岩手県大船渡市三陸町の吉浜地区の写真です。
一見、他の被災地と同様に津波で大きな被害を受けたかと思われるかもしれません。
吉浜地区には約1400名の方が住んでいましたが、亡くなった方が1人、家屋の全半壊は4戸でした。20m以上という津波大きさと人口を考えると、被害は少なかったと言われています。
吉浜地区の被害が小さかったのは、偶然ではなく、必然と言っていいのかもしれません。
吉浜地区は、明治以降、過去に3回の大きな津波に襲われています。1896年の明治三陸大津波で、人口の19%にあたる204人の方が亡くなり、建物も全体の40%にあたる35戸が流出、全半壊しました。
その時の教訓を活かし、当時、村の指導者だった新沼武左衛門が中心となり、高台への集団移転を行っています。その後1933年、吉浜地区は再び、昭和三陸津波に襲われます。
しかし、この時亡くなった方は人口の2%にあたる17名、建物は全体の8%にあたる13戸と、前回よりも被害は小さくなっています。昭和三陸津波の後にも、道路や家屋を高台に移転した結果、2011年3月の東日本大震災の際には、先に記載した被害に抑えることができました。
他の地域でも、過去の津波の後に高台へ移転した所もあったらしいのですが、多くの方が、生活の不便さのために、月日の経過とともに再び浜近くに戻っていったそうです。
海が見えなくなるような巨大な堤防を作って、自然の脅威に抵抗しようとするのではなく、高台に移転するという吉浜地区の津波対策は、ごく自然なものに感じました。
「過去の教訓を伝えて活かす。過去は決して忘れてはいけない。」
小雨に濡れた道路脇の石碑が、語っているかのようでした。
吉浜
Text & Photo:sKenji
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