ってくれます。パワーストーンを「石ちゃん」と呼び、力を存分に引き出す石でアクセサリーを製造しネットで販売しています。この手法が新しく一躍売れっ子占い師として名を知られることに。4月下旬には新宿にサロンも開設。ますます大忙しの大女占い師。その素顔に迫ってみました。

池田 弥加

秋田県生まれ。一橋大学商学部卒業後、大手セキュリティ会社へ入社。その後、楽天へ中途入社。仕事をこよなく愛する女子として休暇もろくに取らず働き続けているうちに過労で2度ダウン。それをきっかけに自分自身の内面を見つめるようになり「占い」を勉強し始める。占い師として独立して1年3ヵ月だがパワーストーン・アクセサリー販売も好調。

 株式会社青山ストーンラボ | 占い師いけのりの占い・パワーストーン・人生相談・温熱事業
ikenori.com  

病弱な幼少期を経て運動部で鍛え上げた心身。

――第一印象がめっちゃ背が高くてスレンダーな美人さん!しかも経歴を拝見するとめちゃくちゃ優秀でいらっしゃる。きょうは幼少期のお話から、なぜ占い師として独立することになったかを詳しくお聞かせください。まず秋田県で生まれ育った頃のお話しをお願いします。

3歳の時、七五三で撮影。幼少期は喘息がひどく入院したことも数知れず。

3歳の時、七五三で撮影。幼少期は喘息がひどく入院したことも数知れず。

秋田県で旅館を経営する両親のもとで育ちました。山があって小さな頃は野山が遊び場。実は幼少期は喘息が酷くて入院するほど悪化したことも。ところが喘息対策のために5歳から水泳を始めたら改善の一途をたどり、これは高校生まで続けました。中学、高校で陸上、テニス、山岳部と運動部にばかり所属。山岳部では女子キャプテンも務めて、国体の強化選手として参戦しました。体力以外に天気図を描くなど山の知識の勉強も必要でした。

――勉強することが苦にならないタイプでうらやましいです!習い事は水泳の他何かされていましたか?

ピアノを幼稚園年長から高校生まで続けていたのと、とにかく絵を描くのが好きで絵画教室に週1回通っていました。小学生でもアクティブに動いていたので結構忙しくて部屋にいない子どもでした。親から「勉強しなさい」といわれたことはありませんでしたね。うちは旅館を経営していたのでいつも大人に囲まれて育って、そのコミュニケーション能力が今の土台になっているように思います。

――習い事3つともやめずに長く続けられたというのは素晴らしいですね。探究心?集中力?続けるにはどんな秘訣があるのでしょうか?

いえ(笑)、5歳上の姉が先にやっていたことを「私もやりたい!」という憧れから軽く始めたものばかりです。でもそうしていい道筋へ導いてもらえたのは本当にありがたいです。ピアノは発表会の時に大きな花束をもらっているのを見て「あんな花束をもらいたい!」という動機で始めました。でも始めたことを途中で辞めるのが何となく嫌だったというのはあります。指導してくれる先生がとてもいい方だったというのもあります。

――そうした勉強する意欲は今の仕事にいきている気がしますよ。

頭がいいのではなくてガリ勉なんです(笑)。知りたいことは研究熱心なので。私にとっては幼少期に自然に囲まれて育ったことが大事なベース。都会の子は皆ボーイスカウトに入ったほうがいい!とすら思います。

スーパー・サラリーウーマンが健康を損ねて目覚める。

――そもそも一橋大学を卒業されて、はじめはどんなお仕事をされていらしたのですか?

パワーストーンのアクセサリーは一つひとつ念を込めて製造。「いいことがありました!」という報告があるのが一番うれしい。

パワーストーンのアクセサリーは一つひとつ念を込めて製造。「いいことがありました!」という報告があるのが一番うれしい。

大学卒業後は大手のセキュリティ会社へ採用されて勤務しました。所属先の希望はWEBの仕事でしたが、配属されたのは希望に反して系列子会社にあたる損保の仕事。定期的にテストがあってそれをクリアすれば資格がもらえて次のステップへ進める…という仕組みで、上司からも期待をかけられ、私自身もガリ勉魂が燃えて(笑)しっかり目標を達成しながら成績を収めていました。企画を提案して形になっても…何かが満たされない。そんなある日、いつも買い物で使っているネットショッピングの楽天で「採用について」という項目を見つけて、もともとWEBの仕事がしたかったものですから即エントリー。そうしたら2週間くらいのうちに連絡があってトントン拍子に話が進んで転職することになりました。

――ある意味、冒険ですよね。きっと何でもお出来になるのでしょうけれど、楽天に移ってからはどんなお仕事を?

WEBコンテンツのディレクションを担当していました。やればやるほど仕事が減るどころか増えるんです(笑)。それである時、過労で倒れてしまいました。一度目はまだしも二度目に倒れた時はさすがに周りも心配してくれて、2週間有給でお休みしていいからとにかく休んで…ということで。そんなこともあってずっと同じことは続けられないなぁと思うようになって、もともと興味のあった占いの勉強を独学でするようになりました。手始めは本屋さんで見つけた書籍です。ある先生が書かれた本がとてもおもしろくてさっそくコンタクトを取りました。すると年齢的に引退をされていたようで「他の先生を紹介します」と天童春樹さんという先生につないでくださいました。

――お聞きしていると行動力があるし、求めている方へご自身を進ませている気がします!

