【島の歴史】伊豆諸島創生伝説

tanoshimasan

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伊豆諸島は神様が創った?

 伊豆諸島は隆起した火山や、海底火山の外輪山が海面から顔を覗かせたような島々です。御蔵島などのように久しく火山活動が見られない島がある一方で、三宅島(2000年)や大島(1986年)など、近年もその活動が実際に起こった島もあります。長い歴史の中で隆起した火山というのが、伊豆諸島の島々なのです。

(伊豆半島・南伊豆町石廊崎「伊豆七島展望図」) 

壬生家と三島大明神縁起

 しかしその一方で、伊豆諸島は神様が創造したという伝説があるのはご存知でしょうか。伊豆諸島・三宅島には、かつて朝廷に仕えた壬生(みぶ)家という由緒ある家柄があり、その壬生家が神主職とともに代々地役人も兼ねてきた歴史があります。その壬生家には代々伝わる「三島大明神縁起(別名:三宅記)」という書物があるのですが、その三島大明神縁起には、神道を背景とし神々を主人公に据えた多くの神話や伝説が残されているのです。 この書物の中に、伊豆諸島創生伝説として、伊豆諸島の名前の由来にも触れた伝説が描かれています。伊豆半島の付け根部分にある静岡県三島市には、三嶋大社という神社がありますが、その三嶋大社のご祭神である三島明神のお話です。

※ 余談ですが、「三島大明神縁起」にはこの三嶋大社も、かつては三宅島にあったと書かれています 

伊豆諸島創生伝説

 薬師如来の申し子として天竺に生まれた三島明神。七歳にして母を亡くし、そのあとにやってきた父の後妻とそりが合わなかったことから、無実の罪に問われ、挙句追放されてしまいます。天竺を追放された三島明神は唐・高麗を経たあと日本に渡り、富士山の神と出会うことになります。そこで意気投合した二人は「一緒に島を作ろう」ということになりました。三島明神と富士山の神はたった七日間で伊豆の海域に十の島を創成し、三島明神の八人の妃神と二十七人の御子神を配置しました。これが伊豆諸島創生伝説の大まかなあらすじです。ちなみに、その会議をした場所が神津島の天上山と言われています。※ この創生伝説ののち、水配りの伝説などへ話が広がっていきます。 

第一の島をば初の島(初島)と名付け給う。
第二の島をば島々の中程に焼き出し、それに神達集り給いて詮議有りし島なれば神集島(神津島)と名付け給えり。
第三の島をば大なる故大島(伊豆大島)と名付け、
第四の島は塩の泡を集めてわかせ給えば 島の色白き故に新島と名付け、
第五の島は家三つ双びたるに似たりとて三宅島と名付け、
第六の島は明神の御倉とおっしゃって御蔵島と名付け、
第七の島ははるかの沖に有りとて沖の島(八丈島)と名付け、
第八の島は小島(八丈小島)と名付け、第九の島はウの花に似たりとてヲウゴ島(青ヶ島)、
第十の島をば十島(利島)と名付け給う。 

 ・・・さて、個人的に気になる点は

・式根島がない点 ・現在は無人島の八丈小島がある点

・伝説上は初島も伊豆諸島に含まれていた点 でしょうか。式根島はかつて新島と地続きでしたし、八丈小島もかつては有人島でした。初島は行政区画上あまりにも熱海に近いと言う点で東京都に含まれなかった歴史があるので、次第に伊豆諸島として数えられなくなった・・・と勝手に推測します。

 とにもかくにも、伊豆諸島にはこんな名前の由来にまつわる伝説があったのです。しかし、島の名前の由来に関しては他にも諸説あり、必ずしも正しいとはされていないようですので注意。

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