[1月21日という日]腹切り問答の日

Rinoue125R

公開:

0 なるほど
2,308 VIEW
0 コメント

▼754年 鑑真来日
唐の僧・鑑真(がんじん)が、約10年、5回の渡航失敗の末、坊津(ぼうのつ:鹿児島県南さつま市坊津町)に到着する。日本への渡航でたびたび遭難する中で両目を失明していた鑑真だが、到着後は九州大宰府の戒壇院で授戒を行った後、平城京に到着。東大寺大仏殿に戒壇を設け、上皇、僧侶ら400名に授戒を行う。その後も唐招提寺の創建、悲田院(窮民救済のための収容施設)の設立などを行った。

▼1793年 フランス国王ルイ16世が処刑される
ブルボン朝5代目のフランスとして1774年に即位したルイ16世が、1793年1月21日午前10時22分、コンコルド広場でギロチンによって処刑された。王妃マリー・アントワネットの処刑は同じ年の10月15日。
ルイ16世は太陽王ルイ14世から2代後の国王だが、14世の孫ではない。5代末の子孫に当たる。

▼1930年 ロンドン海軍軍縮会議開催
イギリス首相ラムゼイ・マクドナルドの提唱で開催された海軍艦艇に関する軍縮会議。1922年のワシントン海軍軍縮会議で戦艦・航空母艦等の主力艦の保有数が制限されたが、その結果、戦艦よりも小さな巡洋艦以下の重武装化や建造が過熱していた。ロンドン会議では巡洋艦以下の補助艦船の保有量制限が取り決められた。これに対して国内では、全軍の統帥権を有する天皇の承諾なく政府が兵力を決定したことに対して「統帥権干犯問題」が発生。海軍内部でも条約派と艦隊派の深刻な対立が引き起こされた。五・一五事件の遠因ともされる。

▼1937年 帝国議会で腹切り問答
昭和12年の第70回帝国議会で、濱田國松衆議院議員と、陸軍大臣伯爵・寺内壽一陸軍大臣の間で「速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝する。なかったら君割腹せよ」(濱田議員)との問答。議会・内閣は紛糾し広田弘毅内閣は総辞職に追い込まれた。

 【関連ページ】戦争への坂道を転がり落ちていく中で起きた「腹切り問答」
potaru.com

▼1940年 浅間丸事件
「太平洋の女王」と呼ばれた日本郵船の豪華客船「浅間丸」が、ホノルルから横浜への航海中、房総半島沖の公海でイギリス海軍の巡洋艦「リヴァプール」に臨検され、当時すでにイギリスと交戦中だったドイツ人乗客が戦時捕虜として連行された。同様の臨検は日本軍も中国やベトナム沖で行っていたが、日本の新聞はイギリスと浅間丸船長(同盟国であるドイツ人を引き渡したとして)を厳しく非難した。

▼1954年 原子力潜水艦ノーチラス号が進水
世界初の原子力潜水艦ノーチラス号(攻撃型潜水艦SSN-571)が進水。ノーチラス号の原子炉はこの年の年末に臨界に達し、1958年には北極点を潜水状態で初めて通過した。

▼1962年 大阪に交通科学館がオープン
大阪環状線弁天町駅の高架下にあり、歴史的な鉄道車両を数多く展示する交通科学館(交通科学博物館)が開館。半世紀以上多くの鉄道ファンに親しまれてきたが2014年4月6日に閉館の予定。

▼1968年 チューレ空軍基地米軍機墜落事故
核武装したB-52爆撃機をソ連国境線付近に常時12機以上空中待機させる「クロームドーム作戦」に従事していた1機が、機内火災によりグリーンランドのチューレ米空軍基地付近の海氷上に墜落。搭載していた4発の水爆は破壊され、核爆発は起こさなかったものの、大量の放射性物質を広範囲に飛散させた。北緯76度の北極圏に墜落したため回収は困難を極め、公式には回収されたことになっている爆弾がいまも未回収であることが判明している。