紹介された天童先生は普段は高知へ講座を開催されているようですが、月1で西荻窪でも開校されているのを知ってさっそく出向きました。そうしたら天童先生のお顔がすごい眼力でしっかりしたお顔の方だったんですね。それで人相学はおもしろいなぁと地味に独学を始めました。仕事中、こういう占いの勉強を始めたの…と友達にいうと「私のこと見てほしい」という人が続出して、5人くらいに「手相は見てもらえないの?」と聞かれ、そうか…手相も勉強したほうがいいという神の思召しだな…と思って、さらに勉強を始めました。

――ただ運を待っているわけではなく、ポジティブに勉強を熱心にされるから神様も微笑むのでしょうね。

私の場合、人とよく話すということもあって、私が占いの勉強をしていると知った隣りのセクション、隣りの会社、隣りのビル…へと、どんどん噂が広まってランチタイムは占いの予約でいっぱいでした。会社勤務時はoutlookでスケジュール管理をしていたのですが、3ヵ月先までずっと予定が埋まっている状態で。ざっと2000人位を全員無料で診てきました。占いでお金を頂けると思っていなかったのですが昨夏、ある交流会で占いブースを設けることになって「いつもワンコインで占ってもらっている」といわれましたが、せっかく私がやるならもうちょっとほしいなと思って「私は10分1000円でやります!」と言ってしまいました。そうしたら行列ができるくらい盛況で。それ以降、月1イベントで占いを担当するようになりました。

押しつけられるのではなく上手に引き出すように育てたい。

――いけのりさんの場合、占いだけでなくパワーストーンでアクセサリーも製造販売されていますが、これは何がきっかけで始められたんですか?

5歳上の姉と。習い事は姉が先にやっていたものに憧れて始めたのがほとんど。

5歳上の姉と。習い事は姉が先にやっていたものに憧れて始めたのがほとんど。

手相占いをしていると手を触りますね。それで「ああ、この人なんか運気悪そう」という方も中にはいらっしゃいます。今はそういう方には自分のパワーを分けてあげようと前向きに考えられますが、その当時は『何か悪いものが移りそう』と感じてしまったのですね。そういうことから身を守る御守りがほしいと思ったのです。それで、また運よくパワーストーンを扱っている企業の社長さんと知り合うきっかけがありまして、問屋さんへつないでくださり、パワーストーンを扱う仕事の段取りをつけてくださったんです。

――全部導かれているかのような道筋です!アクセサリーを創れるというのも器用ですね。

初めは全然そういうつもりではなく、占いをした方でパワーストーンに興味がある方がいらしたらつないでくれた社長さんへ紹介しようと思っていたのですが、ある時会社の後輩が「2000円位でストラップを創ってもらえませんか?」と要望してきました。さすがにパワーストーン屋さんへオーダーすると1万円はするので、それなら私が創ってみようと。やったことがないものですから、「ストラップの創り方」という小冊子を買って、見よう見まねで。原価で販売して手間賃ゼロ円で儲けなしでしたが、なぜか損した気分はなく、その後ブレスレットやピアスなど次から次へとパワーストーンのアクセサリー注文を頂くようになりました。6月に始めて12月までの半年間で150人を超えるお客様からの注文があって毎日ひたすら創り続けてましたが、今振り返るとすごいことです。

――2年前の3.11大震災の後に、一大決心の転職でしたね。まだお若いからできた…ということも?

楽天を辞める時、役員を含めて8人位の面接があって全員に自分の考えをプレゼンテーションするんです。3.11後の時期だっただけに「こんな不安定な時代に本当にそれでいいのか?」と何度も意思確認をされましたが、自分の気持ちを言葉で伝えているうちに段々意思も堅くなってきました。大企業にいれば平社員は社長の方針に従う兵隊で当然です。でも自分の考えで動きたい、人を幸せにできる仕事をしたい、と強く思ったのです。「困ったらいつでも連絡してきないさい」と役員の方から直電の番号を渡されたのも心の支えになりました。もし今の仕事で食べられなくなったら、それは人が求めていない仕事なのだから会社員に戻って自分のできることで食べていくしかない…という割り切りもあります。

――そういう考え方は潔いです。では、これからご自身の子どもはどんなふうに育てたいと思われますか?

何かを押しつけられてやるのではなく、その子がもっている力を上手に引き出してあげられるように育てたいという思いはあります。あと大学は行かなくてもいいかな(笑)。団塊の世代位までは、たぶん大学卒は意味があったことなのでしょうね。その頃は大学名で大手企業に入社して安泰に生きられた。でも今この不安定な時代になって大企業でも潰れる可能性があります。自分の名前と自分の考えで生きていけるように育てないと意味がない。私、大学の4年間なんて遊んでいる人が多いんだろうと感じました。多感なその時期に、もっと苦労して、例えば会社を立ち上げたりするのもいい。自発的に考えられて努力できるような子に育てたいんです。

編集後記

――ありがとうございました!いけのりさんの占いは、運勢引き上げの導き…というか前向きに捉えられるお話しが楽しくて時間を忘れてしまいました。パワーストーンは流行もあって至る所で販売されていますが、やはりきちんと「石ちゃん」のことをわかる方にパワーを授けてもらいたいものです。勉強ができるとかできないとか以前に、自分が進むべき道を知るための意欲満々ないけのりさん。この姿勢は年齢性別不問で学ぶべきことが多いです。私も頂いたパワーストーンのねづけを毎日使う万年筆の入ったペンケースにつけています。おかげで運気のあがることばかり書けそうです(笑)。

取材・文/マザール あべみちこ

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