デリケートな産卵シーン
「知ってた?『ウミガメが産卵するとき涙流す』てゆーやん?アレってホンマはな、涙ちゃうねんで。」
「えっ、マジっすか!」
「しー!大声はあかんて。」
小笠原諸島・父島の小笠原ユースホステルに滞在中、大阪出身の姉ちゃんと一緒になった。同じく関西出身の僕というこの2人の影響で、宿に関西弁が充満したのはまた別の話だが、その彼女が「ウミガメの産卵を見に行こう」とか言うのでついて行くことに。
僕らは浜へ近づくにつれ、声のトーンを落とし、宿から徒歩5分ほどの海岸に着いた。実は6月のこの時期の小笠原はアオウミガメの産卵シーズン。珍しいもの見たさもあって、アオウミガメが産卵するという砂浜へお邪魔する。既に他の宿のお客さんと思しき人たちも数名いた。
夜は22時を回ったころだろうか。産卵を見るとは言うが、産卵時のアオウミガメは非常にデリケートである。少しの物音や光にも敏感で、ちょっとでもウミガメにとって気に入らない要素があれば、せっかく浜へ上がっても産卵せず海に戻ることもあるそうだ。例えば、懐中電灯の光を(ウミガメに)あててはいけない。うるさくしてはいけない。ウミガメの正面に立たない。などといった自主ルールがある。
「なんや、えらい時間かかりよんなぁ。」
ウミガメだって生き物だ。人間の期待通りのパフォーマンスで産卵するわけではない。そもそも陸に上がってこない日もしばしばあるとか。ただ、この日は浜をくまなく探していると、砂にずりずりと這った跡があるのを見つけた。光を嫌がるというウミガメ。その這った先は真っ暗だ。忍び足で近づいてみると・・・。
いた、ウミガメだ。
薄暗い茂みの中から黒い巨体の様子を伺う。日中も遊泳場として賑わう浜辺だが、体長1m・体重200kg近いこのアオウミガメを昼に見かけることは無い。まして産卵など1年のうちの限られた期間だけのこと。そうした非日常的な要素に緊張感が増してくる。ウミガメは一度落ち着くと、後ろ足を使ってゆっくり穴を掘り始めた。
ざっ・・・ざっ・・・ざっ・・・。
「なんや、えらい時間かかりよんなぁ。」
彼女がそう言うのももっともだ。大きな体のウミガメは、やはりそのひとつひとつの動作が遅い。のそのそと浜へ上がったら、今度は卵を産み落とす穴を掘る。この時間がけっこう長く、黙々と掘り続けるのだ。トータルすると、1頭のウミガメが無事産卵を済ませて帰るまでに、早くても1時間以上は掛かるだろう。
「ウチが代わりに掘ったろかな?」
「やめといたり。」
ウミガメの目からは“涙”が
僕らが観察していたウミガメが黙々と穴を掘るその脇で、別のウミガメがまさに産卵を始めていた。ウミガメの調査や保全に取り組む海洋センターのスタッフが、集まっている人を対象に即席レクチャーを行っている。
ウミガメは物音や光に敏感だが、いざ産卵を始めるとそれに集中するようだ。ストレスにならないよう、ウミガメの後方を囲む。海洋センターのスタッフが、尻尾にライトを当てると、既に卵が40~50個だろうか、ぼとぼとと落ちていた。僕らは息をのむ。ウミガメも力むのだろう。時折「フーーーーーッ」と深い息をはく。
「この1回の産卵で100個近くの卵を産むんですよ。だいたい2ヶ月くらいで孵化します。」
とスタッフの彼が言う。それだけたくさんの卵が産まれるわけだが、成熟後、ふたたび島へと帰ってくるのはごく少数だそうだ。ウミガメの世界も厳しいのだろう。ウミガメの目からは“涙”が流れていた。いや、本当は涙ではなく、海中で溜まった塩分を粘液として排出しているだけであり、人間のように流す涙とは根本的に別物なのだ。でも、これからドラマティックな人生を控えているウミガメを思えば、これを“涙”と見る方がよっぽど美しい。
「なぁなぁ、ウチらこうやって産卵する部分ばっかり注目してるやん。ウミガメからしたらウ●コしてるとこ見られてる気分なんやろな」
「乙女がウ●コとか言いなや」
この日は満月の夜。ウミガメの“涙”が月の光でうっすら輝いた。
大村海岸
父島の海岸各地でアオウミガメの産卵が見られるが、この記事の舞台はメイン集落近くの大村海岸。産卵期は5~8月だが、6月ごろが一番さかんな印象だ。
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