▼1976年 コンコルド就航
フランス・イギリスの共同開発による超音速旅客機コンコルドが定期航路に就航した。エールフランスではパリ・ダカール・リオデジャネイロに、ブリティッシュエアウェイズではロンドン-バ・レーン間で運行開始。後にニューヨーク便、ワシントンD.C.便など路線を拡大していく。

▼2001年 西東京市誕生
東京都の田無市と保谷市が合併して西東京市が発足する。西東京市はドラえもん、ケロロ軍曹、あたしンちなど多くの漫画・アニメの舞台として描かれている。

この日が誕生日

◆1885年 板垣征四郎
日本陸軍の軍人。大将。陸軍大臣。関東軍最高参謀として日中戦争を進めた。東京裁判で死刑判決を受ける。

◆1885年 ウンベルト・ノビレ
イタリアの航空技術者。アムンゼンによる航空機による初の北極点を行った飛行船ノルゲ号を開発する。ノビレ自身も後の北極探検で飛行船の墜落と遭難を体験。ノビレは生還したが、捜索に出かけたアムンゼンが遭難してしまう。

◆1895年 伊藤野枝
雑誌「青鞜」で活躍した作家、婦人解放運動家。大杉栄との間に5人の子をもうける。甘粕事件で大杉とともに虐殺される。

◆1905年 クリスチャン・ディオール
フランスのファッションデザイナー。第二次大戦後の1946年、オートクチュールをオープン。47年には初のファッションショーでニュールックを発表する。

◆1931年 久我美子
「酔いどれ天使」など、戦後の映画界で活躍した女優。平安時代から続く公家の家柄の出身。「また逢う日まで」でのガラス越しのキスシーンは名シーンとして知られる。

◆1959年 京本政樹
大阪府吹田市出身の俳優。「必殺シリーズ」など多数。ウルトラマンや仮面ライダーなど特撮ものに造詣が深いことでも有名。

◆1963年 平尾誠二
元ラグビー日本代表選手、元ラグビー日本代表監督。

◆1965年 黒木香
女優。作家。

◆1967年 宮崎吾朗
ランドスケープ・アーキテクト。映画監督。「三鷹市立アニメーション美術館」「サツキとメイの家」など手掛ける。映画には「ゲド戦記」「コクリコ坂から」。

この日亡くなった人たち

・1793年 ルイ16世

・1899年 勝海舟
幕末の幕臣。咸臨丸を指揮して渡米。軍艦操練所頭取、軍艦奉行、陸軍総裁など務めるが、幕政批判が煙たがられ幾度も謹慎させられる。江戸城無血開城を果たした後は、明治政府に出仕し、参議、海軍卿、元老院議官などの官職につく。西南戦争で国賊とされた西郷隆盛の名誉回復に奔走し、上野の西郷像の除幕式の約1カ月後逝去する。

・1924年 ウラジーミル・レーニン
ロシア革命で活躍したロシアの革命家。

・1946年 杉田久女
ホトトギスの女性専用投稿欄で注目され、俳句の新しい可能性を示す。「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」「しろしろと花びらそりぬ月の菊」「谺して山ほととぎすほしいまゝ」。戦中戦後の栄養失調から1946年没。

・1972年 磯永吉
台湾の農業発展に貢献した広島出身の農学者。ジャポニカ米とインディカ米の交配を研究し、台湾の風土に合い、美味な品種「蓬莱米」を開発した。

・1987年 梶原一騎
「空手バカ一代」「巨人の星」「愛と誠」「あしたのジョー」「柔道一直線」などの作品を残した漫画原作者。

・1996年 横山やすし
吉本興業所属の漫才師・タレント。西川きよしとのコンビ「やすしきよし」で活動。

・1998年 近藤喜文
新潟県五泉市出身のアニメーション監督。監督作品として「耳をすませば」。原画担当として「未来少年コナン」「海がきこえる」「パンダコパンダ」「紅の豚」など。

最終更新:

コメント(0

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン