[10月17日という日]貧困撲滅のための国際デー

Rinoue125R

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10月17日は貧困撲滅のための国際デー

今日10月17日は「貧困撲滅のための国際デー」です。1999年の国連総会で国際デーとして制定されました。

貧困は飢餓をもたらします。教育の機会を奪います。医療を受けることができない境遇を生み出します。児童労働、人身売買、児童買春の原因にもなります。貧困は私たちが生きていくのに大切な尊厳と基本的人権の敵です。しかし、それだけではありません。貧困は差別を呼び、対立を煽ります。世界中の多くの紛争は貧困から起こっています。そして、貧困が対立を生み、対立が貧困を拡大していく悪循環になっているのです。

このスパイラルを断ち切ることができるのは、私たち人間だけです。偶然とかラッキーな出来事で世界が変わることはありません。昨日の世界食糧デーと同じく、地球上のすべての人たちが明日を夢見ることができるように、何かを始めましょう。今日はそんな日なのです。

◆貧困撲滅のための国際デー◆海外旅行のYAZIKITA (ヤジキタ) | Facebook

日本のような先進国でも格差が広がり貧困が社会的問題となる中、途上国の貧困はますます深刻化しています。世界地図で紛争が起こっている場所を思い浮かべてください。そのほとんどが貧困によって人が生きる権利が侵害されている地域と重なっています。

貧困は食糧・教育・医療・正当な労働を奪うばかりでなく、貧困がもたらす構造的な不平等が武力紛争の大きな要因になっています。貧困は安定した世界に対する大きな脅威でもあるのです。

10月17日は「貧困撲滅のための国際デー」です。一昨年のこの日、国連のパン・ギムン事務総長はこんなメッセージを発しました。「貧しい人々の貧困脱出を助け、こうした人々が今度は世界の転換に力を貸せるようにする」ことは、「私たちに共通の未来へ投資」だと。

貧困の撲滅は地球に暮らす私たち全員の課題です。

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歴史の中の10月17日

▼1814年 ロンドンのど真ん中でビール洪水

ロンドン市内でも最大級のビール醸造所だったMeux and Co.Breweryで、金輪で締められていたビヤ樽が破裂。ビールが建物内に爆発的に溢れた。そのためほかのビヤ樽も次々に破裂し、およそ8,500バレルのビールの大洪水が発生した。ビールは煉瓦の壁を破壊しセント・ジャイルズ教会周辺の道に殺到。この事故で8人が死亡した。

8,500英バレルは約140万リットル。1万4000トンに及ぶ。樽が破裂した原因は樽の経年劣化と言われている。

事故の発生を10月16日とする資料もある。

トッテナム・コート・ロード

セントジャイルス教会

 【ぽたるページ】ロンドンの町のど真ん中で発生したビール洪水
potaru.com

▼1931年 日本陸軍中堅によるクーデタ計画が頓挫(十月事件)

柳条湖事件を起こし満州支配を進めようと画策していた関東軍(日本陸軍の満州地域に進出していた部隊)に対し、政府は不拡大方針を掲げていた。この方針を覆すために計画されたクーデタが発覚、失敗に終わる。計画では関東軍の日本からの独立を宣言し、首相以下の閣僚を殺害、軍事政権を樹立するというとんでもないものだった。

クーデタは失敗するが、若槻内閣は総辞職(12月)、血盟団事件から五・一五事件、さらには二・二六事件へと続いていく歴史の歯車を動かした事件だった。

▼1943年 泰緬鉄道が開通

第二次世界大戦中、日本陸軍によってタイとミャンマーを結んだ鉄道。泰はタイ、緬はミャンマー(緬甸:めんでん)を意味する。工事のための労働者は現地募集しただけでは足りず、英豪米蘭などの捕虜も作業に駆り出された。過酷な労働環境から、欧米では「Death Railway」とも呼ばれる。

鉄道建設中に掘り当てられたヒンダート温泉は現在も営業している。

▼1973年 第一次石油ショックのきっかけとなるOAPEC閣僚会議

1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これを受けてペルシャ湾岸産油国6カ国がが原油価格を70%引き上げると10月16日に発表。さらにまたOAPEC(アラブ石油輸出国機構)は、閣僚会議で原油生産の段階的削減を決定した。

影響はたちまち世界に広がり、日本ではトイレットペーパーや洗剤の買い占めに象徴される混乱や便乗値上げ、売り惜しみなどが発生。翌年1年間で20%以上物価が上昇する狂乱物価に見舞われた。ガソリンスタンドは日曜日には休業しレジャーの抑制が図られる。デパートのエスカレーターが停止され、テレビの深夜放送もストップした。NHKは深夜のみならず日中にも放送休止時間が設けられた。

