1931年9月21日、満州事変で兵力増派。しかも事後承諾で。戦争への大きな歯車が回り始めた日
▼1931年 朝鮮軍(日本陸軍)が満州へ越境侵攻
満州事変の発端となった柳条湖事件(9月18日)以後、関東軍(日本陸軍)による小戦闘や破壊工作が続けられてきたが、陸軍中央部では対峙する張学良軍の大兵力に対抗するため、兵力増派の計画を進めてきた。万一政府の反対にあった際は陸軍大臣の辞職と軍部大臣現役武官制を盾に取って押し通す計画だったともされる。そんな中、朝鮮軍(在朝鮮日本軍)司令官・林銑十郎は独断で部隊を越境させ、関東軍と合流した。統帥権の干犯ともいうべき軍事行動だったが、政府は出動してしまった以上は仕方がないと追認することになる。
その後、第二次世界大戦へとつながっていく大戦争の歯車が動き始めた事件だった。
1999年9月21日 台湾大地震発生
9月21日午前1時47分、台湾中部を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生。台湾で採用されている地震等級の最大級の地震により、多くの建物やビルが倒壊し、夥しい数の犠牲者を出す大惨事となった。
その後、2011年の東日本大震災では台湾から多くの支援・援助が行われた。「みなさんは地震や水害の時に台湾を助けてくれました。今度は私たちの番です」といったたくさんのメッセージとともに。いまも石巻や大槌では台湾から訪れたアーティストによる大きな壁画を見ることができる。2013年には移設可能な屋外展示施設「白屋」を使った巡回展が東北・神戸と台湾を結んだ。
災害は人々の心に大きな傷跡を残すが、それを機に生まれた友情の大きさを忘れてはならない。
国際平和デー
言うまでもなく、この日だけ平和ならいいという訳ではありません。9月21日は、世界中がピースデー。
国際平和デーは、イギリスとコスタリカの呼びかけにより1981年に国連総会で議決され、2001年からはこの日に日付が固定になった。国際平和デーを記念して、この日1日、24時間の停戦を実現する呼びかけが続けられている。
また、この日には日本国際連合協会から国連に贈られた「日本の平和の鐘」が国連本部前で鳴らされる。寄贈から50年になるセレモニーで国連のガリ事務総長は次のように語っている。
"whenever it has sounded, this Japanese Peace Bell has sent a clear message. The message is addressed to all humanity. Peace is precious. It is not enough to yearn for peace. Peace requires work -- long, hard, difficult work."
平和を望むだけでは足りない。平和は行動を求めているのだ。長く、苦しく、困難なものであったとしても。
歴史の中の9月21日
▼1792年 フランス第一共和政樹立
フランス革命で選挙によって選ばれた議会「国民公会」により、王政廃止と共和政樹立が宣言される。
この政権によってルイ16世の死刑が議決され、翌年1月には「フランス人民の王」が、同年10月には王妃マリー・アントワネットがギロチンにより処刑された。
その後、フランス革命の波及を警戒する対仏大同盟諸国との戦争や度重なるクーデタ、法体系の整備にともなう政治体制の変革などもあり、約10年にわたってフランスは不安定な動乱の中にあった。
第一共和政はナポレオンが「フランス人民の皇帝」に就任する1804年まで継続し、以後第一帝政に移った。
▼1898年 戊戌(ぼじゅつ)の政変
外国による国土の蚕食が進んでいた清国で、急速な変革を進めようとした変法派とその後ろ盾だった光緒帝が、西太后や袁世凱らによって失脚させられた保守クーデタ。
光緒帝は清朝11代皇帝。西太后は9代皇帝咸豊帝の妃で光緒帝の伯母に当たり、幼帝が続いた清朝末期に絶大な権力を誇っていた。この政変は清朝の混乱と支配力低下を象徴する事件のひとつ。翌年には外国の軍事介入まで許す義和団の乱が発生する。
▼1918年 寺内内閣総辞職
山口県出身の陸軍大将で朝鮮総督も務めた寺内正毅による内閣(1916年~1918年)が総辞職。ことの発端は、ロシア革命に干渉するためのシベリア派兵に踏み切ったことだった。
その頃から全国各地で米価が急騰。第一次大戦後の米価高騰に関連して、シベリア派兵の発表以前から富山県では騒動が起こっていたが、これが全国に波及。全国の主要都市、さらには山口県や福岡県の炭鉱騒動にも飛び火する。当時の写真を見ると、騒動というより「内乱」と呼ぶべき状況だったことが伺える。
政府は軍による鎮圧を目指すが、炭鉱騒動では坑夫たちはダイナマイトで軍隊に抵抗するほか、軍や警察の一部にも騒乱に加わったり、黙認するものまで現れ、収拾がとれない事態に。健康状態も悪化していた寺内は、この日内閣総辞職を決めた。
次の内閣総理大臣に就任したのは、「初の平民宰相」とも呼ばれた岩手県出身の原敬だった。
▼1921年 オッパウ大爆発
ドイツ南西部オッパウにあるBASFの化学工場で大爆発が発生。500人を超える死者、160人に及ぶ行方不明者を出す大惨事となった。爆発を招いた作業はそれまで3万回以上無事故で行われてきた硫硝安混成肥料のダイナマイトによる破砕作業だった。その後の実験でも、同様の作業による爆発を再現するのは困難だという。通常爆発しないとされるものでも、大爆発を起こす可能性があるという問題を提起する出来事でもあった。