▼1989年 サンフランシスコでロマ・プリータ地震

マリーナビーチの建物被害 | アメリカ地質調査所(USGS)による画像

マリーナビーチの建物被害 | アメリカ地質調査所(USGS)による画像

commons.wikimedia.org

カリフォルニア州サンフランシスコ周辺を襲ったマグニチュード7.1の大地震。サンアンドレアス断層によって引き起こされたとみられる。

キャンドルスティック・パークの野球場ではワールドシリーズの第3戦が行われる予定でテレビ中継も入っていたため、激しい揺れの模様が全米に放送された。

高速道路の高架部分やサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジの倒壊、液状化による建物の倒壊が見られた。62名の人的被害もあった。

▼1992年 日本人留学生射殺事件

「フリーズ!」
ハロウィンが近づくと悲しい出来事を思い出します。1992年10月17日、ルイジアナ州バトンルージュで起きた日本人留学生射殺事件。ハロウィンパーティに出かけ、間違った訪問先の玄関先で「動くな!」と銃を突き付けられたのに止まらなかったために射殺された痛ましい事件です。

事件をきっかけにアメリカでは銃規制を強化する運動も起こりました。しかし、銃規制に反対する人々もアメリカでは多数を占めているということです。

銃を容認するかどうかは日米の文化の違いと評論家は指摘します。しかし、いくら文化の違いでも、そのために命を奪われるなんて不条理です。

私たちにできることは2つだけしかありません。自分の身を守るため相手の文化を理解するよう努めること。そして、人の命を絶つ武器を手にすることは人間的でないのだと、粘り強く伝えていくことです。平和の灯がすべての人の心にともされるまで。

◆日本人留学生射殺事件◆海外旅行のYAZIKITA (ヤジキタ) | Facebook

ハロウィンパーティで間違った家の敷地に入ってしまった日本人留学生が、家主に射殺された事件。海外に行く機会が多い身としては、忘れることのできない悲痛な事件です。

被害者は銃を構えた家主が発した「フリーズ!(動くな!)」という意味がわからずに、笑顔で近づいて撃たれたと言われています。文化が異なる海外では「フリーズ」と同じように、真意が理解しにくい言葉は数多くあるでしょう。誤解によって命が危険にさらされるかもしれない言葉やゼスチュアの全てを知り尽くすことなど不可能です。

私たちは、言葉が通じない相手とでも笑顔や身振りでコミュニケーションできることを知っています。とくに海外ではそんな機会が多いですよね。だからなおのこと、笑顔で近づくところを撃たれたこの事件は痛ましいのです。

被害者の両親は「アメリカの家庭からの銃の撤去を求める請願書」に署名を求める活動で170万人を超える署名を集めたそうです。しかし今でもアメリカの家庭から銃は撤去されていません。

あなたのFacebookで、この悲劇について語って下さることをお願いします。できれば海外の友人にも。世界中の人たちが10月17日に起こったことを忘れないように。

◆日本人留学生射殺事件◆海外旅行のYAZIKITA (ヤジキタ) | Facebook

この日が誕生日

◆1760年 アンリ・ド・サン=シモン
フランスの社会主義的思想家。富を生み出す階級にこそ社会的意義があると説いた。
「50人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・商人・職工の不慮の死は取り返しがつかないが、50人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は容易に満たすことができる」(Wikipediaの記載より)

◆1908年 宮本顕治
戦前からの共産主義者。1934年に収監され、出獄したのは1945年。復権後、日本共産党書記長、日本共産党議長などを務めた。

◆1936年 金森博雄
カリフォルニア工科大学名誉教授の地震学者。モーメントマグニチュードを提唱し、地震発生のアスペリティモデルを打ち出した。

◆1939年 ビッグ錠
徳島県出身の漫画家。「釘師サブやん 」「包丁人味平 」

◆1958年 喜国雅彦
うどん県(香川県)出身の漫画家。「傷だらけの天使たち」「三丁目防衛軍」

この日亡くなった人たち

・1624年(寛永元年9月6日)高台院(ねね)
豊臣秀吉の正室。秀吉の没後、秀頼と千姫の結婚を見守った後、落飾して高台院となる。豊臣家滅亡の後、高台寺で没する。
(忌日の換算はWikipediaの記事による)

・1806年 ジャン・ジャック・デサリーヌ
ハイチのフランスからの独立戦争で活躍し、革命を成就。フランス革命のナポレオンに倣ってハイチ皇帝ジャック1世となる。反対派に暗殺され48歳の生涯を終えた。

・1849年 フレデリック・ショパン
ポーランド出身の作曲家

・1952年 岡田啓介
福井県出身の海軍大将、政治家。第31代内閣総理大臣。首相在任中に発生した二・二六事件では、義弟が身代わりとなり難を免れた。首相退任後は重臣として首相人事にも関わる。東條内閣が退陣した後は和平工作を進めた。

・1967年 愛新覚羅溥儀
愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)清朝最後の皇帝、清朝第12代・宣統帝として清朝276年の歴史に幕を引く。1934年には満州国皇帝に就任した。

・2012年 シルビア・クリステル
オランダ出身の女優、モデル。「エマニエル夫人」

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