この爆発で22km離れた町では、最初に地震を感じた82秒後に爆風が吹きつけ、窓や戸を破壊したほか、ガスタンク、石油タンクなどにも被害が及んだという。
日常生活の中では気づきにくいが、都市にはさまざまな危険物が貯蔵されている。大地震や大火災などの際に、それらが大爆発を起こす危険は関東大震災の昔から、専門家によって指摘されてきた。人類史に残る大爆発が発生した日を機に、危険物による爆発や火災の危険を再認識したい。
▼1931年 朝鮮軍(日本陸軍)が満州へ越境侵攻
軍部の独断専行による戦争拡大を許した日。朝鮮軍(在朝鮮日本軍)林銑十郎司令官による越境侵攻を黙認したことで、軍部の謀略による柳条湖事件を「一事件」として収束することができず、満州事変へと進展させることになった。
▼1934年 室戸台風で西日本を中心に、死者行方不明者3,036人の大きな被害
台風は高知県室戸岬附近に上陸後、淡路島を経由して阪神間に再上陸するルートをとった。最大瞬間風速60メートルという暴風による建物倒壊被害が激甚だったほか、上陸時に約911ヘクトパスカルという驚異的に低い気圧だったため、大阪湾では高潮による被害も大きかったという。
▼1993年 ロシア大統領ボリス・エリツィンが議会を解体
議会による大統領解任決に対抗して、ロシア大統領ボリス・エリツィンが最高会議と人民代議員大会を解体。10月には議会派が立て籠もる最高会議ビルを戦車で砲撃する事態へと発展する。
▼1999年 台湾大地震発生
9月21日午前1時47分、台湾中部を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生。台湾で採用されている地震等級の最大級の地震により、多くの建物やビルが倒壊し、夥しい数の犠牲者を出す大惨事となった。
この日が誕生日
◆1853年 エドモンド・レイトン
英国ヴィクトリア時代の代表的な画家。
◆1866年 H・G・ウエルズ
イングランド出身の小説家。「タイム・マシン」「モロー博士の島」「透明人間」「宇宙戦争」など多数。タコ型宇宙人や半重力など、その後のSFで繰り返し使われることになる数多くのアイデアを発案した。原爆開発のヒントを示唆したこと、日本国憲法9条に影響を及ぼしたことでも知られる。
◆1867年 ヘンリー・スティムソン
アメリカの政治家。民間出身として陸軍長官を務め、陸軍・航空隊の大量動員、連合国に対する武器貸与法の窓口、原爆投下計画に関わった。
◆1874年 グスタフ・ホルスト
イギリスの作曲家。スウェーデン移民の家系に生まれロンドンの王立音楽院に学ぶ。代表作は管弦楽のための組曲「惑星」。多くの歌曲や合唱曲、日本をテーマにした組曲も書いている。
◆1947年 2代目桂ざこば
上方噺家。桂米朝の弟子。「たかじんのそこまで言って委員会」などタレントとしての活動も。
◆1954年 安倍晋三
日本の政治家、第90代・96代内閣総理大臣。
◆1970年 有村治子
日本の政治家、第2次安倍改造内閣の内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画・規制改革)。
この日亡くなった人たち
・1832年 ウォルター・スコット
スコットランドの詩人、小説家。近代的な手法による歴史小説「アイヴァンホー」、ロッシーニの歌曲になった叙事詩「湖上の美人」など。シェークスピアの再来とも言われた。
・1860年 アルトゥール ショーペンハウアー
ドイツの哲学者。ショーペンハウエルとも。ブッダにも精通し実存主義の先駆ともいえる独自の生の哲学により、多くの思想家、芸術家に影響を与えた。ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、ワグナー、フロイト、ユング、さらに森鴎外や萩原朔太郎…。共振と共鳴を及ぼした同時代人は枚挙にいとまがない。明治期に学生歌として広まった「デカンショ節」のデカンショは、デカルト・カント・ショーペンハウエルというのが通説。
・1908年 アーネスト・フェノロサ
アメリカの東洋美術家、思想家。モースの紹介で日本に渡り東京大学で教える。教え子でも会った岡倉天心らとともに、廃仏毀釈後に見捨てられつつあった日本の伝統美の再発見に努めた。
・1911年 ジェームス・カーティス・ヘボン
アメリカの宣教師。幕末に来日し、横浜で近代医学を伝える。ヘボン式ローマ字の発案者。明治学院の創設者でもある。
・1933年 宮沢賢治
岩手県出身の詩人、作家、農業指導者。
・1954年 御木本幸吉
ミキモト創業者。真珠の養殖と事業化を行い真珠王と呼ばれた。
・1973年 5代目古今亭志ん生
昭和初期から中期にかけて大活躍した東京の落語家。録音が残る時代で随一の名人と呼ばれる。破天荒で軽妙な語りが人気を集めた。
・1998年 フローレンス・ジョイナー
アメリカの陸上競技選手。女子100メートル、200メートルの世界記録保持者。長く伸ばしたカラフルな爪と、長い髪をなびかせて走る姿がトレードマークだった。心臓発作により38歳で急死。
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